地方映画史研究のための方法論(1)ミシェル・フーコーの考古学的方法
見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト
2023年3月31日に、展覧会記録集『見る場所を見る2——鳥取・米子・境港市内の映画館&レンタルビデオショップ史』(Clara、佐々木友輔、杵島和泉 著、鳥取大学地域学部附属芸術文化センター)を刊行した。
「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって第2弾の展覧会(米子・境港市内編)を開催して、今回の記録集を刊行する運びとなった。今のところ三ヵ年計画で、2023年12月開催予定の第3弾展覧会(倉吉・郡部編)で東中西部のリサーチが一段落する予定。鳥取で自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作(2020)と併せて、多面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび上がらせていけたらと考えている。
ミシェル・フーコーの考古学的方法
調査・研究に協力してくれる学生たちに、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有しておきたいと考え、この原稿を書き始めた。そこで真っ先に思い浮かんだのが、ミシェル・フーコー(1926-1984)の考古学的方法である。
フーコーの言う「考古学」は、一般的な意味で使われる考古学とは異なり、独自の意味が込められている。
大前提として、フーコーは歴史の連続性よりも歴史の不連続性や断絶を強調する。戦後のフランスの思想家や知識人の間では、ヘーゲルの歴史哲学やマルクス主義の歴史発展段階論が強い影響力を持っており、目的論的な歴史観(歴史は進むべき方向を持った連続的なものであり、人の行動の価値もその方向に沿っているかどうかで判断すべきという考え方)が支配的だったという。それに対してフーコーは、自分たちが生きる現在とは断絶した過去を掘り起こし、両者を比較することで、現在では自明だと思われている知の枠組みが唯一の真理ではなく、歴史の必然的な帰結でもないことを示そうとする。また、その知の枠組みが成立した条件を明らかにしようとする。こうした試みが「考古学」と呼ばれる。
『言葉と物——人文科学の考古学』(1966)
知の枠組み——エピステーメー(épistémè)
フーコーは『言葉と物——人文科学の考古学』(渡辺一民、佐々木明 訳、新潮社、2020年、原著初版1966年)で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作「ジョン・ウィルキンズの分析言語」に登場する「シナのある百科事典」を紹介する。
この分類は、現実と虚構の混在、重複した分類の可能性(例えばeとf)、分類の基準を超えたメタな項目(h)など、西洋的な思考からすると異常で破綻しているように見える。 ここからは、物の秩序を認識するためには、そうした認識に先立って知の枠組みが必要であること、またその知の枠組みは時代や文化によって規定されていることが分かる。『言葉と物』において、フーコーはこうした知の枠組みを「エピステーメー épistémè」と呼ぶ。
諸学問分野を横断しての分析
エピステーメーは、「哲学」や「科学」のような特定の学問のことではない。むしろ、そうした諸学問が成立するための条件——すなわち、ある時代や文化の中で、一見独立して成立しているように見える諸学問分野を横断して支える基盤のようなもの——として捉える必要がある。またそれゆえ、特定の学問のみに依拠したり、同じ分野の文献だけを読み込んでも、その基盤にあるエピステーメーを分析することはできない。 フーコーは、哲学、科学、博物学、絵画など領域を横断して膨大な文献を渉猟し、同時代的な知の枠組みの共通点を探り当てる方法をとった。
(1)中世・ルネサンス期(16世紀末まで)のエピステーメー
中世・ルネサンス期のエピステーメーは「類似」(相似)を基盤とする。
当時の人々にとって、あらゆるものは神によってあらかじめ与えられた徴=記号であり、世界は解読されるべき一冊の書物であった。この時代に重要な位置を占めていた解釈学と記号学は、互いに類似したものを見つけ出すことを通じて、神によって与えられた世界の秘密を解き明かそうとする学問だった。
