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幼い頃から他者の考えに触れる大切さ

2年生 国語『わにのおじいさんのたからもの』は、主人公の“おにの子”が“わにのおじいさん”から宝物の隠し場所を教えてもらい、冒険するお話です。

最後、おにの子はおじいさんから教えてもらった宝石などが入った宝物の場所は見つけられませんが、代わりに美しい夕焼けを見ることができました。


そもそも、おにの子は「宝物」=「宝石や金銀」とは知りません。知らないからこそ「宝物」=「美しい夕焼け」だと感じたのです。


本文の内容を読み込んでいく始めに、次の発問を子どもたちにしました。
「おにの子は宝物を見つけられましたか」
クラスでは、「見つけた」4人、「見つけられなかった」14人、「どちらとも言えない」7人という結果でした。

 物語の読み込みを行なった後、最後に同じ発問をしました。すると、
「見つけた」5人、「見つけられなかった」13人、「どちらとも言えない」6人でした。あまり変化はありませんでした。

しかし、“なぜそのように考えたのか”の意見交流をした後、再度同じ質問をした際、子どもたちの考えが大きく変化しました。
(以下は子どもたちの考えです。)


【見つけた】
・わにのおじいさんが言っているたからものとはちがうけれどおにの子は自分が思うたからものを見つけたから。
・自分がすてきと思ったものは、何にでもたからものになると思うから。

【見つけられなかった】
・たからものは金やほうせきのことだからおにの子は金やほうせきじゃないものを見つけてるから。
・(たからものを入れた)はこがうまっているのをおにの子はしらないから。「しらない」って(教科書に)書いてあるからまだ見つけていないから。
・わにのおじいさんからもらったものは夕やけじゃないから。

【どちらとも言えない】
・わにのおじいさんのたからものは、見つけられないけどおにの子のたからものは見つけられたから。
・どちらともたからものだと思うけど、どちらかわからない。


 子どもたちは他の仲間の考えを聞き、大いに悩んでいました。結果は次の通りです。

「おにの子は宝物を見つけられましたか」

「見つけた」7人、「見つけられなかった」9人、「どちらとも言えない」8人

はじめは、「見つけられなかった」と考える子が13人もいました。しかし、仲間の考えを聞くことで、自分の思考が刺激され、他の意見に変化したことが分かりました。


 そもそも、この問いには正解はありません。厳密に言うならば、この問いは問いとして不十分なのです。「おにの子は“わにのおじいさんが思っている”宝物を見つけられましたか」ならば、「見つけられなかった」が正解です。ですが、問いには“何の”宝物かが明確になっていません。


 私はあえて、曖昧にしました。なぜなら、子どもたちから多様な意見や考えが引き出され、そこから他者の考えを聞き、自分の思考が揺さぶられ、新たに自分の考えがまとまっていく過程を経験してもらいたかったからです。


 子どもたちが成長していく上で、正解が決まっている問題よりも、正解の無い問題に出逢う方が多いです。友達との人間関係、トラブルの解決、進路、将来の夢、自分の本当のやりたいことなど…数えきれません。

学習も「知識・技能」がどれだけあるかよりも、ある程度の知識・技能を土台にした上で、正解の無い問に対しての思考・表現力を身に付けることが大切になっていきます。


学校でも、もちろん、1つの正解がある知識・技能(漢字や計算など)を最低限は身に付けます。その上で、たった1つの正解を出すだけではなく、より良い考えを自分の中で深めたり、仲間と試行錯誤しあって出したりする経験を豊富に取り組ませたいと思っております。

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