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親ガメの上に子ガメがのった瀬戸内の海

こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。

生まれ育ったのは瀬戸内海、広島県の尾道市。
尾道市は、広島市と岡山市の中間ぐらいにあり、
本州側とその向かいの向島(むかいしま)の半分が市の範囲だった。
(現在は市町村合併で、もっと広範囲になっている)

なので、尾道市の市章は、

尾道市HP:https://www.city.onomichi.hiroshima.jp/soshiki/11/3638.html

上の細い部分が向島、下の広い部分が本州部分、その間が尾道水道(本州側と向島の間に横たわる海の呼称)を表していると聞いていた。
今回調べてみたら、
尾道の別名【玉の浦】の名の起源である千光寺の玉の岩を象徴化した、
あるいは足利氏の家紋(二引両)に由来するなど諸説あることを知った。

記憶に残る一番古い海の記憶はどんなものだろうか。

私の場合は、父の運転する車が向島のとある道を突き当たりまで走り、
右側には海から引き上げられた様子の船が停まっている場所に駐車し、
正面の堤防と堤防の間から、真っ白よりは少し濃い、ベージュ色の砂が見えた場面から始まる。
「なんでこんな所に来て、止まったんだろう」と戸惑った感覚が今も残っている。

それから車で水着に着替えたのか、家から水着を着て行ったのか不明なのだが、
次に覚えている場面は、先程の堤防と堤防の間の先にあった浜で、
家族で海に入っている場面だ。

母はまだ乳児だった弟と水際に座って、水遊びをしていた。
妹は、平泳ぎをする父の背中に子亀のように乗っていた。
後に太平洋や日本海を見て驚くのだが、瀬戸内の海は穏やかで、
波もほとんど感じないほどで泳ぎやすく、このような泳ぎ方も可能なのである。
(もちろん瀬戸内海とて天候が悪い時は、荒波がザパザパと生じる)

羨ましくて「私も乗りたい!」と交代してもらって、父の背中に乗ったら、
父は息継ぎも難しいぐらい沈みながら、泳いだ。
当然、父の一息が続くまでしか乗ることは叶わない。
何度かやってくれたが、やっぱり父の一息が続くちょっとの間しか乗れない。
妹は長い間乗っているのにと、悲しくなった。
今ならわかる。2歳分の体重差は結構大きかったのだ。
父こそ大変だったろう。

そんな様子を見ていた母が、
「お父さんに平泳ぎを教えてもらいなさい」と言った。
それで、手の使い方やら足の動かし方を父に教わり、
なんとなくできるようになった。

後に、学校を休みがちだったため体力作りにとスイミングスクールに放り込まれ、
気づいたら選手コースで毎日泳いでいたのだが、
私の専門は、”平泳ぎ”だった。
4泳法の中で最も良いタイムが出るのが平泳ぎだったからなのだが、
向島のあの浜のあの日、父に習ったのが始まりだった気がなんとなくしている。

それにしても、幼い頃の記憶は、なぜ断片的な場面、場面なのだろう。
覚えている場面は鮮明なのに、場面と場面を繋ぐ合間はこれっぽっちも記憶に残っていない。とても不思議だ。皆、同じなのだろうか。

(お読みくださり、ありがとうございました。)

#わたしと海

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