例えば、博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディ(1522-1605)の『蛇と龍の話』では、「蛇類一般」について、種類や名称、生息地、食物、捕獲方、毒害の症状と治療法、蛇に関係する神話や神々、格言や紋章などが雑然と記述されている。ここでは、見られたもの(実際にヘビを観察して書かれたもの)と書かれたもの(神話や伝説に書かれたもの)が類似によって結びつけられ、区別なく併存している。「言葉」は世界の鏡のような役割を担っており、「物」と同等の地位を占めていた。
(エピステーメーの転換)ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)
中世から古典主義時代のエピステーメーの転換を象徴する物語として、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』が挙げられる。ドン・キホーテは中世の騎士道物語に憧れるあまり、「類似」の法則に従って自らを騎士であると信じ込み、羊の群れを対立する二つの軍勢と妄想して、その合戦に加勢しようとする。だが同時代に生きる人々にとっては、ドン・キホーテの行動は思慮分別を失った狂人の振る舞いでしかなかった。
(2)古典主義時代(17世紀中盤)のエピステーメー
古典主義時代のエピステーメーは「表象」を基盤とする。
表象(représentation)とは、あるものを別のものに代理させて示されたイメージ全般のこと。人間が世界を認識する際に抱く心理的なイメージを指すこともあれば、絵画や彫刻、言語や標識などの記号も含めた具体的なイメージを指して用いられることもある。
『ドン・キホーテ』の例のように、見られたもの(観察して書かれたもの)と書かれたもの(神話や伝説に書かれたもの)が区別され、前者が特権的な地位を占めると共に、両者を混同させるような「類似」の思考は、誤謬や錯誤を招くとして厳しく批判されるようになる。
この時代に重要な位置を占める学問は、博物学と一般文法と富の分析である。博物学は目に見えるものの特徴を忠実に観察・記述し、それらを分類して体系化することを目指す。一般文法は、人間がいかにして世界を認識するか(知覚した事物をどのように分節し、名を与え、秩序づけるか)を問う。富の分析は、人間が物に向ける欲望が貨幣として表象されることで、異なる物同士が共通の尺度で価値づけられ、交換可能になると考える。
三つの学問の共通するのは、「言葉」と「物」が明確に区別されていることである。中世のエピステーメーにおいては、「言葉」は神によってあらかじめ「物」の側に与えられたものだったが、この時代には、「言葉」は人間が「物」に付与するものとして捉え返される。すなわち、ある記号(言葉)と、その記号が意味しようとするもの(物)が、いかにしてつながり得るかが問われている。そして上記三つの学問は、異なるもの同士を「類似」によって結びつけるのではなく、「比較」による同一性と差異性の分析に基づいて共通の平面上に位置づけることで、物の秩序を形成しようとする。フーコーはこの平面を「表(タブロー)の空間」と呼ぶ。
(エピステーメーの転換)ディエゴ・ベラスケス《侍女たち》(1656)
古典主義時代から近代のエピステーメーの転換を象徴する絵画として、ベラスケスの《侍女たち》が紹介されている。
部屋の奥の鏡には、今まさに肖像画が描かれようとしている国王と王妃の姿が映し出されている。だがその二人が立つ場所は同時に、《侍女たち》の作者ベラスケス自身が居るべき場所であり、また、この絵画を見る鑑賞者が居るべき場所であるはずだ。ところが、ベラスケスらしき画家の姿は左側のキャンバスの隣に、鑑賞者らしき者の姿は奥の扉の向こう側に、すでに描き込まれている。このように、すべてを画面内(表の空間)に表象しようとすることによって、本来その外部にあるはずの「人間」が排除あるいは不可視化されている。
(3)近代(19世紀以降)のエピステーメー
近代のエピステーメーは「人間」を基盤とする。
すなわち、「表の空間」上に表象され、分析されたり分類されたりする客体であると同時に、「の空間」の外部に立ってそうした認識する主体でもあるという両義的な立場としての「人間」が扱われるようになる。
