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VISION DRIVEN SUMMITを終えて

ある日、Twitterに石井裕先生からメッセージが来た。

「VISION DRIVEN-直感と論理をつなぐ思考法」を送っていただけませんか?と。

石井先生と言えば、MIT Media Labの副所長にて、「出杭力、道程力、造山力」などの名言で有名なイノベーションの世界の泰斗と言っても良い存在だ。

さらに言うと、僕は2012年にアメリカのシカゴにあるイリノイ工科大学にデザインを学びに留学するきっかけとなったのは、その前年に九段下で開かれた石井先生の講演を聞き、居ても立っても居られなくなったからだった。

そこから9年。

僕はBIOTOPEという戦略デザインファームを起業し、数多くのビジョナリーと、VISIONを引き出し、形にする取り組みを数多くやってきた。


デザインファームとしてのBIOTOPEの特徴は、ビジョン作りにせよ、ミッションやバリューのような思想作りにせよ、新規事業やUXの戦略にせよ、組織文化作りにせよ、企業が道なき道を歩むための羅針盤をビジョンを起点に作っていく支援をしていくということだ。

そんな中、石井先生から、アカデミアでVISION DRIVENのアプローチを極めてきた中で、ビジネスの現場でのVISION DRIVENのアプローチとお互いに比較しながら、研究として深めていきたいと言うご提案を頂き、VISION DRIVEN SUMMITと言うイベントをBIOTOPEが主催して企画することにした。

結論から言うと、内容はとても刺激的で素晴らしいものであった。有料イベントなのにも関わらず330名以上の申し込みを頂き、以下のような熱度の高い感想を頂いた。

Keynote Speechesも良かったですが、佐宗さんの絶妙な導きに石井さんが盛り上がっていく感じがトークセッションとして優れていたと思いました。

普段聞くことのない方々のサミットは、意義深いテーマを学術的な観点と実践的な面の双方から語られ理解が深まりました。若い時から人生をどの時間軸で捉えているかも影響があること、本質を捉える&問える力も育めたら、人の世界観が今より広がる希望を感じました。内容は高度ですが、本質は誰にでもある内的動機として人を選ばないテーマだと思いました。

詳細は以下のアーカイブで見てほしいが、僕がそこで気づいたことをいくつかまとめてみたいと思う。(3時間で2500円というのは正直、安いと思うし、石井節や、クロストークでのバイブレーション感は動画の方が伝わりやすいと思う)

1.妄想と表現という抽象と具象の往復

石井先生は、NTT研究所からMIT Media Labに移籍した際、所長に今までの研究を捨てて、新たな研究テーマを打ち立てろ、と言われたそうだ。その際に、Tangible bitsという大きなビジョンテーマと同時に、そのビジョンを具現化するための椅子の足のような存在ということで、Music Bottle、Urp、Sandscapeなどのいくつかの具体的な作品表現をセットで具現化する形で並行して研究を進めたという。


ビジョンは、壮大なものになるため、いきなりその全体像は見えてこない。ましてや、すぐにその全体像を社会的に実装することは不可能だ。だからこそ、そのエッセンスの一部を凝縮したプロジェクトを、いくつかの角度で実装しながら少しずつまだ見えていない全体の絵の輪郭の解像度をあげていくのだ。

BIOTOPEでは、ポスト資本主義の一つの事業の形として、VUILDさんと組んだNestingという家づくりの事業づくりを共同事業として進めているが、VUILDさんにとっても、地域の木材を活用して地産地消で作っていく家づくりの形は、林業の未来、木材加工の未来、家作りの未来、住まい方の未来が繋がった壮大なものだ。それを、Nestingで家として実装することで、そのビジョンの壮大な絵の解像度が上がっていく。

東京大学の岡田猛先生のアーティストの熟達プロセスの研究によると、アーティストは、最初は技法からスタートするが、創作ビジョンを持つとそのテーマをさまざまなフォーマットにこだわらずに表現するようになるという。最初は、作風がある作家も、ビジョンを持つと、その作風が一気に広がるのだ。妄想という抽象と表現という具体を、縦横無尽に往復することが効果的なのだ。

