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自分の事は好きですか?

嫌いだった自分。

私は数年前まで自分の事が好きではありませんでした。
背も高くない、顔も普通、勉強だって特別できるわけでもなく、運動神経がいい訳でもない。何をしても私より上の人なんて沢山いる。自信を持てる事が何も無かったんですね。

そんな私が鬱病や借金、離婚などを経た今は自分の事が好きになれました。

好きになる為に

自己肯定感に関する本も沢山読みました。実践したもの、しなかったものもありますが、今思い返すと昔の自分は

  • 周囲とばかり比べていた

  • 努力したくない言い訳として自分が嫌いだった

  • 自己犠牲という言葉を言い訳にしていた

そんな気がします。

周囲とばかり比べていた

「皆んなちがって 皆んないい」は金子みすゞさんの有名な言葉ですが、その通り。例え、自分より優れた人が居るからといって自分を嫌いになる必要はないんですよね。例え何一つ勝てなくても、自分にもいい所がある。1番じゃなくても、2番手も3番でもそれでも自分の良い所。もしかしたら「隣の芝生は青く見える」じゃないですが、周囲の人を美化して見過ぎているだけかもしれません。


努力したくない言い訳として自分が嫌いだった

偏見かもしれませんが、ナルシストの人ってよく鏡を見て自分にうっとりしてませんか?あれって凄く大事なんだと思います。鏡を見るって事ではなく、自分をよく見て、自分に手をかける。

意識高い系なんて言葉も(今も使うのかな?)色々な事に気を使い、自分を高めていますよね。どちらも自分を高める為に努力しているんですよね。
昔の私は自分を高める努力をしていなかった。「こんな自分が努力したって素敵な自分になんかなれない」と思っていました。だから好きになれなかったんだと思います。

高める努力は何でも良いんだと思います。勉強でもいいし、筋トレをする、健康的な生活をする、部屋を綺麗に保つ、ファッションに気を使うでも。要は自分のために時間をかける。
努力して変わった分だけ自分を好きになれるんじゃないでしょうか。

努力というと嫌いな事を頑張るように感じるかもしれませんが、好きな事や今興味がある事で良いんです。私は読書やヨガ、をして知識を身につけたり、体の調子を整える事で好きになれましたが、鬱病になった時に「少しでも良くなりたい」と思ったのをきっかけに読書やヨガを始めました。

自己犠牲という言葉を言い訳にしていた

日本って自己犠牲は尊いという風習ないですか?海外に行った事ないので、他の国がどうなのかは分からないですが、少なくとも私はそう感じています。自分を犠牲にして人の為に何かをする。素晴らしいことではあるんですが、人を助ける時って自分に余裕がないと助けられない、助けても効果が少ないですよね。

私は自分を犠牲にして、人の為に頑張っている。そう思う事で努力する事から逃げていたんだと今は思います。自分を犠牲にしなくても、人を助ける事ってできます。もちろん時間や労力などは必要なのですが、「誰かの為に何かをしてあげたい」と自発的に考える事ができれば、他の人の為の事が自分の為の事にもなります。結果として上手くいけば自分も嬉しくなれるし、上手くいかなければどうしたら上手くいくかを考えられる。

自分がしたいからする事って自己犠牲では無いですよね。
ケアマネージャーの仕事をしていますが、利用者様が元気になると私も嬉しいです。時間や労力を使っていますが、自分が元気になって欲しいからしているので自己犠牲と感じず、嬉しくなるんじゃないかな。

自己肯定感

自己肯定感について沢山の本を読みました。しかし実感として感じたのは自分の為に時間を使う事が自己肯定感を高める1番の要因になった気がします。

一人でも多くの人が自分を好きになれる参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




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