見出し画像

自分を信じるということ

「自信」という言葉は、”自”分を”信”じると書く。

改めてその意味を調べてみると、以下の説明が出てくる。

自分の能力や価値などを信じること。自分の行為や考え方を信じて疑わないこと。

コトバンクより

自信を持ってなにかに取り組むことは、簡単なようで実は難しいのではないか。私はそう思っている。

特に大学受験は、どんなに準備しても自信を得られないことがある。本番で実際に試験を受けてみないと、志望校に合格できるかなんて確信できないのだ。なんて理不尽な試験制度だろう、と何度思ったことか。


私も大学受験を経験した。現在は「共通テスト」という名前になったけど、私は「センター試験」という名前だった。とはいえ、内容はそんなに変わっていないらしいけど。

私は常に自信を持てない人間だ。特に受験生の頃は「センター試験で全てが決まる」という恐怖に怯えながら、日々生きていた。それにもかかわらず、まともに受験勉強をしていなかった。あまり真面目じゃなかったし、集中力もやる気も持続しなかったのだ。周りの知人は1日10時間以上、平気で勉強していたのに。私は6~8時間が限界だった。模試を受けては知人たちとの実力差が開くばかり。それによって、やる気がますます削がれたのだろう。

試験本番は目標点数に到達できず、センター試験後に志望校変更を余儀なくされた。なんとか新たな志望校に合格し、地元よりも不便な場所で4年間過ごした。無事に卒業もできた。でも、不思議と後悔していない。自分が高校生の頃に思い描いていたものとは全く違っていたのに。

それは、今も連絡を取り合う”親友”ができたから。不便な場所で一人暮らししたことで、”サバイバル能力”を身につけられたから。思いがけず、学びたいなぁとぼんやり思っていたことを学べたから。いくつもの美しい景色と出会えたから。その場所だから経験できたことがたくさんあるから。挙げたらきりがないほど、私が得たものは多かった。

もちろん、滑り止めの大学にも合格していた。むしろ、滑り止めの大学の方がもともとの志望校よりも志望度が高かったくらい。でもそれを辞退して新たな志望校に進学したのは、不思議なことだ。よく考えたら。きっと、新たな志望校に”呼ばれた”んだと思う。運命だったんだろうなぁ、とも思う。


試験前日に、不吉(?)な話をしてしまった気がする。それは申し訳ない。

それでも、私から受験生に伝えたい。「”人生なんとかなる”っていう自信を持ってほしい」ということを。受験生にとっては、長い人生の中で最大の岐路であることは間違いない。でも結果がどちらに転がっても、それまでの努力が全て水の泡になることはない。これからの人生に活かせる力が蓄えられているはずだ。

そしてどんな結果であれ、決断をするのは全て自分。これからの人生のために一生懸命準備してきたあなただったら、最適な選択をする力があるはず。だから、試験当日は自信を持って臨んでほしい。文字通り、”自”分を”信”じてほしい。どんなに自信がなくても。


大丈夫。あなたなら、頑張れる。

気をつけて、いってらっしゃい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後も私が書き続けるために必要なものの調達に使わせていただきます。