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長く悲しかった親の介護の話 その2


いつもありがとうございます。
先日のその1は、暗い暗い内容でした(笑)。読んでくださった方には申し訳ないです。

自分自身の備忘録としてと、亡くなっている母へのメッセージなのでご容赦ください。

しかししかし、その2があります。

母が2度倒れて、再起不能(完全な半身不随、知能生涯、完全な言語障害)になり、父中心で、私と姉、妹と協力して、また様々な方に助けてもらいながら病院を転々としていました。

一番苦しかったのは、松山市のリハビリ施設から母の転院先を探す時。会社に出社した上で昼休み等に公衆電話(携帯が出てくる直前の時代)からいろいろな病院に交渉の電話していた時。毎日精神的に追い込まれていました。

そして結局田舎の病院に入院できることとなり、また大移動でした。そして田舎で3ヶ月単位に2つの病院を行き来してましたが、母が倒れて2年以上経過していたでしょうか、田舎の特別養護老人ホームに空きができ、入らせてもらいました。そしてこの頃には法律ができ、家族で全てを診る必要が無く、重症でない限り病院側で診てくれるようになっていました。確か同時に
介護保険もできたのだったか?

特別養護老人ホームは、金銭的にも助かりました。それまで私だけで3~4百万は出費していたのですが、特別養護老人ホームに入ってからは出費が少なくなりました。

特別養護老人ホームに入ってからは、少しは平穏な毎日になりました。ただ時々ケガや肺炎等で呼び出し食らって、姉、妹と誰が最初に戻れるか相談してやりくりしていました。また盆と正月等は母を実家に戻して、家族で介護していました。

~ここからまた暗くなりますwすみません~

その実家に時々妻を同行させていたのですが、これが本当に苦痛だったようで、今考えると申し訳ないことをしました。私も介護はさせないと約束したものの、田舎に帰ると長男の嫁として見られるし、狭い家で逃げ場もなく、介護を手伝う私よりずっときつかったことと思いますが、それはその時にあまり気づいて上げられませんでした。一番そばにいる人をないがしろにして
いたという情けないし、申し訳ない話です。

ただ今度は父が徐々に悪くなっていきました。それまでも病気がちでしたが、前立腺肥大の手術、山で転倒して股関節を強打し、人口関節の手術、膀胱がんの手術等とともに認知症の兆候。

詳しく書けませんが、その頃から会社でも、足元を見られて上司の嫌がらせが始まり、ついには部署を追い出されて単身赴任となりました。介護が必要な両親と妻と娘2人を抱えた私が戦えない、会社を簡単に辞められないことを知っての嫌がらせですが・・・

単身赴任先からは、家族のいる松山市と実家を同時に戻ることが難しく、時々どちらかに戻る生活でした。母は2ヶ月に一回しか会えませんでしたが、私と会うと満面も笑みでした。息子だと認識していたのかどうかは最後まで分かりませんでしたが、再起不能になっても優しい性格の人でした。

時々特別養護老人ホームから連れ出して車でドライブした時は、最高の時間でした。

母には言いたいことがありました「助けられなくて本当にゴメン。生まれかわっても親子になって欲しい。その時は絶対に親孝行をして楽させるから・・・」とか。でも言うと2人で大泣きして恥ずかしいことになるから言えませんでした。

2013年には大阪転勤でさらに遠くなりました。

そして2013年の11月母は突然逝ってしまいました。大動脈解離で即死でした。長年の高血圧で身体中の血管がボロボロだったのだと思います。姉からの電話で知り、すぐ飛行機に乗ろうとしたら満席で、JRとレンタカーで葬儀場に向かいました。情けないことにずっと涙が止まりませんでした。

JRのトイレに何度もこもってしまいました。みっともないことです(笑)。

喪主の挨拶では、普通のことを言わずに、母が素晴らしい人だったことを強調しました。

葬儀等終えて単身赴任先の大阪のマンションに戻りましたが、毎晩11階の部屋のベランダに出て、「ここから飛んだら母に会えるかもな~」と考えたりとか、アホなことが日課になっていました。もちろん死にたいと思ったことはありませんよ。

普通ならこことで一段落なのですが・・・

父はその前から認知症の進行が激しく、病院で寝たきりの状態になっていました。父が問題行動が多く母とは違う苦労を味わいました。父のことも少しフォローしますと、どうにもならない人だったものの、母が倒れてからは、母の面倒を一生懸命みてくれていました。

父は、2015年に亡くなりました。

両親ともにいなくなると、心にぽっかり穴が空いたようです。

長年の介護を通じて良かったこともあります。それは他人の苦しみがそれまでより分かるようになったこと。そして親のオムツを変えてこそ初めて大人になったのではないかということ。良くはわかりませんが、少しだけ成長できたかもしれないです。

また合計100人以上の方にお世話になり、助けられたことに感謝しています。

しかし、母には今でも助けなくて本当に申し訳ないと思っています。家族や他人のために一生懸命で苦労しっぱなしの人生を終えた母を想うと今でも心が苦しいです。

恥ずかしがり屋だけど、明るくて、正義感が強く、器用でなんでもすぐにできて、尊敬でき、私と気が合う母でした。若い頃にもっと一緒に旅行したりしたかったし、カラオケも一度ぐらいは行きたかったですね。もっと顔を見せてもっと一緒に住んであげたかった・・・・

独身の時の母の写真を記念に

さて、このようにずっと後悔ばかりしていましたが、前回と今日noteに書くことで、区切りをつけて今より前を向きたいと思います。

せっかく暇な時間が沢山あるので、ビジネスを手掛けたり、困っている人を助けたりできたらと思っています。

以上長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回も暗い話でごめんなさい。これ以上暗い話はもう無いはずです(笑)。

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