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科研費をあててしまった件

イラスト:ⓒshigureni様

前回の記事からもう半年以上経過してしまった。やる気あるのか。

前回の記事の後、私は科研費を申請し、そして推しとチェキを撮った。推しとの初めてのチェキは、1回目は緊張の余り表情が固まり、2回目は推しが顔を白塗りしてきたので動揺してしまった。いずれも推しとの接近に意識が向きすぎてしまったことが敗因だった。2回とも失敗(自分内評価)したショックで泣けた。

その日は3部構成だったので、次がラストチャンスだった。失敗するわけにはいかない。3回目の私はもう、順番が来るなり「私、このポーズします」と推しに宣言した。頭の良い(顔も良いが)推しは頷いてポーズを合せてくれた。するとカメラマンさんが「いいですね」と言ってくれるくらい、私も推しも自然な、良いチェキが撮れた。

チェキ撮影は協働作業だ。推しは撮られるプロである。そんな推しを信頼すること、そして自分は自分のベストを尽くすことが何より大切なのだと学んだ。

で、科研費である。昨年10月頃、なんだかもう心身ともにぼろぼろの状態で送ったにも関わらず、今日見たらどうやら採択されたっぽい。まじかよ。

先にも書いたように、私の職場は科研費申請に対してシビアなので、正直採択されてほっとしている。しかし、私のやっているようなニッチな領域に公的なお金を投入しても大丈夫なのだろうか。もっとこう…iPSとかそういう方面に投資すべきと周りから思われないだろうか。あるいは人文社会系でも私なんかよりもっと真面目に努力している人がいるのではないだろうか。根が卑屈なのでそんなことを考えもしたが、まあ令和っぽいテーマだと審査員に思ってもらえたのだろうと素直に感謝しておく。

そう、卑屈になるのは良くない。絶対に。最近「オタクは気持ち悪いものだから日陰に隠れておくべき」みたいなつぶやきを何個かTwitterで見かけた。私より上の世代、アラフォー以上くらいのオタク当事者の中には、そういう考え方をする人が結構いるようだ。萌え絵とかが問題になると「オタクが市民権を得たと勘違いするから」的な苦言を呈している。

個人的にはそういう考え方自体があまり好きではない。まあ、「腐女子はカップリングの話を公の場で大声でするな」くらいなら分からなくもないのだけれど。オタクは気持ち悪いから身をひそめるべき、とオタク当事者が自虐的に言うことが罪深いと思うのは、他者がその言説をもとに「やっぱりオタクって気持ち悪いんだ、自分でそう言ってる人もいるじゃん」と考え、その人以外のオタクを攻撃する手立てを与えてしまう可能性があるからである。

かつてはオタクの自虐=自衛であったことは承知している。だけど、下の世代にまでそれを押し付けるのはいかがなものか。そんな自虐や自衛が必要とされない状況(社会)、迫害のない世界が成立可能なら、その方が良いのではないだろうか。実際、私は自分がオタクであることで周りから気持ち悪いとか言われたことがほとんどないので、私より下の世代ならなおさらそうなのではないかな、と思ったりもする。

だから、私がやっているようなニッチな研究が公的な支援を受けることができるのは、私だけの問題ではなく、いろんな意味や可能性を持った話なのだ。それを忘れないようにしたい。

ともかく、5月にまた推しとチェキをとるので、そのときに向けて色々と頑張りたい。自分は自分のベストを尽くすことが何より大切なのだ。

ちなみに今回の申請書ではnoteに触発され、フォントはメイリオ 11ptにしていました。



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