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支えになってる言葉【発達障害男子と過ごす編】

うちの息子10歳は、5歳のときに「自閉スペクトラム症」と診断をうけています。


一見ふつうに見えるし、
得意なこともあるけれど、

メンタル面での凸凹が大きいために
大声での癇癪をおこしたり

キャパシティ不足からくる予定の調整や、
気持ちの切り替えなどが苦手
なタイプです。


・ひとつ「やらなきゃ」があるとパンクする
・宿題は気が乗らないとできない
・逃避でゲームしがち
・スプラで負けるとキレて泣く

・自分の興味ある話しかしない
・思い込みがはげしい
・まだ手も出るし癇癪も日常
・疲れすぎると熱出る、起きてこない



正直、1〜2歳のころも「うちの子なんかちがうよな」とは思っていましたが、

それは知的や運動面で、目立つ遅れがなかっただけで。

3歳半検診に行ったその日に別室に呼ばれ、
多動性と衝動性が強めだね〜」と定期健診をすすめられ。


そして、小学校に上がる前のタイミングで、

診断があったほうが何かと支援を受けやすい
・『放課後デイサービス』で療育を受けるには診断書がいる

この2つの理由から、WISCの検査と医師の診察をうけて今に至ります。


今日は、そんな息子と過ごすうえで、心の支えになっている言葉を3つ紹介します。


◆①「実年齢より3割幼いと思って」


「身体は大きいけど、実年齢より3割幼いと思って接してください

これは、定期健診に通っている病院の先生に言われた言葉。

いま10歳なので、
つまり7歳児と思え、ってことですね。



これ、たしかにそうだなーと思うときは多いです。

うちは、6歳の娘が逆にちょっと大人びた感じなので、正直たまに「あっ追い越したな…」って思うときはあります。


ただし、その一方で「14歳かよ」と思うような大人びた言動をするときもあります。

なので、ただ幼いというよりは、精神年齢の幅が広い=年相応のことを考えてるとは限らない、と捉えてもらったらいいかと。


ただ、定型男児のママ友と話していても、
・手紙を出さない
・連絡帳を書いてこない
・ゲーム終わらない

などあるあるネタはほぼ同じなので、そもそも男子はそんなもんなのかもしれません。

「実年齢より3割幼い」イライラしたときには、冷静になれる言葉です。


◆②「中学生くらいまでは乗ってくるね」


もう一つ、病院の先生に言われた言葉。
定型発達の人からすると、え?って思うかもしれません。

物理的な話です。
10歳、わたし(母)の上に乗ってきます。


「重い」「やめて」「乗らんといて」は365日毎日言っていますが、まったく通りません

2〜5歳くらいによくあるあの光景が、オカンとほぼ同じ身長に育った今も、現実問題としてそのまま続くんですよ。


…人間はな、見た目のサイズで判断されるんやで。



まぁ、でも「外ではやらない」は本人の中でもちゃんとあるようなので、あくまで外で頑張ってる反動なんだと思っております。

そして、「ママはあなたがキライなのではなく、その行動がそろそろあかんのです」と伝え続けています。

頭をなでる、セルフハグなど代替案は提案していますが効果が薄いため、あと1〜2年だと信じてがんばります。


※逆にいえば、この言葉を知らなかったら、もうそんなことする年じゃない!とピシャリと本人の意思をぶった切ってたわけですよね。

「そういうもんだから」と教えてくれた、心理の先生には感謝しています。今のところ二次障害がおきてないのは、このおかげもあるのかも。


ちなみに、異性の親とは、10歳からは一緒に寝るのは不可だそうです。
つまり、9歳まではギリギリOKとのことでした。


◆③「愛は信念」「可能性を信じる」


これは、最近知った言葉です。

昨年、心理学の名著、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』をおすすめされて、読んでみたんです。


1956年に書かれた本なんですが、全然、現代でもOKな内容でびっくりしました。

内容をかんたんに言うと、

・愛することは技術であり、スキル
・愛とは、相手がその人らしく生きていくことを『願う』姿勢

つまり子供の可能性を信じていればよし

こんな感じです。



いくつか、本の中でよかったところをピックアップしますね。

人は意識のうえでは
愛されないことを恐れているが、

ほんとうは無意識のなかで、
愛することを恐れているのだ。


基本的に、なんの保証もないのに、何かをするのは怖いよね、って話で。

それでも、子供の将来を信じて療育に行かせたり、いろいろしてる人は、ちゃんとここに向きあってるんじゃないかと。


子どもの発達のための諸条件のうち、もっとも重要なもののひとつは、子どもの人生において重要な役割を演じる人物が、そうした潜在的可能性にたいして信念をもっているかどうかということである。

その信念があるかどうかが、教育と洗脳のちがいである。教育とは、子どもがその可能性を実現していくのを助けることである。

子供の可能性を常に信じて与えるのが、教育。

子供のことを信じてなくて、何らかの「ちがう型」「社会的な型」にはめようとするのは、洗脳。


愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。
ある価値を、これがいちばん大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値にすべてを賭ける勇気である。

日々のかかわりも、療育も、デイも、習いごとも、学校すらも。

やることも、合わなければやめることも、思い切ってやる勇気


ほかにも名言がたーくさんありますが、

親の側が不安から行動してるか、
子供の可能性を信じて行動してるか。

このちがいは大きいと思ってます。


ただ、どんな場合でも一方通行にならず、

子供の側がそれをちゃんと
受け取れているかどうか
は、

こまめに確認しないといけませんね。


我が家も、まだまだ正解はわからないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。


でも、どんな道であれ、選んだ道が、子供の可能性につながってると信じて、能動的にかかわっていく
そこはあきらめたくないなって思ってます。


疲れたときは、朝から一人でスタバに行くよ。


今日もありがとうございました!



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