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「健康的に生活すること」も得意・不得意があるというお話

※ここで書かれている話は、私が一緒に暮らしている住人や、シェアハウスの性質、大家さんの人柄などを踏まえての私の個人的な考えですので、シェアハウスだからといって必ずしもこの内容が当てはまるというわけではありませんので、ご注意ください。

築2年の一軒家でシェアハウスを始めてもうすぐ2年になります。女性4人で住んでいて、私以外の3人がこの春で大学を卒業するので、私もこのタイミングで今のシェアハウスを出ていくことを決めました。

大学に入学してからの1年間は大学から自転車で5分くらいの場所に一人暮らしをしていて、2年生になる春にシェアハウスにお引っ越し。振り返ってみると、2年間家族以外の人と一緒に住んだことはとてもいい時間だったと心からそう思います。みんなで食べるご飯は美味しいし、住人が鏡のようになっていいところも悪いところも含め自分のことを知ることができるし、みんなが温まるならってお風呂をためて湯船に浸かることもできる。

もちろん楽しいことだけではなくて、気を使うことや人に迷惑ばかりかけて申し訳ないなと思うことも。周りの人には「大変じゃない?家くらい1人でリラックスしたくない?」って言われることもあるけれど、シェアハウスを経験した上で、今は一人暮らしは楽は楽なんだけど、それがまたいいのかどうかは別だなぁ、と感じています。あと、暮らしにも得意や不得意があることや練習が必要だなというのもちょっとお話しします。

不健康 オブ 不健康だった一人暮らし時代

不健康オブ不健康ってなんですかって思う人もいるかもしれませんが、〇〇オブ〇〇で超〇〇っていう用法らしいので、つまり超不健康っていう意味です。

どんな生活を送っていたかというと...


・食べたいものがない時は基本食べない(食べたいものがないのにスーパーに行って食品を選ぶ時間が苦手だから)
・日中は自然光で部屋を明るくしていて、気がついたら真っ暗な中作業をしている
・冷蔵庫に入れていた食材をよく腐らせる
・一日中ベットの上から降りずに生活する
・眠い日は寝るし、眠くない日は寝ない

本当にこんな感じでした。今振り返ってみてもなんか不健康だなぁ......って感じちゃいます。こんな生活を送っていて、「ていねいな暮らし」的なものに触れた時やダイエットしようと思った時、この生活自分にとってあんまり良くないんじゃないか?と頭ではわかっていたものの、心で楽が勝ってしまってそのような暮らしをしていました。

それでいて、心も楽で、体も健康だったら「自分に合っている暮らし」として続けていてもよかったかもしれませんが、大学1年生の時は心の浮き沈みも激しく、本当に暗い部屋の中で1日何もせず虚無感に浸っているような日も結構ありました。

不健康な生活習慣だけが精神の不安定さの要因になっているわけではないと思うけれど、なんとなくこのままじゃ良くなさそうだなというのもまた不安になっていました。

シェアハウスで改善されたこと

そういう背景があったり、身近にシェアハウスをしている人がいたこともあって、「人と暮らしてみたら、生活って改善されるんじゃないかな?」と思っていたら、運よくシェアハウスを始める友達がいたので、その友達に紹介してもらって人と暮らすことになりました。

結論からいうと、当たり前ですが改善された部分とあまり変わらなかった部分がありました。まず、一番大きく改善された部分は食事です。住人がみんなお料理上手だったし、規則正しく食事をする人たちだったので、その人たちに合わせるように生活していると自然と食事習慣は改善されました。朝が弱かったり、他の予定との関係で毎日3食を食べるというまでにはいきませんでしたが、食べる時間を人と共有する楽しみや食材を無駄にしないようにどうするかを考えるという楽しさも知ることができて、食べることって楽しいし、努力してそこに時間を作る必要すら感じました。

単純に人が自分の作ったものを美味しいと言ってくれることや、自分が炊いていたご飯を嬉しそうに食べていることや、自分の知らない味付けの料理を食べること、食べた後にゆっくりと話すことが楽しい思い出でとなって、食べること自体私の中でとても魅力的なものになりました。

