第2回 新種の日本人会
バイアスで見てくる人、全く見てる景色が違う人と生きるとは?
ある地方創生プロジェクトから。行政の人たち、地方企業の人たちと働く中で対話になっていない状況を感じたという話。
「アンコンシャスバイアスって相互作用だと思う」
都会からきているのか、地元の人間なのか。
女性か男性か。自分よりも若いか年上か。大学はどこの出か。どこの企業出身か。
アンコンシャスをかけられると自分も自己暗示的にかけてしまう。
また見てる景色が違いすぎてわかりあうことが難しい。
思考は開かれているか、何かにしがみついているのか。
このまま粛々と求められることをやればいいのだろうか?
その1 善悪の判断から、まずは自ら、そして相手を解放する
海外で駐在妻(駐妻)として生活していると「駐妻らしさとは」を意識することがある。思い込み。夫のシャツがシワシワでも私の責任ではない。それを見て他の駐在員から「あそこの奥さんは…」と言われたとしても、それは私の人生に関係がないこと。悩んだり気にしたりする必要のないこと。思い込みに苦しめられる必要はない。
周りの駐妻にも「あなたとして、あなたらしくいればいいよ!」と伝えている。そうすると周りも、自己を開放し始めている。ありのままの自分に自信を持ち始めている。
宝石に投資する人。セミナーや資格勉強などに投資する人。どちらも自分磨きに投資している。実は突き詰めると共感できるところがある。
例えばペルソナを被り本心を見せない地方担当者は、心の底では何を求めているのだろうか。名刺に書いてある役割を脱いだとき、この仕事に何を思い今ここにいるのだろうか。
歴史神学者ウォルター・ウィンクによれば、およそ8000年前〜1万年前に「善人が悪人を成敗することが善い生き方だ」という神話が誕生した。それが専制的な体制を助長しこれまで秩序を維持してきた。そして一つの正しさを教えられた「虚ろな善人」を作り出してしまった。善悪の判断から解放され、感情の奥底にある自分の本質的なニーズとまずはつながり直すこと。そして相手のニーズが何かに耳を傾き続けること。(「わかりあえない」を越える/マーシャル・ローゼンバーグ)
とはいえ脳科学では、思考は感情が支配していることを証明している。思考停止状態は、感情停止状態であるともいえる。
自分で考えたい、自分の考えを共有したいという感情よりも、思考停止と沈黙の方が賢明であるという感情が優先されている。ずっとそのスタイルでやってきたのに、今からいきなり「どうしたいか」考えろと言われてもできないかも。イノベーションには向かいづらい。みんな苦しいのかも。
その2 異物を少しずつ食べる、進化する
ダイバーシティと言われ久しい中、なんでも寛容に取り込んでいくことが求められているのか?
身体には境界がある、限界がある。むしろそれが良い事だと思う。
その限界をどこにするのか?は自らの意志。自分の身体を定義するのは、自分。
自分の頭で分からないことは、この場にいるメンバーに聞いて思考を広げようと思う。ある意味自分の体の一部のような感覚。
先出の地方担当者は、私の身体に入らない。なのでストレス。異物は排泄しようとする。生物学と繋がる。クライアントと距離を置こうとしている時がある。異質なものを取り入れすぎると、下痢を起こすので。水を飲みながらとか、徐々にとか。咀嚼(口の中でする?口の外でする?)、調理とかして体内に入れたり。今は胃薬が必要。
海外に住むときも、その国の料理は、最初は毎日は食べられない。胃がもたれる。でもそのうちだんだん毎日食べられるようになる。
なぜ異物を食べるのか?
同じコミュニティに居続け、同じ営みを繰り返し続けていたら、それはみんなでちょっとずつ沈んでいくのと同じ。
私たちの根底には、冒険する遺伝子が備わっているという(DRD4-7R。http://tap.tamagawa.ac.jp/news/news-210728.html)。つまりは生存目的に適った行動なのかもしれない。
最後にこれをシェアしてみて、また次回までお別れ。
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