サブカる心理臨床と科研費申請

noteを登録したくせに全然記事を書いていない。
怠惰な私であるが、研究者としていかに生きるべきかを割と常に考えている。

科研費申請の季節である。
応募したのはこれまで3回ほど、採択されたことはない。他の職場を知らないが、私の職場は科研費採択への熱が高く、科研費をとらずんば人にあらずという雰囲気すらある。つまり私はまだ人ではないのだ。たぶん魚類くらいだと思う。

昨年の今頃は通常業務でしぬほど忙しかったのだが、深夜まで残って書類を作ってタクシーで帰っていた。さっき昨年の応募書類を見直したら、自分が泣きながら書いた内容なのに完全に忘れていた。そのくらい突貫工事で作った書類だった。
今年もそんなに書類作成にかける時間的余裕はない。しかし応募しなかった場合にはペナルティがある。もうこの際、ペナルティを受けてもいいから来年度まであたためていたい気持ちがあるのだけれど、小心者なのでおそらく何かしらは作って出すのだろう。

私が科研費申請に対して気おくれしてしまうのは、「私のような者の研究が社会的に評価されるなんてありえない」みたいな信念、おたく的な絶え間ない内省(というかどうしようもない卑屈さ)があるのだと思う。
職業と同じく研究にも貴賤なしだと思うのだけれど、科研費データベースとか見てても、他の人のやっている研究はとても立派に見える。いかにも社会に役立ちそうだ。それに比べて私といえば…「サブカる心理臨床」ってなんだよ…と自分で自分に突っ込みを入れずにはいられないのである(※そんな題目で申請しているわけではない、さすがに)。

これまで科研費に関する研修も受けてきて、語弊があるかもしれないけれど、申請にはある程度のハッタリ感というか自己愛的な側面も必要なのだと感じている。「こんなすごい研究やってるんですよ!(すごいとはいってない)」「こんな社会的アウトカムありますよ!!(あるとはいってない)」みたいな。知らんけど。
自分の場合、研究計画に自身の性癖が滲み出ているのがほんまにやばい。顔も名も知らない審査員にどう思われようと別に構わないのだが、日頃お世話になっているURAさんにこの、どうしようもなくニッチな研究計画の校正をしてもらうのがめちゃくちゃ申し訳なく感じる。

しかし、どこかの時点で、自分の研究を恥じるのをやめないといけないんだろう。でないとこのもやもやとずっと付き合っていかなければいけなくなる。胸を張って「サブカる心理臨床って面白いでしょぉ~」とかってひとに言えるような…、そんなの私じゃないしおたくでもない…アイデンティティの危機…。

とりあえず目先の褒美に向けて頑張る。

俺…科研費申請が終わったら推しとチェキとるんだ…。

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