また、シェアハウスの大家さんが百姓さんだったり、住人がよく畑の手伝いをして野菜をもらってきて、シェアしてくれていたので、家にある野菜を腐らせてはいけない......!と食品を腐らせることに罪悪感を抱くようになりました。一人暮らしの時は、両親からもらっているとはいえ自分の管理できるお金で食べ物を買って、使わなかったり、使っても余らせたりした結果腐ったとしても捨てればいいじゃん、と思っていました。ただ、住人が畑の手伝いをした労力で手に入っている野菜は無駄にしてはいけないような気がするし、その住人が「人の手がかかってできた野菜だからね」という言葉をするたびに、あぁ目の前の野菜を大切にしないといけないなと思うようになりました。(自分の買った野菜はまだ腐らせてしまうこともあります......。)

あと改善されたこととしては、生活の中に変化を感じられて、虚無感を感じることが少なくなったことや人と暮らしている分無理をしているわけではなく明るい自分でいる時間が増えたことなどがあります。もちろん悩んでいて涙を流す姿も見せてしまうこともありますが、一緒に住んでいる人が心地よい空気で暮らせるようにと自分をコントロールすることで、結果明るい自分の時間が増えたのは健康的だったように思います。

改善されなかった(変わらなかった)ことは睡眠に関してで、これは一人暮らし/シェアハウスに関係ない用事や気分によってたくさん寝たり、あまり寝なかったりという感じでした。

受けたい影響のそばにいれたこと

野菜を腐らせてはいけない......のお話で思うことは、食べ物を大切にしようね!ということが大切ではなくて、食べ物を大切にできる人に私自身が憧れを持っていたかどうかということだと思います。ある意味、私が感じていた「野菜を腐らせてはいけない......」は野菜を腐らせてしまったら住人にどう思われるかわからない、嫌な思いをさせてしまうだろうなという脅迫概念的なものでした。

きっと別に食べ物を大切にすることを重きに置いていない人からすると、その脅迫概念は負のストレスになってしまって、一緒に暮らしていて苦しくなる一方だと思いますが、私の場合はその脅迫概念によって食べ物を大切にすることを意識できるという意味で正のストレスになりました。ストレスっていうと悪く聞こえるけれどもっと柔らかくいうと、別に住人が責めるようなこともないので心の中の優しい先生のような感じです。

この文章を読んだだけでも、一緒に住んでいる人から受ける影響は強いことがわかると思います。さらに自分でも認知できていないけれど影響を受けているものももっともっとあるはずです。

だからこそ、自分とは全く違う生活観を持っていて、なおかつ自分が受けたい影響を与えてくれる人と一緒に暮らすことができたのはとても幸せなことだと思っています。一人暮らしの時は天気が晴れでも雨でもあまり気にしませんでしたが、晴れの日は洗濯日和だね〜とかお散歩に行きたいね〜と言葉にする住人のそばにいると自然と私も晴れた日は外に出かけるのが楽しいように思うし、冬至の日はお風呂に柚子が浮かんでいて、季節の変化を楽しむようになりました。

「健康的に生活すること」も得意・不得意がある

シェアハウスを始める動機から全てがそうなんですけど、全体的に人を頼って自分の暮らしを改善させてもらっています。「お前、変わるために自分自身で何かしたのかよ!」って途中から突っ込まれてしまいそうです。本当にその通りで、自分でやったこととしてはシェアハウスに引っ越すことを決めたことと、一緒に暮らす人の見よう見まねで暮らしをしてみたことくらいです。

2年間シェアハウスをしてみて感じたのは生活も練習だなということで。夜になったらご飯を作って食べることを当たり前にする人もいれば、私みたいに献立を決めるところから超苦戦する人もいます。季節を感じるような暮らしや旬の食べ物を自然と生活の一部に取り入れることができる人もいれば、私みたいにキナリノで調べてから準備をせっせとする人もいます。

ただ、一緒に人と暮らすことで、ご飯を考えたり、余っている食材を使うようにしたり、洗濯物をしたり、ちょっと季節感のある料理を作ったり、1人ではしないようなことも、みんなが喜んでくれるなら、みんなとの共同生活に必要ならという動機で練習をすることができました。

毎日食べることも、寝ることも、規則的に生活している人を「健康的な生活ができる人」と思っていましたが、その実態はそれが当たり前、それだけのことでした。シェアハウスで暮らした2年間で健康的な生活を送ることが私は下手くそなんだなという自分の特徴に気づけたことは、前向きに捉えられるとても大事なことでした。だからこそ、今一緒に住んでいる人たちと暮らせたことはとても有り難いことだったとしみじみ感じています。

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実はこの春からもまた別の場所でシェアハウスをします。またいろんな影響を受けながら、自分のことを自分で好きでいられるよう変化をしていければいいなと、春が楽しみです。


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