古典主義時代の博物学は生物学に、一般文法は言語学に、富の分析は経済学に転換した。生物学は「生命」という概念を獲得したことで、生物の外観的な特徴ではなく、身体の内部で働く諸器官の機能に注目し、そこから属や種の系統を問題にするようになる。言語学もまた、言語がいかに事物を分節・分類しているかという「名詞」を重視した分析よりも「動詞」を重視し、語尾の屈折(活用)など言語の内部構造の分析を試みる。経済学は、物の価値は他の物との交換によってではなく、生身の人間による労働によって生じるのだと考える。
三つの学問はいずれも、目に見える特徴(表象)ではなく、見えない特徴の分析に向かう。また、生まれて死ぬ有限な生命や労働による価値の生成といった「時間」あるいは「歴史」の概念を導入している点も共通している。
「人間」の終焉
このように、有限な身体を持ち、その条件の範囲内でのみ世界を認識できる主体としての「人間」が発見もしくは発明されたのは近代以降のことである。 従って、そのような「人間」観に基づいて人類史を描き出そうとする目的論的で連続的な歴史観や、それを支える「主体」という概念は、決して普遍的なものではない。
さらにフーコーは、1960年代に勃興した構造主義的な学問、具体的にはラカンの精神分析学やレヴィ=ストロースの文化人類学、ソシュールの言語学などは、「人間の終焉」、すなわち近代のエピステーメーの崩壊を告知していると言う。曰く、「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」(p.455)と。
『知の考古学』(1969)
方法論の厳密化と新たな概念
フーコーは『狂気の歴史』や『言葉と物』等で展開した考古学的方法の厳密化を図り、1969年に『知の考古学』慎改康之 訳、河出文庫、2012年) を刊行。誤解されることの多かった「エピステーメー」の使用を控え、代わって「言説」や「言表」など新たな概念を提示した。これらの語の使用を通じて、フーコーは研究の対象を言語表現に限定する。
言表/エノンセ énoncé
実際に「言われたもの」や「書かれたもの」を指す。まとまりのある文章のみならず、分類図や系統樹、数式なども含む。
言説/ディスクール discours
ある時代や社会、文化において、何かしらの規則性のもとに生産された言表の集合あるいは総体。「医学の言説」「生物学の言説」など「○○の言説」というかたちで用いられることが多い。言説の規則性は、実際に言われたこと(言表)と、言おうと思えば言えたはずなのに言われなかったことの差異によって分析される。
収蔵体/アルシーヴ archive
ある時代や社会、文化において、すべての「言われること」や「書かれること」が従う法則であり、言表の出現を統御・制度化するシステムを指す。
言説分析
フーコーの「言説分析」は、社会学など諸学問分野に応用され、日本でも多くの研究者に影響を与えてきた。では、その方法論的な独自性はどこにあるのか?
①言説分析は、ある時代において特定の言説が支配的な力を持つのはなぜかという問いに対して、その言説の起源や因果関係を探ろうとするのではなく、その言説が存在することができた時代的・社会的・文化的な条件を分析しようとする。その意味で、フーコーの考古学は「アルシーヴ学」とも言い換えられる。
②言説分析は、あらかじめ存在する対象についての言説があると考えるのではなく、むしろ言説が存在することによってその対象が生成されるのだという構築主義的な立場に立つ。だからこそ、「人間」や「主体」といった概念が普遍的なものではなく、歴史的に構築されたものであることを暴き出すことが可能になる。
③言説分析は、分析の対象を特定の学問分野に限定しない。例えば『狂気の歴史』(1961)では、フーコーは「狂気」と呼ばれるものの意味が時代毎に異なることを示すために、精神医学の言説だけではなく、法律、美術、文学など様々な分野の文献を渉猟して「狂気」に関する記述を渉猟し、中世まで遡って分析を行った。ある学問の言説を形成する諸規則は、その内部で思考する限りは決して知ることができない。
地方映画史研究への応用に向けて
フーコーの影響下にある研究者たち
ミシェル・フーコーの考古学、あるいは言説分析という方法は、哲学や現代思想の研究者のみならず、様々な学問分野に多大な影響を与えてきた。
