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大きな言葉の中にある、一人一人の物語に目を向けたら。

最近、急激に中国や韓国からのお客様が増えてきた。
期待も大きい。が感覚の変化も求められている。

言葉を学ぶ?
ニュースに注目する?
「歴史認識の違い」を学ぶ?

ふと、今のNGOに関わる仕事を志し始めた頃を思い出した。
「地球一周の旅に出よう」と
ボランティアスタッフとして活動を始めたにも関わらず、
私は、あまりにも、ご近所のアジアのことを知らないことを実感した。

そのきっかけは、ボランティアスタッフのオフィスで、一緒に活動していた年齢の近い、在日コリアンの若者と飲みながら語りあったことだった。また韓国を訪れる機会があり、韓国のおばあちゃんから第二次世界大戦当時の経験談を聴いたことだ。

彼らが私に教えてくれたことは、それまでの人生で全く知る機会のなかったことばかり。彼らは、今も心に抱えている痛みをオープンに話してくれ、嬉しい反面、知ったことで、これから向き合うべき問いかけも増えた。

「歴史認識の違いがある」という言い方は、とても大きなものに感じられ、それを乗り越えようとするととても抱えきれない感覚がある。

でも、ていねいに紐解いていこうと試みると、そこにはただ、今を生きる、またかつて同じように日常を生きていた、一人ひとりの人間の「人生」がみ浮かび上がってくる。

韓国のおばあちゃんの人生の物語。
私と同じ時代に生まれ、同じ場所で生きている、
在日コリアンの友人たちの人生の物語。

それらに耳を傾けることから始めると、
空中で空回りする大きな言葉に隠された、本当に豊かな世界が見えてくる。

歴史を学ぶというよりも、人生を学ぶということ。
時代や国という大きな主語で括ってしまうにはもったいない、
普遍的な、大切な、何かを学ぶことである、ということができると思う。

一人ひとりが、その豊かな感受性を持つことができれば、
もっともっと優しくて、あたたかい世界になるのではないだろうか。


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