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焦らないで

コロナ休校で異変が

我が家の3人兄弟の次男君はコロナ休校時、小学6年生でした。
コロナを恐れながらも、家は田舎なので近所を散歩しても全く誰にも会わない様な環境だったので、私の仕事が休みの時には次男、三男と3人でよく散歩に出掛けていました。
当時はどんな状況で感染するのかも分かっておらず、極力外出を避ける生活。

いざ休校が明け、数日学校に行った後の事。
次男が朝起きられなくなっていた。当初はコロナ休校で休む事に慣れてしまってサボりたいのかなぁと思っていたのですが、どうもおかしい。
朝は元気がないのに、夕方になると元気になっている。

病院などの人がいる所に行くとコロナに感染してしまうんじゃないかと心配しながらも、放っておける状態でもなかったので小児科を受診。
よく話を聞いてくれる先生で、急に成長した事もあり規律性調整障害だろうとの診断が出て、毎日血圧を測定する事に。

小学校生活

学校に行けない日が増えるも、担任の先生は理解を示してくれて時々は学校に行く様な生活が半年程続いた。
徐々に回復をすると思っていた症状だが、動けない時間は増え、意欲や食欲も低下。良くなるどころか、むしろ悪化してきており医師に相談した所、児童精神科を受診する様勧められて受診。
知能検査などもしつつ、医師の診察を受けると鬱病との診断が。

控えめで周囲に気を使い、真面目で優しい性格。(弟に対してだけは暴君ですが)
決して友達に嫌な事を言ったりしない彼は、同級生からも信頼されていた。
相手を気遣うあまり、親から見るともう少し子供らしくふざけ合ってもいいのにと思う状態。

体力は落としたくないと思い、一緒に散歩をする様にするも、秋頃からは不安感からか私の肩に手を置いて支えていたので、亡き祖父の杖を使い始める。

修学旅行も県内の神社や平日の遊園地。歩くのが困難な息子を友達は車椅子を押してくれて、帰ってきた時には疲れてはいたが楽しんで来れた様だった。
発表会などは練習に参加もできないので、見学をしていた。

いざ中学校へ

状態に変化が見られないまま中学校へ。
入学前に特別支援学級の相談に行ったのですが、当時の校長はふんぞり返って「中学校では体調が悪ければ、休んだりもできますが、高校は義務教育じゃないのでそうもいきませんよ」と。
「そんな事は分かってるわ!!」と心の中で叫んだのですが、他の先生はいい人で、入学した時には丁度人事異動で地元の小学校の校長先生が中学校の校長先生になり、あの嫌味な校長は教育委員会へ。(あんなのが教育委員長になるなんて、見る目が無いなぁと思わざるを得ない。)
何にせよ次男にとっては良い環境で中学生活をスタート。

環境は良くなったとはいえ、体調は依然変わらず。
段々焦ってきたのは私だった。
入学前に言われた高校進学を考えた時に、少しでも勉強に遅れがない様にしておかないと、この子の将来が心配だ・・・と。
学校に行けないので、テストと言っても全く分からない。テスト前には私が勉強を教えるも、数分で息子はダウン。
「自分が困るよ!」とつい怒ってしまう。(今思えばとんでもない事をしていた)
体調不良で試験を受けられない科目もあり、通知表は測定不能の文字が。

そんな次男も行事には参加ができていた。
当時の私は普段学校に行けていないのに、行っていいのだろうか。友達も少ない(小学校が同じ子はクラスに3〜4人)のに、行って楽しめるのだろうかと心配。
友達が少ない分は先生がすっごくフォローして下さり、本人は毎回行事を楽しむことができていました。
行事で楽しそうな様子を見る度に、これがきっかけで学校に行ける様にならないか・・・と期待をしては、変化が見られ落ち込む。
(この頃には勉強する事はいつでもできる、まずは人との関わりを持ってもらえればと思う様に心境の変化が見られていた。)
そんな状態が中学3年の夏(つい最近)まで続いていました。


何がきっかけになるか分からない

元気な時には30分ほど歩ける様になっていた息子。
市の夏祭りに参加した時の事。女の子2人組に「誰かわかる〜?分からないかな。」と声を掛けられた。
学校に行けていない息子は見た事はあるけど、名前が分からない。
しかし声を掛けられた事が嬉しくて、2学期からは同級生の名前を覚えたいと言い出した。
それまで週に1回、何とか半日学校に行っていたが意欲が出る事で急激な変化が。
週に2回半日程行ける様になり、修学旅行では先生の配慮もあり、他の小学校出身の友達もできた。
疎遠だった小学校の同級生とも、地区の秋祭りをキッカケに再び交流が持てる様になり、LINEで連絡をしたり家に遊びに行く事も。
勉強に対する意欲も出てきて、小学6年生の範囲から学び直しを始める。
この頃に通信制の高校の存在を会社の同僚から聞き(同僚の娘さんも不登校だった)、息子に合いそうな3校のオープンスクールに参加。
よっぽど気に入ったのでしょう。
「この学校に行きたい!」と話す息子。

通信制高校

息子が受けた高校は専願試験は面接のみ。
しかし、人前で話す事が苦手な息子。まして自分の事を話すなんてした事がない。
面接では事前に将来の目標や高校に入ってしたい事を聞かれると教えてくれていたので、先生も交えて練習開始。
将来の目標を聞いていると、自分を支えてくれたカウンセラーや学校の先生になりたいと。
しっかりと自分の言葉で受け答えをできるように練習をして、試験は無事合格。
合格通知が来た時の喜びよう。あんな姿を見たのはいつ以来だろう。
目標もできて、友達もできた息子は学校に行く事が楽しくなってます。
もちろん体力が追いついていないので、未だ半日程の登校ですが週に4日(私が送り迎えをする関係で、それ以上いけない)行けるまでに回復してきました。

最後に

不登校の子どもを持つと、自分が悪かったから子供が不登校になったのではないか、勉強が遅れると子供の将来が不安と焦る気持ちが必ずと言って良いほど出てくると思います。
子供が大切であるからの気持ちなので仕方ないです。

しかし、慌てないでください。
息子は約3年半学校にほとんど行けない状態でしたが、今目標に向かって動き始めました。
些細なキッカケが積み重なり、動き始める事が出来たんです。
子供は大人が思っている以上に、周りを見ていると思います。
親の焦りが伝わる。
勉強なんてその気になれば何歳になってからでも始められます。

そばに寄り添って、その子のペースに合わせてあげてください。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
私と息子の体験が少しでもお役に立てれば幸いです。

感想やご意見があれば是非コメントください。







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