例えば芸術の分野では、美術史家のスヴェトラーナ・アルパースが『描写の芸術——17世紀のオランダ絵画』(ありな書房、1993年、原著初版1983年)が知られている。アルパースは17世紀のオランダ美術について、「物語」を語るために遠近法を用いるイタリア・ルネサンスの視覚文化とは別の文脈に置き直す必要性を訴え、北方の視覚文化は「物語」よりも目に見える表面をひたすら描写することに力を注ぐ「描写術」によって特徴づけられると主張した。
あるいは次回紹介予定の美術史家ジョナサン・クレーリーは『観察者の系譜——視覚空間の変容とモダニティ』(以文社、2005年、原著初版1990年)において、従来の視覚文化史が前提としてきた「カメラ・オブスクラが写真のカメラに進化した」という連続的な歴史観を批判し、両者の間に切断の線を入れることを試みた。同書は日本の初期映画研究などでもしばしば取り上げられる重要な文献である。
考古学的方法や言説分析を導入することの困難
ただし、フーコーの方法をそのまま引き継いで実践することは容易ではない。①「歴史の連続性」や「主体」という概念を前提としてはならず、因果関係や意味を解釈することも禁欲しなければならないという方法論的な厳格さや、②分析対象を特定の学門分野に絞らないという性質上、何をどこまで分析するべきか明確な指針が存在し得ないという範囲設定の問題など、フーコーの方法を忠実に実行することには大きな困難が伴う。
特に言説分析に関して、その方法を社会学に導入する可能性と限界を厳しく見極めようとする試みとして、例えば佐藤俊樹・友枝敏雄 編『言説分析の可能性——社会学的方法の迷宮から』(東信堂、2006年)を挙げることができる。同書で友枝は、「言説が存在することによって対象が生成される」という立場に立つ言説分析の方法に厳格に従えば、「あらかじめ対象が存在する」とする従来型の社会学とは相容れないものになってしまうが、逆に言説分析をゆるやかに解釈して逸脱的な使用も認めるなら、社会学がこれまでから行ってきた史料研究と何ら変わり映えのしないものになってしまうことを指摘している(pp.249-251)。
考古学的に発想する
映画研究および地方映画史研究についても、フーコーの方法をそのまま厳密に導入するというよりは、まずはフーコー的な発想や問いの立て方で、「考古学」的に自分自身の研究対象を捉え返してみることから始めるのが良いかもしれない。
例えば「映画」という言葉。今も昔も同じ「映画」という言葉が使われているが、そこで指し示そうとしている対象は、本当に同一であると言えるだろうか。目的論的な歴史観では捉えられない、切断線を引くことができないか。あるいは北方と南方の視覚文化を比較したアルパースのように、「映画」の意味や受容のされ方、それを取り巻く文化の地域差を分析することもできるかもしれない。
研究対象の選択についてもヒントが得られる。映画専門誌や映画研究の文献に当たるだけでは、その分野が前提とする映画の見方や価値観の外部に出ることができない。多様な分野の文献から「映画」に関する記述を探ることで、新たな発見が得られる可能性は大いにあるだろう。大都市圏と比べて文献に乏しい地方映画史研究ではなおさら、分野を限定しない横断的な調査と分析が武器になるはずだ。
アーロン・ジェロー「『ジゴマ』と映画の“発見”——日本映画言説史序説」(1997)
フーコーの考古学的な発想から映画史の研究が行われた例としては、アーロン・ジェロー「『ジゴマ』と映画の“発見”」(『映像学』58巻、1997年)が挙げられる。ジェローもまた、映画史を語る際の単線的で目的論的な歴史観を批判する。それは現在の映画のあり方を必然的なものと見做すことで、そこに内包されているイデオロギーや、他でもあり得た歴史の可能性や発展の方向性を見えづらくしてしまうからだ。そこでジェローは、フーコーと同様に、あらかじめ対象(映画)が存在するのではなく、言説が存在することによって対象(映画)が生成されるという立場をとることで、いかにして映画をめぐる言説が形成されてきたかを探る。
ただし同論文では、フーコーの考古学の厳密に導入したり、歴史を語る他の方法論をすべて否定することもしないと述べられている。「フーコーを詳細に真似るというよりも、彼の研究に触発され、いままで日本映画史研究に問題視されていない、映画というイデオロギー(フーコーがほとんど使用しない用語)は言説においていかように形成されたか」(p.37)を問うことが目的となる。
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