VISION DRIVENなアプローチにおいて、抽象と具象の往復力は非常に重要だが、感覚的に体得するのは非常に難しい。

これを学ぶ上で、意外と効果的なアプローチが、デッサンを学んで見ることではないかと思う。デッサンというのは、全体の絵をみながら、細部を具体的に表現していかなければいけない。細部は全体であり、全体はまた細部なのだ。ぜひ、デッサンをやりながら、全体と細部を両方同時に往復してみるという訓練をしてみてほしい。

2.結晶化力を高める文学の力

石井先生の研究は、Tangible Bits、Radical Atomsなど、ビジョンコンセプトとそのシンボルの結晶化の力が傑出している。例えば、先生がよく引用する以下の図は、その研究のビジョンのコンセプトとその進化を凝縮化した形で具現化している良いシンボルと言えよう。

引用:https://wired.jp/2014/07/21/ishii-hiroshi-transform/

これは、いわゆる比喩やアナロジーによる見立ての力が必要なのだが、この見立ての力を磨くのはとても難しい。そこで、石井先生流の見立てを磨く力について聞いてみた。

彼が言ったのは意外な言葉だった。

「一番影響を受けたのは、学生時代にバックパックを背負って、世界中を回る中読んでいた文学です。宮沢賢治などの文学や、映画、詩歌などに多く触れることで、見立ての引き出しを増やすのです」

彼は、この文学の力を、「芭蕉力」という言葉で言い表している。サイエンスと一見関係なさそうな文学の世界の知見が意味を持つのだ。

そういえば、ノーベル賞を受賞している科学者は、そうではない科学者に比べアートが趣味の確率が有意に高いという研究結果もあるように、文学や映画、芸術の分野に触れることで、それだけ自分の向かいたい世界観を世の中に伝わる形で結晶化できるのかもしれない。

そういえば、僕がVISION DRIVENー直感と論理をつなぐ思考法で描いた4世界図は、僕たちが価値が見える表の世界と、価値がまだ見えない地下の世界という2つの「パラレルワールド」に生きるというのがモチーフになっている。


VISION DRIVEN-直感と論理をつなぐ思考法


この世界観図を作る上で、昔むさぶるように読んだ村上春樹の小説からインスピレーションをもらったことを思い出した。

VISIONがなかなか伝わらなくて悩んでいる人にとって、小説や映画、アートに触れる時間というのは実はブレークスルーを生む時間になるかもしれないのだ。

3.テクノロジーの光と影

テクノロジードリブンのプロジェクトはややもすると、楽観主義すぎることがある。最近で言うと、Meta社が提唱するメタバースのように、世界がバーチャルに起き代わっていくというと言う楽観的な理想があることで、エンジニアやデザイナーの創造力の源泉となるのは間違いない。一方で、その楽観が楽観のまま世の中に実装されることもない。インターネットの浸透とSNSが作り出した世界が、個人の創造性を引き出し、発信者となると言う光があった一方で、陰謀論やフェイクに塗れ、何が正しいかもわからない秩序の不安定な世界になってしまったことはそれを実証している。

石井先生のアプローチは、テクノロジーの光と影を必ず見ている。これは、どちらもみることが重要で、テクノロジーをいきなり否定してしまっては進化がない。一方で、テクノロジストが考えるほど楽観的なものにはならず、必ずマイナス面がある。

石井先生は、最初にTangible Bitsのビジョンを構想した際、最初Bits and Atomsと言う物理世界がデジタルの粒に置き換わっていくという論文を踏まえ、それに対するアンチテーゼとして、デジタル情報を物理化し、身体的に感じられるものにすると言うビジョンを考えたと言う。

私は過去、石井先生とビジョンを議論する1日のbootcampのような場をご一緒したことがあるが、その際にはよく以下のような問いかけがあった。

「そのテクノロジーの、ダークサイドは何ですか?それを、乗り越えるためには何が必要ですか?」

テクノロジーの進化の人類に対する影響ということで、人文智の必要性が唱えられる時代だが、web3、メタバースなどの新たなテクノロジービジョンが出てきているタイミングだからこそ、構想する際にはプラス面と同じく、いやそれ以上にマイナス面を考えた上で、楽観的に実装していくと言うバランスが重要なように思う。

