小学校で無駄な時間の代表は、これ。

「姿勢を正しましょう。これから2時間目の国語の授業を始めます。礼。」

授業前後に行う号令。全国ほとんどの小中学校で取り組んでいることでしょう。私も小・中学校では日直の時にしていました。

では、そもそも号令というのは必要なのでしょうか?私は3つの理由から必要ないと思い、取り組んでいません。

① 時間がもったいない。
授業前の号令に10秒、授業後の号令に10秒、1回の授業に合計20秒使っていることになります。1日5コマとして、年間190日登校したとすると、
20秒×5コマ×190日=19000秒≒約316分≒約5時間16分 です。
5時間もあれば授業が何回できるでしょうか。この時間を他のことに回したほうが良いのは言うまでもないでしょう。

② やる意味が薄い。
「授業に向かう態度をつくる」「背筋を伸ばして良い姿勢になる」「授業をする先生に感謝する?」など様々な理由があると思いますが、どれも意味が薄いと思います。
号令せずとも、授業の時間になれば、「教科書○ページ、音読します。」「180×24、ノートに書いて解きます。」など作業指示から入ればすぐに授業の内容に取り組ませることができます。これを全員が揃い、静かになるまで待ってから号令をしていたら余計に時間がかかるでしょう。

③ なぜする必要があるのか分からない。
「なぜ号令をするのか」これを子どもたちから聞かれた場合、根拠をもって答えられる人はいるのでしょうか。少なくとも、私は答えられません。だからするのを止めました。号令をやめたことで、ある6年生の男の子からこんなことを言われました。

「号令ないほうがすんなりと授業に集中できる」

授業の始めを全て作業指示にしたことで自然に集中できる態度になったのだと思います。また、号令を無くしてから、子どもたちが自然と時間を意識するようになりました。授業の始まりが作業から入るので、早くやりたい子や褒められたい子は事前に準備しています。それをすかさず私が褒めるので、授業前に準備することが自然と波及していきました。

もちろん、号令がまるで駄目と言う訳ではありません。担任以外の授業の際は、号令させます。また、やんちゃな子に号令係になってもらうことで褒める場を意図的につくることができます。このように理由を付けられるならやる意味はあるでしょう。

学校や日常の中には当たり前のように行われていることが山ほどあります。しかし、これからは「それが本当に必要なのか」「別の方法はないのか」とクリティカルシンキングで物事を見つめる必要があるでしょう。

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