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サブカルチャーのこころ:オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた(ゼロ)

『サブカルチャーのこころ オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(木立の文庫)、ご購入や感想などありがとうございます。

アフィリエイトとかじゃないので気軽にご購入ください。

Amazonもいいですが、楽天さんや、大型書店の店舗に置いてもらうのも嬉しいですね。あと、おしゃれな個人経営の本屋さんとかが置いてくださってるのもありがたいです。
ヴィレッジ〇ァンガードとか受注こないかな。
それと大〇書店さん。京都発祥の研究会が京都の出版社から出した本ですので、ぜひ〇垣書店さんにもご縁があれば置いていただきたいですね。

さて、さぶここの舞台裏、その2です。

さぶりんけんとの出会いは本の5章に書きましたが、さぶりんけんと出会う前の私個人の体験になります。ですので「ゼロ」としました。
さぶここの宣伝というよりは、全部が全部、自分語りです。

サブカル臨床/研究の源泉


「楽しそうなことしてますね」

実際に面と向かって言われたことはないですが、私の頭で言われたらどうしようと思っている言葉です。
現実に溢れる数々の臨床心理学の諸問題ではなく、ゲームや漫画やアニメや芸能について研究していることを誰かに非難されたらどうしよう、といつも不安です。
たぶん、研究会でもいちばん私がこうしたことにナーバスだと自覚しています。超自我さん勘弁してください。

正直なところ、私がサブカル臨床/研究を探求しているのは、それが好きだからという以上に「それしかできなかったから」というのが大きいです。
私は卒論、修論、博論すべてでテーマを変えています。学部から大学院にかけて、私の関心は常に拡散し、方向性を失っていました。

そんな自分がサブカルと心理臨床との接点を研究テーマにするか、みたいになり始めたのは、D2の頃の体験が影響しています。
ある日、大学院の先輩の男性からこんなことを聞かれました。

「腐女子のクライエントと会ってて。笹倉さんに詳しく教えてもらいたい」

大学院時代、私はオタクであることは隠してはいませんでしたが、特にアピールもしていなかったし、ましてBL好きなことは公言していませんでした。
「なんでばれた・・・?」という反応の私に、先輩は「誰から聞いたかは教えられない」と言われました。私のことなのに・・・!?

まあそんな感じで、腐女子について臨床心理学的な観点から誰かが書いた方が良いのだろうか、良いんだろうな、でも自分自身まあまあ古の腐女子だから自虐もスティグマも根深いものがあって、そういう研究をすることによって自分がオタクとか腐女子当事者だと発信する勇気も持てないし・・・とか当時は思ってました。

強烈な怒り、からの「書かなければ」

同時期。2007年に小島アジコの『となりの801ちゃん』が発売された頃からでしょうか、腐女子はすごく世間の脚光を浴びるようになりました。当時、今でいう当事者研究的なものもありましたが、誤解や偏見を生むものも少なくありませんでした(2008年の東村アキコの『海月姫』が「腐女子」という語を「オタク女子」として誤用しているのは有名ですね)。

そういう時期に、母校の大学で心理学と関係ない学会が開かれていました。その学会がなぜか『腐女子』をテーマにしたシンポジウムをしていて、そこの学生なら200円くらいでパンフレット買って見に行けたので覗きにいきました。

そのシンポジウムで感じた気持ちを、今でもよく覚えています。
壇上では、タイトルに腐女子の名を使って耳目を集めながら、男性研究者たちが腐女子やBLを堂々と嗤いものにしていました。
これは私の被害妄想ではなく、腐女子への無理解と偏見に満ちたあまりの内容のひどさにフロアはブチ切れ、シンポ後半ではシンポジストが「大人になっても漫画読んだりアニメ見たりしてる奴らみんな未熟」みたいな暴言吐いて大炎上してました。

私がそのとき覚えたのは、強烈な怒りでした。

「私が書かなければ」

はじめて、そう感じました。
それまでは巷の腐女子研究とかについて、誤解されるくらいなら理解しなくていいから放っておいてほしい、そんな風に考えていました。
しかし、目の前で、私とまったく関係のない中高年男性たちに、自分が人生を救われたくらいに感じているジャンル(BL)をこうも貶される筋合いはない、こんな誤解や偏見や搾取には到底耐えられない。
当事者である自分もそうだけれど、腐女子のクライエントがそのように雑な理解で扱われるのは絶対に許せない。
そういう思いで学内紀要に書いたのが、腐女子についての論文でした。

