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あいつら(子どもと評される者たち)を侮るな。

私は子どもを持たないと決めている。理由は「向いていない」からである。


過去に姪を預かる時期があった。

朝5時に起きて朝ごはん、お弁当や幼稚園の準備、姪を起こし朝ごはんを食べさせ身支度を整える。バスに間に合うよう送り出す。そのあとは家事フル稼働。洗濯物は一日3回。何をどうしたらこんなに溜まるのか???姪が帰宅後は、優先事項が名に切り替わる。ばんごはんまでにお腹が空くので軽くおやつ(小さなおにぎりw)を与えながら晩ごはんの準備。お風呂も一苦労である(スキンケアなんてする暇なし)。寝かしつけに絵本・・・。気づけば翌朝の5時で、以下同文。(だからこそ、専業主婦さんや兼業主婦さん・・ママさんってすごいと尊敬する。)

一週間で爆発、である。

「ふんぎゃぁぁぁぁぁ!!!」という雄叫びとともに、デカめのぬいぐるみをコテンパンにした。横で姪が大爆笑していた。平和である。

とまぁ、私が子どもを持たないということは、自分で自分をきちんと認識している(おそらく虐待してしまうという恐れ)上での決断ということである。


が、

友人知人(実は身内まで)はこう言ってくれる。
「さしみちゃんほど、子育てに向いている人はいないと思うよ。」
Oh・・・。

そうなのだ。確かに子どもには好かれやすい。それは認める。おそらく子どもと同じ思考で話すからだろう。子ども目線で、子どもが使う言語を使い話す。子どもに今はやっていることを話す。子どもが理解しやすい表現を使って話す。そりゃ好かれる。当たり前だ。大人ではなく子供として認識されるから。

だが、それ(子どもに好かれる)とこれ(子育て)とは別腹である。

というか、そもそも私自身に『子育て』という概念がないのである。生まれてくるときにお母さんの子宮に忘れてきちゃったのだ。


周りはよく『子育てする大人』という目線で語ってくるが、否。

あいつら(子ども)は、子供の仮面をかぶっているが、めちゃくちゃシビアであることに、お気づきだろうか???


目の前にいる大人が、どれだけ自分たち(子どもたち)目線で考えてくれるか?信頼に値するか?他愛もない会話から、虎視眈々と見極めようとしているのだgbgb。

そのため、私の姪の子守りも1秒1秒真剣勝負であった。当時、幼稚園児といえど彼女は真剣に悩んでいた。考えていた。それに対していかに真剣に同じ目線で語れるかが勝負であった。使えないと思われたらそこで試合終了である。もう、二度と本音をさらけ出してくれない。もしくは、相当な時間をかけて修復するしかないのである。だからこそ、姪からの相談には全力で考えて一緒に考えたものだ。


ここで補足説明だが、私は大人より子どもが好きである。

なぜなら、建前というスキルが使えないから。彼らは取り繕っても経験値がないためすぐにボロが出るから。本音が見え易からである(逆にいえば、こちらの建前もすぐにバレるので本音で付き合うしかないのだが、本音のみで付き合いたい私としてはありがたい)。

「言わなくても察してくれるよね?」が通用しないので、こちらの本音を出すしかない。そんな関係性がとても好ましいと感じている。だから、下手に大人と話すよりも、子どもと話している方がたくさんの発見につながるし成長できると思っている。

真剣勝負なのだ。

私は、子どもといえど1人の人間として捉えている。こちらが食われることもあると思っている。ましてや、これからの時代、本気を出した令和人類に我々のような昭和…いっても平成人類が発想的にも勝てるわけがない(本気を出した令和人類は簡単に富を築けると思っている)。

まさに一触即発、カバディ状態。カバディカバディカバディ・・・・・・。


というわけで、

未来のおこぼれに預かろうと、今日も姪へのご機嫌伺いを欠かさないのであるw


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