【光る君へ】第10話「月夜の陰謀」感想:「観察者」としてのまひろの志
まひろと道長がついに男女の仲となる、そして花山天皇が兼家の策略によって出家させられる、という2つの大きなクライマックスがあった贅沢な回でした。
今回描かれた中で、まひろと道長の個人的関係は確かにとても重要だとは思います。しかし同時に、今回はまひろが偉大な小説を書くに至る上でひとつの道標となるような回だったと思っており、その点の感想を(今更…)書いていきたいと思います。
「観察者」としての小説家
このあとまひろが書く「小説」という文学においては、人の営みや心の動きが散文で平明に述べられるのがミソです。『源氏物語』も例外ではなく…それどころがその最たる例のひとつとして…人の心の動き、とりわけ平安時代の結婚観・恋愛観の中で翻弄される人々の悲哀が書き込まれた物語だということができます。それを著すにあたって、書き手が人間の行動や社会のありかた、そしてその底流にある心の動きを実生活でひたむきに観察できることは不可欠だと思います。そういったいわば「観察者」としての小説家の一面を、まひろは今回多く見せることになりました。
父と乳母への眼差し
それにはまず、まひろの自分の乳母・いとにかけた一言が挙げられます。いとはどうやら為時の愛人になっているようですが、当の為時は高倉の女の元に通って留守がちです。いとは愛人として我が身が顧みられないことを嘆くと同時に、為時の愛を受けなければ経済的に生きていくことができない己の儚さを嘆いています。そこにまひろは「父上はいとのことも大切に思っているわよ」と語って聞かせます。もしかしたらまひろは慰めのつもりでこの言葉を口にしたかもしれませんが、この発言は第1話でちやはがまひろに語った「殿は私のことも大切に思っている」という発言と重なります。まひろは長い時間をかけて、父の気持ちや、ある種の「諦観」...言い換えるならば、一夫多妻制の中で生きる女性にとって望ましい心の持ちようをまひろなりに悟ったのではないでしょうか。
次いで、まひろは為時が通う高倉を訪れます。為時がそこに住む女性の看病をしている様子を見たまひろは、その看病の手助けを申し出、あまつさえ父が「立派」とも言います。思えば、当時の結婚は男性にとっては経済基盤の形成とも同じですし、そこにおいて結婚や恋愛とは必ずしも男性の内心や好み本位ではなかったことが、これまでもドラマで描かれています。その中で生き、そして一度愛した女性に献身を見せる為時に、まひろはこれまで見出すことが無かった父の一面を見出したのだと思います。
道長に見せた「心」と「志」
廃屋で道長と密会するまひろは、道長から思いを告げられ、駆け落ちの提案を受けます。まひろも道長を好いているという本心を告げますが、同時に道長の申し出は拒みます。そして、道長の政治家としての使命を語るとともに、「都であなたのことを見つめ続けます」と宣言します。
ここでの道長は己の心情ばかりを語りますが、それとは対照的にまひろは「使命」について語ります。ここに至る文のやり取りにおいては、道長は和歌を中心にしたためていたのとは対照的に、まひろは漢文で返事を出しています。廃屋の場面での道長とまひろのすれ違いは、ちょうど行成が語ったように「和歌(心)」と「漢文(志)」の違いでもあるのです。そしてここでまひろが道長に語った「都であなたのことを見つめ続ける」という言葉は、まひろの観察者としての志に他なりません。それが手紙でも、対話でも顕現しているのがこの演出のすごく好きなところでした。
後に紫式部となるまひろは今回、「歴史」や「歴史」とはさえ呼べないような人の営みの観察者としての自我の確立という、未来の大作家としての重要なターニング・ポイントに至ったのだといえます。そしてそこに至るまでの最重要人物、ソウルメイトとしての道長との関係がこのあとどうなるか、より楽しみになりました。
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