さきほどの先輩とは別の女性の先輩から「読んだよ、なんか、なんか・・・元気づけられた」と言われました。純粋に、とても嬉しかったです。
そして久しぶりに山中康裕先生とお会いしたときに、私の論文を読んでくださっていて、僕もこういう子と会ってるんだよ!と言ってもらえたのもすごく励みになりました。ヘルメス研究所での研究会で、開口一番「腐女子が来たぞ!」と言われたのは気まずかったですが・・・今では良い思い出です。
あと、母校以外でも紀要論文をわざわざ読んでくれた人が研修会で声をかけてくださって、今では友人兼、研究会の仲間でもあります。

ちなみに山中先生は学部時代の副査で、院生時代には研究会でとてもお世話になりました。『窓』概念は私の臨床/研究の中核となっています。


永遠に続く、自問自答


「オタクとか、そっち関連で研究をしても良いのかもしれない」
「自分が臨床で感じている手ごたえを、発信してもいいのかもしれない」
「というか、それしかできないんじゃないか、私」

D2の頃に、ようやくそういう意識が芽生えたというか、自覚がでてきました。私はとても飽きやすいし、お世辞にも研究が得意ではないので、一生自分が飽きないこと、というと、オタクであることしかなかったのです。

幸いにして、というか、大学院を出た後、私は病院の他に学生相談に職を得ました。そこで時代の最先端を生きる若者たちからたくさんのサブカルチャーの話を聞き、共有し・・・ということを繰り返すうちに、自分なりの臨床スタイルのようなものが作られていきました。
ちなみに私は覚えていませんが、元同僚が言うには、大学院出たての私は何かといえばすぐ「(母校の)〇〇先生がこう言っていた」と口にしていたそうです。まったく自覚がない、ただただ己が恥ずかしい。
まあ、臨床も研究も、そのくらい自分の軸が弱かったんでしょうね。

自分がサブカル臨床(クライエントの好きなものを大事にする臨床スタイル)をするようになってから、それらを発表したり、検討したりする機会も増えました。
そのたびに「このやり方で本当にいいのかな」と自問自答していました。
本当はもっと良いアプローチがあったのでは?あるいは私というカウンセラーと出会わなければ、この人はこんなにガチなオタクになることはなかったのでは?といった葛藤もしょっちゅうでした。

ていうか、今でもそうです。研究会のメンバーと出会ってから、やっぱりサブカル臨床は役に立つよなと実感してはいますが、それを身内の外に向けて発信する言葉が足りていないことに後ろめたさを感じずにいられません。

「楽しそうなことしてますね」

で、冒頭の超自我の声につながるんですが、私個人について言えば、別に楽しいからこういう研究やってるわけじゃなくて、前述のように自分にはこれしかできないからやってるんです。
それが臨床の、クライエントのためになると思っていて、ためになることをある程度は客観的に示したくて、研究してるんです。事例研究だけじゃなくて、質的研究だけじゃなくで、量的研究もしないとって。

研究していくと、ためになるケースばかりじゃないことも分かってきます。
まあ実際、サブカル臨床は基本的には捨てるところがなく、「沖縄の豚」とも呼ばれるほど有用なのですが(私の調査研究による)、そのアプローチではうまくいかないケースというのももちろんあります。
サブカル臨床は有効だが、万能ではない
うまくいかないときどうするのか、それも研究することで明らかになってくるし、していかないといけない。

しかし、そうやって常に自分で自分を戒めようとする、自重したがる姿勢自体が「なんか・・・オタクっぽいな」とさらに自分を追い込んでいる気もします。

おわりに:時代が追いついてきた、けど


心理臨床学研究に掲載された論文『漫画やアニメについて他者に語るプロセス』が2010年だから、自分がサブカル臨床/研究に本格的に着手してからもう軽く十年以上経っています。
この論文は幸いにして、よく引用してもらったり、同業者から「学生が参考文献として持ってきた!」と教えてもらったりします。

この十数年のあいだに、オタクの市民権はさらに拡大され、さらには推し活ブームもやってきました。
今やオタクじゃない人の方が「私、熱中するものがなくて・・・」などと悩む時代になってきています。

『サブカルチャーのこころ』もありがたいことに好評のようで、構想5年、一時は「もう出ないんじゃないか」とまで追い詰められていたんですが、今となっては2023年に出たことが良かったのかもしれない、とも思います。

今、あのシンポジウムで壇上に立っていた人たちはどうしているのだろう。毎日ではないけど、ときどき思い出します。

”怒りは時とともに薄れてしまうから、毎日何度も思い返して”

私の大好きな戯曲、ナイロン100℃『フローズン・ビーチ』(作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ)の一節です。
好きすぎて、学生時代に一幕だけ上演してしまったくらい(役は愛・萌)

私が研究や執筆に打ち込むときは、たいてい誤解からくる哀しみや、強烈な怒りが原動力となっています。

今後も色々と活動をしていくかと思いますが、「ああ、このひとの根底にあるのはそういう感情なんだな」とか、思っといてもらえたら幸いです。


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