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なぜ「ことば」は再発明されねばならないのか

鳥取大学地域学部・佐々木研究室とコーディネーターの蔵多優美さんとの共同企画として「ことばの再発明-鳥取で「つくる」人の ためのセルフマネジメント講座-」と題した連続講座を始めることになりました。

アーティスト、クリエイター、デザイナー、パフォーマーなど広い意味での表現者=「つくる」人を対象として、自身の作品や活動を適切に言語化し、他者に伝える技術を学ぶ場を作ることを目指します。

ふだんは映像作家として活動するわたしが、なぜこのような企画を立てたのか。それも片手間ではなく、自らの作品制作と同じかそれ以上の熱意をもって取り組み、この企画に賭けているのはなぜか。以下、その理由と問題意識について記しておきたいと思います。

誰もが兼業芸術家である時代に

職業芸術家は一度滅びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき用言をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

わたしたちは現在、ある意味で、かつて宮沢賢治が夢見た「誰もが芸術家である」かのような時代を生きています。

何かしらを作ってみようと思えば、そのために必要な機材やアプリは安価で手に入りますし、ネットを活用すれば、何千・何万の人々に向けて作品を届けることも夢ではありません。さらには作品を販売したり書籍を出版するなど、手軽に利益を上げるための仕組みも整ってきました。

けれどもわたしたちには、別の現実も見えています。

格差社会が進行し、ごく一部の富裕層を除いて、多くの人びとの生活は以前よりも苦しくなりました。生活費を稼ぐための労働からは独立した領域としての「表現活動」、あるいは「余暇」や「趣味」にかけられるお金や時間はどんどん減っているという実感があります。たとえ制作ツールや発表機会が無料で手に入っても、それらを活かす余裕がない。「誰もが芸術家である」という理想は、ここではあまりに空疎に響きます。

手軽に利益を上げるための仕組みが整ってきたといっても、やはり専業芸術家として生計を立てることは難しい。とはいえ、採算を度外視した趣味やアマチュア活動に没頭するような余裕もない。別の仕事で稼ぎつつ、制作活動でも多少なりとも収入を得る方法を探して、何とかやりくりしていくほかない。わたしたちはいま、そんな「誰もが兼業芸術家である」ような時代に生きているのではないでしょうか。

セルフマネジメントの困難と向き合う

「誰もが兼業芸術家である」時代とは、誰もが作品とは別の仕方で「語る」ことを求められている時代である。そう言い換えることもできるでしょう。

現在の日本で「つくる」人のほとんどが、トークイベントやステイトメント、プレゼンや助成金申請など様々な場面で「言語化」を求められ、悩んだ経験があるのではないでしょうか。

ふだんから言葉を用いる小説家や詩人でさえ、それとは別に「説明」や「紹介」の言葉を求められます。ただ「作品」をつくるだけでは作家活動を続けられない。いやでも自画自賛しなければ、制作費や発表機会が得られず、生活もままならないという現状があります。

「語るべきことは作品で全部語っているのに……」
「言葉にできないから作品を作っているのに……」

そんな悩みや迷いを乗り越えて、堂々と(あるいはおそるおそるでも)納得いくかたちでセルフマネジメントを実践できるようになることが、この講座の目標です。

ことばを再発明する

講座のタイトルの元になっている「車輪の再発明」とは、すでに普及している技術を一から作り直してしまうこと。非効率で無駄な努力として否定的に見られがちですが、ここでは肯定的に捉え直してみたいと思います。

……そう。たとえば魅力的なプロフィールを用意しなければならないとき。

とりあえず「精力的な活動を展開している」と書いてみたけれど、あまりにも紋切り型のフレーズ過ぎるのでは?とか、自分で自分を「精力的」と言うなんて気恥ずかしいとか、たくさんの違和感や迷いが生じて決心がつかない。たった200字程度を書き上げるために、何時間も、何日もかかってしまうなんてことも珍しくありません。

けれども、その悩みを自分一人で抱え込まないで良いとしたら。

「この言い回しはやっぱちょっと恥ずかしいかな」
「でも他にぴったりなことばってなかなか見つからないよね」
「これでも良いと思うけど」
「自分ならこう言い換えるかも」

こんなふうに、講師や他の受講生と共にじっくり検討した上で選んだ「ことば」であるならば、たとえ一人で考えたときと一字一句同じ文面になったとしても、そのことばに対する「納得感」はまったく違ったものになるはず。これがわたしたちの考える「ことばの再発明」のひとつのかたちです。