4.進化し続けるビジョン

イベントに先だった事前の石井先生との議論の中で、ビジョンの賞味期限について議論があった。石井先生はビジョンを100年単位のものとして定義している。一方で、ビジネスの世界においては、ビジョンの賞味期限は短くなっている。普遍的なテーマで10年、現実的には3年くらいで長期ビジョンが書き変わっていく、というのが変化の激しい現代におけるビジョンの賞味期限ではないかと思う。

その前提としては、ビジョンは常に進化し続ける必要がある。私個人の経験をとってみても、自分にとって絶対的なビジョンが見つかった、と思っても10年も活動していくと、だんだんそのビジョンが自分にとって色褪せたものに思えることもある。

石井先生にもTangible Bitsと言うビジョンが古い、色褪せたものに思えた時期があったという。そこで、もう1段階ビジョンを進化させてRadical Atomsと言うビジョンを考えるに至ったのだという。

どんなビジョン駆動で生きている人にとっても、ビジョンが不変であることはおそらくない。

仮にビジョンを持っていたとしても、それが新鮮で、ワクワクをくれる存在では無くなったなと感じたら、それを一度捨て、越えていくものを作る勇気が必要なのではないかと思った。

5.孤独を乗り越える哲学・美学

最後に、個人的にとても響いたのは、ビジョン駆動で生きる上での孤独との付き合い方というテーマだ。

石井先生は、造山力という言葉で表現しているが、自分で自分の山を造って登っていくプロセスは、ひとりからスタートする。実際、ビジョンを持って生きるようになればなるほど、孤独感を感じることになる。

それは二つの種類の孤独がある。

1.自分の見ている世界を共有できる人がいない孤独
2.自分の見ている世界を理解されない孤独

1の自分の見ている世界を共有してくれる人がいない問題については、自分の周りに常にいるとは限らないが、大きく普遍的なビジョンであればあるほど、世界のどこかには出会うものなのだと思う。むしろ、数少ない世界で理解してくれる人を探して、そのビジョンを発信することが大事だ。

2の自分のビジョンが理解されない孤独については、上でも出てきていた抽象的なビジョンを、表現していく能力を磨くことが重要なのだろう。

それでも、孤独はなくならない。そんな時に、大事なのはむしろ孤独の中で、自分の哲学や美学を涵養するということだろう。

ビジョンを持って生きると、時には世の中の潮流に違和感を感じる。そういう時こそ、逆に自分なりに見えている世界観を構築したり、自分にとって譲れないこだわりに気付きそれを自分なりの文脈として積み重ねていくことが、自分の作り出す人生芸術の山脈を支える土台になる。

この哲学や、美学は、ミッション、バリューと呼ばれるような企業理念の1要素ともつながる部分であり、最近の私の戦略デザインのメインのフィールドでもあるのだが、それはまた別の機会に議論したいと思う。

VISIONというものをテーマにしたイベントというのはあまり見かけないが、だからこそ、とてもユニークな知恵が共有された場であったし、特に後半の石井先生とのクロストークは、お互いのバイブレーションがどんどん合っていくダイナミズムのようなものを感じられる場だった。

興味のある方はぜひ、以下のサイトからアーカイブ動画を購入して見てみてほしい。

感想があれば#VISIONDRIVEN22でつぶやいてもらえたら、私や石井先生にとっての励みともなる。

改めまして、非常にインスピレーションをいただいた石井先生、そして、質の高い質問を頂いた当日の熱度の高い参加者の皆様に心から感謝したい。
このテーマは引き続き深ぼっていきたいので、期を見てまた次回を企画したいと思う。


石井裕先生のプロフィールはこちら。
 MIT Media Lab Tangible Media Group
マサチューセッツ工科大学教授、メディアラボ副所長。日本電信電話公社(現NTT)、NTTヒューマンインタフェース研究所を経て、1995年、MIT(マサチューセッツ工科大学)準教授に就任。1995年10月MITメディアラボにおいてタンジブルメディアグループを創設。Tangible Bits (タンジブル・ビッツ)の研究が評価され、2001年に MIT よりテニュア(終身在職権)を授与される。国際学会 ACM SIGCHI(コンピュータ・ヒューマン・インタラクション)における長年にわたる功績と研究の世界的な影響力が評価され、2006 年に CHIアカデミーを受賞、2019 年には、SIGCHI Lifetime Research Award(生涯研究賞)を受賞。

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