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さもないごちそう 「ミートソース」

仕事の都合上、帰宅時間はいつもばらばらだ。
早いときは19時頃、遅いときは23時近くなってしまうこともある。
別に時間外労働を強いられているわけでもないし、世の中には残業代も出ないのに残業をして、終電で帰る人もいるのだから、私なんてたいしたことはない。毎日残業終電。ナンセンスで時代遅れも甚だしいが、きっとそういう人もまだ世の中には一定数確実にいる。
「お疲れ様です。でも辞めた方がいいかもしれないですその仕事」と、そっとコーヒーの一杯でも淹れてあげたい気持ちになる。
太陽が沈んだら、カラスが鳴いたら、みんなこぞっておうちへ帰るべきなんだと思う。そういう世の中の仕組みには、もう二度とならないのだろうけど。

そんな話をしたかったわけじゃない。こんな私でも、たまには帰る時間が遅くなる日もあるよってことが言いたかっただけなの。

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実家暮らしの私は、帰宅すれば夕飯がある。どんなに疲れていても、たいしてそんなに疲れていなくても、いつも美味しいご飯が待っている。当然ご飯が勝手に待ってるわけじゃない。母がいつも作って待っていてくれる。
わかってる。甘ちゃんだ。私は甘々の甘ちゃんだ。
甘ちゃんだから、ご飯を食べるときは作ってくれた人にリアクションで感謝を伝えようと心がけている。
元気よく「いただきます」と言う。
「これ美味しいね」と目を丸くする。
簡単だけど大切なことだから。
母の料理はだいたいどれも美味しいから嘘をつく必要はない。黙って食べることはマナーとして大事な場面はあるかもしれないけど、我が家の食卓においては黙って食べる方がマナー違反だ。盛大に話しながら食べる。今日あったこと、味付けの仕方、なんだって良い。だってその方が、お母さんも嬉しそうだもの。

ある日、母から「久しぶりにミート作ったわ。ネジネジにする?」とLINEが入った。すぐに「やった!ネジネジでお願いします」と返事をした。
(*ネジネジとは、螺旋状のネジネジしたパスタのこと。)

母の作るミートソースは至ってシンプルで、特別手の込んだことは何もしない。ただ、クリスマスや何かのお祝いだったり、ちょっとした特別な日に、ミートソースに粉チーズをたっぷりかけたスパゲッティが登場することが、わりと多かった。
ミートソースを作ったとき、母は必ず「今日はミートを作った!」と宣言する。なのでこっちも「おぉ!!」というリアクションを返す。ちょっと特別なことが起こったぞと、ワクワクする。

子どものころ、好き嫌いが多くて母を困らせた。お肉もお魚もほとんど食べず、少しの野菜とあとはほぼ白ごはんと納豆だけで生きていた。冗談ではなく、本当にそうだった。
そんなわがままな私に、母は無理やり何かを食べさせることはしなかった。大人になったら食べるようになるとわかっていたのだろうか。おかげで食事に関する記憶の中に「つらかった」とか「嫌だった」というネガティブなものがひとつもない。毎日美味しいものを食べていた記憶しかない。
食べることを嫌いにならなくてよかったし、嫌いにならずにいられたのはきっと母のおかげでもあると思う。

そんなかなりの偏食っ子だった私も大好きだった一品、それがお母さんのミートソースだ。「ちょっとトクベツな日にでるおいしい赤いやつ」というキラキラした料理を、私はいつも喜んで食べた。

もしかして、だからなのだろうか。
母が今もなお私に「ミートソース宣言」をしてくるのは。
食べれるものが少なかった私が嬉々として食べた料理、それがミートソース。母は私が喜ぶと思い、だから今も「ミート作ったよ」と報告をしてくれるのだろうか。
もしもそうなら、もしもそういう理由なら、「ミートソース宣言」には、母の大きな、とても大きな愛情が詰め込まれているのではないだろうか。
母という存在は、なんて偉大で、たまらなく愛おしいのだろうと思うと同時に、「やったー!」と喜ばなかった日があったのでは…と、冷やっとする。「へー」とか「あ、そう」とか、そんな返事をしてしまった日も、私のことだからきっとあったに違いない。とんだ馬鹿野郎だ。
今更になって実感している、日々の食事に対するありがたみと大きすぎる愛。
やっぱり今日も、「いただきます!」「これ美味しいね!」と言いながら、盛大に会話をしてご飯を食べようと思う。


「ミートソース」
合挽き 人参 玉ねぎ トマトピューレ
赤ワイン ブイヨン ケチャップ 中濃ソース 塩胡椒 

1.フードプロセッサーで人参と玉ねぎをみじん切りにする。
2.合挽き肉を炒める。火が通ったら1の野菜を加えて炒める。
3.トマトピューレ、ケチャップ、赤ワイン、中濃ソース、塩胡椒、ブイヨンを入れて煮る。

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