教える/学ぶ関係を超えて、講師と共に考え、共に悩む

書店を眺めれば、ウケの良い企画書の書き方や、プレゼンの方法を教えてくれるハウツー本はたくさん置いています。けれども、そこで手に入れた言葉と、自分自身の表現との間にある齟齬や矛盾、もやもやを解消してくれる本や著者にはなかなか出会えません。

「自分で自分の作品を褒めるのは抵抗がある……」
「語れば語るほど嘘をついている気持ちになる……」

そんなふうに悩んでいると、先生や先輩に「ナイーブすぎるのでは?」「いつまでも悩んでないで、割り切って考えなさい」と指摘されることもあるでしょう。

しかしわたしたちは、そんな「もやもや」こそを大切にします。表現とことばの間にある齟齬や矛盾を避けて通るのではなく、真正面から向き合って、納得がいくまで考えることは、作家にとって何よりも重要な時間だと思うからです。

「ことばの再発明」は、一期と二期とで計10名の講師にご参加いただきます。「作り手」として優れた作品制作や表現活動をおこなうだけでなく、優れた「受け手」でもある方、他者のことばに真摯に耳を傾けてくださる方にご依頼しました。

野口明生(企画者)
藤田和俊(ライター/フォトグラファー/編集者)
後藤怜亜(NHK 番組ディレクター)
白井明大(詩人)
大林寛(クリエイティブディレクター/編集者)
西島大介(漫画家)
榊原充大(建築家/リサーチャー)
篠田栞
(仮面劇作家 / 言葉と企画)
熊野森人(クリエイティブディレクター)
高橋裕行(キュレーター)

便宜上「講師」としていますが、一般的な講演形式のように壇上から一方的に教える/学ぶ関係ではなく、受講者と問題や悩みを共有し、共に悩み、共に考える役割を担っていただきます。

なぜこのような対話を重視するのかについては、ぜひ以下の記事もお読みください。結論だけ先に述べておくならば、優れた芸術家は「つくる」だけではなく「見る」ことや「聞く」ことのプロフェッショナルであり、またそうした人々こそが未来の芸術家像となっていくべきだというのが、わたしの持論であり、信念です。

また、自分の作品や活動について踏み込んだ話ができるように、講師1人につき受講者2人という、少人数での対話の時間を設けました。

専門学校や大学の卒業後、あるいは所属団体をもたない場合など、自分の作品や活動についてざっくばらんに語ったり、情報交換ができる機会をもつことは簡単ではありません。受講者にとって、この講座がそんな機会の一つになればと願っています。

鳥取で「つくる」人のために

最後に、地域地方と呼ばれる場所、具体的には鳥取という場所について、わたしたちが考えていることを述べておきたいと思います。

コロナ禍で多くのイベントが中止になり、代わってオンラインでの開催が増えてきました。この講座も基本的にはオンラインでの開催を予定しています。しかし一見、ネットの利用は地理的な障壁を取り除き、人びとの距離を縮めているようでありながら、実は却って都市と地方の格差を広げている面もあるのではないでしょうか。

遠方のイベントにも参加が容易になったことで、すでに高い知名度のある講師や権威のある団体のイベントに観客が集中し、むしろ多様性は損なわれてしまっているように思います。その一方で、物理的に会うのが困難な条件下では、少人数で密なコミュニケーションができたり、講師と仲良くなれたり、知らない作品や作家との思いがけない出会いが期待できるという「地方」ならではのメリットが活かせなくなってしまうのです。

この講座は当初から鳥取在住の方を受講者と想定していましたが、オンライン開講になっても方針は変わりません。県外の方には申し訳ないですが、もしこの試みに関心を持ってくださる方がいたら、ぜひあなたの暮らす地域でも、同様の試みを広げていってもらえたら嬉しいです。

「つくる」こと、そして「書く」ことへの信頼を取り戻すこと

いま、わたしたちの目の前には、悲惨な光景が広がっています。誰にも見られず、蔑ろにされ、気づかれもせず、打ち棄てられた作品や表現の山。守るつもりのない約束、その都度の都合で書き換えられるルール、好き勝手に改竄されたことばの残骸。人がつくったもの、書いたものは極限まで貶められ、辱められ、そこに宿る力を信じることが難しくなってしまいました。

「ことばの再発明」は、たとえ草の根レベルであっても、そうした悲惨に抗うための術を持ち寄り、みなで共有する試みです。いつの日かきっと、「つくる」ことや「書く」ことへの信頼を取り戻せる日が来ることを願って。

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映像作家、企画者。取手→赤羽→鳥取。
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