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#2 コンプレックスと「好き」の関係

みなさんは何かにコンプレックスを感じることはありますか?僕は小学校1年のある記憶を起点に、はっきりと認識しているコンプレックスの対象が3つあります。それは年齢順に、「走ること」「数学」「トランペット」です。コンプレックスとどう付き合うかは文化的な差異があるようで、日本はコンプレックスを克服するよう指導され、米国ではコンプレックスを感じない得意分野へ導くという違いがあるようです。


小学校1年の体育の授業で、こんなことがありました。5人くらいのチームでリレーをしたところ、僕のいたチームが最下位になってしまった。他のメンバーに「お前のせいで負けた」と言われ、惨めな気持ちになりました。その後教師になって運動会で「教員チーム」としてリレーに出ても、その時のことが思い出されました。「自分は足が遅い」という強いプレッシャーから抜けられずにいたのです。

私立中高一貫校に進んだので、数学には手こずりました。中学1年の間に中学数学を終え、中2から高校数学がスタートするというスピードで、授業では教科書と併せて『数学〇〇問題800選』という問題集を使っていました。5年後、無事大学に合格し、「文系学部に入ったから数学とはおさらばだ!」と思って僕が取った行動は、「高校時代の貴重な自由時間を奪った800選」をこらしめることで、文字通り八つ裂きにして捨てました。韓国や中国では受験勉強が終了すると参考書を破って捨てる習慣がありますが、似た気持ちだったかもしれません。とにかく「数学には二度と触れない」と思いました。

同じく中学時代から、吹奏楽部でトランペットを吹き始めました。コンクールにも出場し、表向きは楽しく部活動をしていたわけですが、実際は強いコンプレックスを感じていました。というのも、2年上にトランペットがとても上手い先輩がいて(高1でハイドンの協奏曲を吹いていたので、かなりの実力者です)いつも比べられました。「S先輩くらい吹けるようにならないと」「君が1番奏者では心許ない」と言われ続け、楽しいはずの音楽がすっかりコンプレックスの対象になってしまいました。演奏して楽しかった思い出はほとんどありません。


ここで、今好きなことを考えると、上の3つのプレッシャーと見事に対応しています。44歳の時、何を思ったか急にマラソンを始めました。最初は 2km 走るのがやっとでしたが、5km、10km、ハーフマラソン、30km と距離を伸ばして、フルマラソンを完走できるようになりました。あれほど「二度と触れない」と思った数学は、AI を志した段階で必須のツールとなり、「受験科目だから仕方なくやる」ものから「興味の対象に近づくための道具」に変わり、好きになりました。コンプレックスというのは実は、「本当は興味があるけれど、何らかの理由でたまたま上手くいかなかった」対象に抱く感情なのかもしれません。もしそうなら、「何らかの理由」さえ取り除ければ、生涯の友になりうるのかもしれません。

3つ目のトランペットからは逃げ続け、今演奏するのはサックスとフルートです。それでも、ハイドンのトランペット協奏曲を聴くと、「いつか吹きたい」と強く思います。S先輩は中1でトランペットを始めて、高1の頃には吹いていた。ならば10年くらい練習すれば自分も吹けるのではないか……リレーで負けた小学生が後にフルマラソンを走り、数学問題集を破った高校生が50歳から AI で博士課程に行くのだから、ハイドンもいつか吹けるのではないか、と思います。

下の動画は、一番好きなトランペット奏者であるノルウェーのオーレ・エドワルド・アントンセンとベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏するハイドンのトランペット協奏曲(第3楽章)です(2006年)。東京、四ツ谷の紀尾井ホールが1995年に開館した時、こけら落としコンサートを聴きに行ったのですが、彼が吹いたオープニング・ファンファーレを思い出しました。

サックスとフルートの先生には「浮気はやめなさい」と叱られそうです。でもいつかきっと吹けるようになって、3つ目のコンプレックスも生涯の共にしたいです。
(2023年6月27日)

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