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自分の苦手な人

誰にだって苦手な人がいる。私は基本的に「苦手だな」って思った人でも、出来るだけいいところを見つけて嫌いにならないように努力をしている。しかしそれでも、苦手な人というのが出てくる。私の苦手な人の特徴は大きく2つだ。

1つ目は「仕事が人並み以上に出来るけど、他の人も同じ位出来ると思っている人」だ。誤解をしないでほしいのが、私は仕事が出来る人が苦手なのではないということだ。私はとある飲食店でアルバイトをしているが、まさにこのような人がいて、非常に苦手だなと思っている。その人は私の同期で、仕事は本当にできる。ドリンクを作るのも、バッシングも、どれをとってもバイト先の中では1番早い。しかし、彼の中で「皆が自分と同じ位早く動ける」と思っている節がある。その証拠に、指示を出すときは常にいらだっており、挙句の果てに「なんでこんなことも出来ないん?」という始末だ。私は慣れてきたが、新人の子や後輩にとっては近づきがたい存在だ。周りもできるだけ彼を苛立たせないように、気を遣いながら動いているのが分かる。他のメンバーは彼に合わせようと必死に頑張っているが、どこか疲弊している部分がある。彼がいることによって、1人で1.5人分の働きをしているという側面はあると思う。しかし、彼がいることによって、他のメンバーのやる気をそがれているのなら、それは必ずしもチームにとってプラスには働かないはずだ。

ここまで批判的なことを述べてきたが、彼のような存在はどうしたらもっとチームにいい影響を与えることが出来るのかを考えてみた。それは、彼が他のメンバーに対して、仕事が効率よくできるコツを教え、一緒に実践してみることだと思う。メンバーに対していらだちで自分の感情をぶつけるのではなく、メンバーを「教育」することによって、チームは更に強くなる。

2つ目は自分の趣味や価値観を真っ先に否定してくる人だ。高校生くらいまでの私はどちらかというとこれに近い部分があり、人を傷つけた可能性がある。そのため今は過去の自分を反省し、生きている。私の趣味の一つとして筋トレがあり、ジムに通っている。始めた理由は単純だ。モテたいから。しかし筋トレを始めて1年半、筋トレをしてもモテないという事実に直面している。モテないという事実に直面しながらも、続けているのには理由がある。その一つになりたい自分に近づくための手段だと認識しているというものがある。話が脱線したため、話を戻すと、ある日友人から「筋トレって金の無駄だよね」と言われたことがある。私は月に4000円払ってジムに通っていて、彼にとっては恐らくその4000円が無駄だと感じたのだろう。

確かに無駄なのかもしれない。体を鍛えたところで何も物は手に入らない。しかも時間も喰う。しかしそんなことを言ってしまえば趣味全般は無駄ということになる。ゲームをやったり、ユーチューブを見たり、ギターをやったりしてもお金は1円も生まれない。彼はギャンブルを趣味としているが、私から言わせればそんなものは時間と金どちらも無駄にしているとしか言いようがない。まあ、ジム代の4000円を使って、賭け事に勝てばお金を増やせるということなのかもしれないが、それはあくまで「勝てれば」の話だ。

当時の私は、自分の趣味を否定されはらわたが煮えくり返りそうになっていたが、言い返すのを我慢し、作り笑いで過ごした。ここで相手の趣味も否定してしまえば、自分も同じ土俵に立ってしまうと考えたからだ。彼は自分に絶対的な自信があり、自分のやっていることが正しいと思っている人間だ。だから自分と違った価値観、趣味を持っている人間を真っ先に否定してしまうのだろう。

しかし、日常生活において相手の趣味や価値観を否定する必要性はどこにもない。ディスカッションで一つの答えを出す必要があるならまだしも、普段の生活の場において人の生き方に正解、不正解などない。心の中で「この趣味無駄じゃない?」と思ったとしても、それを口に出す必要がどこにあるだろうか。そっと心の中にしまっておけばいいはずだ。



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