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今日も今日とて、お母さん。-そうだ、リス園行こう-

日々がマンネリ化してしまっていることに気付いたのは、「今日もまた昨日と同じ流れをこなすのか…」と思ってため息が出てしまったある日の朝だった。

子は2歳になった。
「今がピークだ!」と思っても、日々ピーク値が更新されるため終わりが見えないことでお馴染みの、イヤイヤ期真っ最中。
自分の思い通りにならないと「うわぁあ!」とのけぞり、道路だろうがなんだろうがひっくり返り、突っ伏す。我が家の2歳は、一食でうどん一玉とバナナ2本をぺろりと平らげ、昼寝もしないで遊び続けるパワー系へと進化した。

力が、まじで強い。すごく、強い。
だがこっちも負けてはいられない。「ママを舐めんな…!」と教育上あまりよろしくない言葉も時折使いつつ、道で寝転がる子を肩に担いで帰る、なんてこともしばしば。


こんな可愛らしい一面もあるには、ある。


「今日の夕飯どうしよう?」と考えるのと同じように、「今日はどの公園に行こう?」と毎日考える。
行き慣れた公園が3〜4つあるものの、さすがに3〜4つを毎日繰り返してると私も飽きてくる。たぶん、それは子も同じなのではないかと思う。

今日はA公園で1時間くらい遊んで、帰りはお花いっぱい咲いてるあっちの道通って帰れば、もう少し体力消耗できるかな。

今日はB公園にしよう。保育園の子たちが来るかもしれないから、そしたら一緒にたくさん遊べるだろうし、来なかったら近くのC公園にも寄ってみようかな。

というように、とにかく子の体力を消耗させるためのメニューを考えがちになる。


だけど本当にそれでいいんだろうか。
子との時間が、いつのまにか「こなす」時間になってしまっている事に気付き、なんだか少し悲しく不安になった。
それはとても勿体ないことなのではないか。

道路でひっくり返られることも、肩に担がなきゃどうにもならないことも、なにもしてないのに「痛ーい!」と大声で叫ばれることも(これは本当にやめてもらいたい)日常茶飯事だけど、私がそのことに決して慣れた訳ではない。
人の目は気になるし、圧倒的孤独感と無力感に涙が出そうになるときもある。

私がどうして同じ公園や同じ場所で遊ぶのか。答えは簡単。楽だから。安心だから。
危ないところもわかっているし、子のお気に入りのポイントもわかっている。散歩ルートも組み立てやすく、たとえ泣き叫ばれても他のカードが切りやすい。

新しい場所だとそうはいかない。
不足の事態に対応することはなかなか難しい。何が起こるかわからない。
それらの、だけどたったそれだけの理由が、私に「子との時間のマンネリ化」を生み出させていた。


私は思い出した。
子と二人で初めてイオンへ行った日のことを。帰りにスタバでトールサイズのホットのスターバックスラテを買い、泣きそうになるほど嬉しかったあの日のことを。


泣き叫んだっていいじゃないか。
ひっくり返ってもいいじゃないか。
いつもと違う場所へ行ってみることが、あのときのようにきっと私をまたひとつ成長させてくれるに違いない。近頃の私に足りなかったのは、こういう冒険だったんだ!

よし、やれる。
私、今日ならやれる。

そうだ!行こう!リス園に!!!!!


🐿️🐿️🐿️


車での移動にはなるが、そこではたくさんのリスや小さな動物と触れ合える。私も子どもの頃に一度行ったことがあるのだが、園内の様子をはっきりとは覚えていない。だけど友人にも「子連れはおすすめ」と教えてもらっていたこともあり、今回の冒険の場所に選んだ。

近くのパーキングに止め、「リスさんのところ着いたよ。会いに行こうね」と伝えると、子は「うふふ、いっぱーい?」と、とてもうきうきしたご様子。ちなみに子はリスのことを、なぜか「うふふ」と呼ぶ。

