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『インターステラー』【肯定と否定】No. It's necessary.

CASE : It's not possible.
Cooper : No. It's necessary.
ケース 不可能だ。
クーパー だが─やるしかない。(字幕)

『インターステラー』(2014)を観おわった。2週間くらいかかった。

昨日『クローズアップ現代』に、アカデミー作品賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督が出ているのを観ていて、『ダークナイト・トリロジー』も、『インセプション』も、『ダンケルク』も、『テネット』も、そして『インターステラー』も、この人の作品だと知って驚いた。全部もうひとつで、その「もうひとつ」感が、見事に一致しているからだ(唯一『メメント』はおもしろかった、というか、すごいアイデアだと思った)。作家性が確立しているとも言える(褒め言葉になっていないが)。

私も彼の作品をこれだけ観ているということは、テーマや映像は好みらしいのだけれど、もう相性が悪いというしかない(監督が映画に向いていない可能性はなさそうだから、私が映画に向いていない可能性があるが、そうは考えたくない)。

印象に残るシーンはちらほらあるが、「早く終わらないかな」と思ってしまったり、途中で観るのをやめてしまう。2度見ることはまずない。印象的な場面以外が、おもしろくないのだ(おもしろい映画は、ずっとおもしろい)。

本作では5次元のビジョンはすごくよかったが、長いとも思ってしまった。

さて、上で引用したのは、回転する宇宙ステーションへのドッキングシーンで、これはこの映画のハイライトのひとつであり、印象的なセリフだ。

不可能だ」というケースに対して、クーパーは no で答えることで日本語では肯定となり「そう、不可能だ」と認めていることになるが、No, it's possible. とは言わずに、it's necessary と言っている。字幕に「だが」を挿入しているのは、その違和感を緩和するためだろうか(あるいは、 no を「だが」と訳している?)。

文法的なことはわからないが、このクーパーの no は、ケースの It's not possible. 全体を否定しているのではないだろうか。「可能か不可能かではなくて、せざるを得ないんだ」と( ネイティブでも判断が分かれるのか、No, it's necessary.と引用している人がいるが、 正しくは No. It's necessary. だと思う)。

この、AIの計算や論理を超えた人の意志が、この映画のひとつのテーマだろう。科学考証に力を入れたハードSFで、宇宙船のドッキングを軽車のむちゃな車庫入れみたいに描いているのも、観客の共感を呼び、心をつかむことに寄与しているのだろう。

ちなみに、観終わって検索してみて、マット・デイモンが出ていることを知って驚いた。マット・デイモンみたいな人だな〜とは思ってたけど、まさか本人だったとは。マット・デイモンは、イケメンの役をして輝く俳優であるから、イケメンでない役をさせたらマット・デイモンにはならないと思う。マット・デイモンには、ナルシシズムが必要で、今作ではそれが足りないと思う。


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