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この絵のどこが変でしょう?

一人の大人と、一人の小学生と、一人の幼児が野球観戦をしています。

左の写真は全員にそれぞれ踏み台があります。

大人には必要なく、
小学生はちょうどよく、
幼児には足りないです。

でも、全員一律に同じ踏み台があります。
これを「平等」と言います。

右の写真は身長に応じて踏み台の数が違います。

しかし、全員が野球を観戦できます。
これを「公平」といいます。

学校現場は、「平等」の世界です。

できる子にも、できない子にも、同じ課題があり、同じような姿を求められる。

できる子は物足りなく、できない子はできないまま。

子どもは自分ができない原因を教師のせいにはできない。
だから自分を責めてしまうこともある。

もし「公平」だったら、どの子にもチャンスがあり、みんなで一つの課題をそれぞれの役割で取り組めるかもしれない。

しかし、学校は「平等」である。
足並みを揃えたがるのだ。

ならば、「公平」を目指し、実践すれば良いだろうと思われかもしれない。
だが、「公平」は難しい。

「平等」は全員に同じにすれば良いが、「公平」は一人一人に合わせなくてはならない。だから手間も時間もかかる。

だから当たり障りない「平等」になってしまうのだ。

もっと先のことまで言うと、1年間は学級の中で公平に接したとしても、次は年は平等になってしまうかもしれない。すると、人生トータルで結局、差がついてしまう。

せめて、義務教育の間は、トータルで「公平」になれば良いなと思う。


「平等」と「公平」

あなたの学級、学校はどちらですか?


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