車通りも結構ある初めての道を二人で歩くのはなかなか緊張する。いつものように手を振り払って走り出しはしないだろうか…とどきどきしたが、すんなり手を繋いで入園口まできちんと歩いてくれた。

園内に入るとこじんまりとしているものの、モルモットやウサギもけっこういて、一皿100円のエサを購入すればエサやりもできる。

日頃から近所の公園で鯉やカモにパンをあげまくっているせいか、子は動物へのエサやりにひとつもビビらない。あまりにビビらないことにこちらがちょっとビビるほどビビらない。

モルモットたちの勢いはすさまじく、「いやモルさん、それもう指いってますやん」というくらいにがっついてきていたのだが、子はそれにも全く動じず、「どじょー」と言ってモルさんの口へレタスを運び続けていた。

どじょー



リスの放し飼いゾーンではエサやりのためにミトンを着けなければならないのだが、子はそれもすんなりと着けてくれた。ただここのリスたち、距離の詰め方がすごいので、じっとしていると足元から登ってくる。
私があわわわとなっていると、子も少し怖くなったのか「ぎゅーしてぇ」と抱っこを要求してきた。私がここで堂々と、ナウシカの如くリスを肩に乗せながら微笑んだりしていたら、きっと子も怖がらずに済んだだろうに…と思ったが、私はナウシカじゃないから全然あわわわしてしまった。


放し飼いゾーンではリスが驚かないように、走らず歩いて移動しなくてはならない(隙あらば登ってくるリスに人間側は驚かされまくっているが)。
子は、基本移動がダッシュなので「走らない」ができるかとても心配だったけど、「リスさんびっくりするからゆっくりだよ」と言うと「はーい」と言って、ちゃんと歩いて移動ができた。

一通り動物と戯れたあと手洗いをして、私たちはアイスを食べることにした。
まるで夏のように暑かったのでパラソルの下のベンチに座り、いちごのアイスを食べた。
「あいしゅ、おいしーね」「うん、美味しいね」と言い合い、1つのアイスをはんぶんこした。


いつもと違う場所に来れた。
手を繋いで歩けた。
お約束をたくさん守れた。
なにより、子がとても楽しそうだった。

「こなす」日々に不安を抱き、マンネリ化している日常を少しだけ変えたくて行った今回の冒険は、また私に「できたじゃん!」と自信をつけてくれた。

大好きなジョージに「ちゃちゃ、どじょー」



帰宅後さすがに疲れたのか、子はすぐに昼寝をした。
ぐっすり眠って目が覚めたあと、一緒に今日の思い出をクレヨンで描いた。私の下手くそな絵に、子のカラフルな色が重なる。
リス、ウサギ、モルモット、エサのニンジンとレタス、ミトンなどを描いていると、子が「あめ」と言った。

あめ?なんだろう。

あめ…雨…あ!傘!?

子は、アイスを食べたベンチのパラソルのことを言っていたのだ。
子は確かにあのとき、真っ赤で大きなパラソルを何度も見上げていた。
そうか、あの景色が残っているんだね。
真っ赤だったもんね。おおきかったもんね。

私が忘れかけていたことを子が覚えていた。
嬉しかった。リス園に行ったからといって、思い出はリスだけじゃない。子にとって、あのパラソルはとても大切な思い出なのだ。心から、「行ってよかった」と思った。



それから数日経っても、子はときどき「うふふ、わーって。まま、わーって!」と言って、リス園のことを思い出している様子。

子は覚えている。日々を。
「こなす」だなんて、「マンネリ」だなんて、私はなんと馬鹿なことを考えていたのだろう。大切に大切に、暮らしていかなくてはいけない。やっぱり私はまだまだだ。

子が覚えているように、私も忘れない。
モルモットにたくさんレタスをあげたこと。ヒマワリの種をどうしても落としてしまって悔しそうだったこと。手をきちんと洗えたこと。走らず歩けたこと。そして真っ赤なパラソルの下で、いちごのアイスを食べたこと。

次はどこへ冒険に行こうか。新しい場所へ行くことにポジティブになれている自分が、少し誇らしい。


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