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マダガスカル句会の結果発表

マダガスカル川柳句会のお知らせ+おまけ情報|ササキリ ユウイチ|note


たくさんのご投句をありがとうございました。
計35名の方から投句があり、「バイオリン」に88句、「アトム」に90句、「カレンダー」に88句、「オムライスみんなこわくはないのかな/飯島章友」に90句。
入選9、特選1の合わせて10句とし、選句方針は各選者によります。ササキリ以外無記名にて選句しています。
特選の句の中から、各選者で協議の上、大賞句を明日11月15日(火)に発表します!
それでは、入選、特選の句、それから各題選者評を発表します。長いので、目次を活用ください。

題「バイオリン」橋爪志保選

 3年間続けたバイオリン教室をやめた日に選者のご依頼をいただいたので、題は「バイオリン」となりました。「バイオリン」。楽器の名称。クラシカルで上品な印象ももしかしたらあるかもしれません。ビオラやチェロなど、構造に類似点のある楽器も有名なので、「バイオリン」であることの重要性なども意識して選びました。そのため、あまりにも題から離れすぎた句は、今回はあまり多く採っていません。題って難しいですね。おどろきがありすぎたり、おどろきがなさすぎる句も採っていなくて、塩梅がちょうどいい句が好みなのだなあ、と選をして思いました。

ホームズの血液型はviolin/白水ま衣

 シャーロックホームズは、バイオリンを弾くんですよね。だから、「血にバイオリンが流れているほどだ」のおしゃれな言い換えと捉えてもいいかもしれません。でもそれだけでなく、「血液型」という硬い語をあえて使って詩的世界を再構築している感じがよかったです。あんな無二の天才なら、「violin」が血液型でも、まあわかるよな、という説得力があるのもいい。AとかBとかOとかABとか、アルファベット大文字でひとつふたつ、ではなく、「violin」。ルール逸脱もはなはだしいですが、これこそが川柳の楽しみのような気がしています。

バイオリンになっても落葉をする/白水ま衣

 バイオリンと落ち葉は、形や色が似ているのでそこからの連想でしょうか。でも、もちろん違うところもたくさんある。一番は大きさかなあ。縮尺が狂って見えて、錯視のような感覚をおぼえます。この錯視は、チェロやコントラバスの大きさではだめで、「ビオラ」ではなく、「バイオリン」という「はらりん」とした落葉音に近い楽器だから成立するのだと思えば、どきどきします。「なっても」の力のかけかたも心地いいです。前世は葉っぱ、現世はバイオリン。ロマンチックな転生です。

バイオリンケースの中は五年前/塩見佯

 五年間放置していたバイオリンのケースを開けた句、ではなく、部分的タイムスリップの句と捉えました。するとたちまち、うれしくなっちゃう。「ドラえもん」の机の引き出しじゃないけど、がぽっと開けるタイプのバイオリンケースは、たしかにタイムトラベルのトリガーになりそうです。シンプルだけどいい句。

バイオリンづくりがバイオリンになる/雪上牡丹餅

 言わずもがな「ミイラ取りがミイラになる」が下敷きになっているわけですが、こちらはミイラよりもポジティブな慣用句(じゃないんだけど)になっていそうで、楽しくなります。どちらも人間がモノになってしまう点ではこわいのですが、こちらは「つきつめてものごとを行うとそのものと同化するくらいに素晴らしいものになる」みたいな、教訓っぽさもあって。バイオリンという語のリフレインって気持ちいいんだな、って気づきました。

ある日から影も形もバイオリン/嘔吐彗星

 「ある日から影も形もバイオリンになってしまった」と補足して読むより「ある日から影も形もバイオリン(≒ありません)」みたいに、「バイオリン」が「ありません」という語かのようにふるまっている、と考えたほうが楽しそうだな、と思います。語感で全振りしたみたいな句ではあるし、淡めの句なのですが、関西弁のイントネーションで読むと、ちょっと楽しさが増すところなどが好きです。

バイオリン飲んだあなたの骨強く/wakuwakuiwaku

 こちらは、「バイオリン」が薬品や成分のように見える、という句。こちらも語感勝負をしていると思います。「バファリン」と「バイオリン」ってたしかに似てるね、いやいや骨を強くするのは「カルシウム」だっけか、と思考が二、三転したのですが、それよりも、あのサイズの楽器を鰐みたいに口をあんぐりあけて飲みこんでいくというダイナミックさにときめきました。CMっぽさからうかがえる、この「あなた」の居心地の悪さもGOOD。

アウストラロピテクスにつまびいて/さわみ

 人類の進化の表とかで書かれている、あれですよね、アウストラロピテクス。化石人類の。でも、この句ではたしかに「つまび」いている音に見えるのです。ピチカートという奏法。「ピ」がそう見えるための鍵なんでしょうね。加えて、「~につまびいて」と書かれると、「アウストラロピテクス」がとたんに「カンタービレ」的な発想記号にも見えてきて、うれしいです。

バイオリン構えてカンニングの目線/抹茶金魚

 発見の句といってもいいかもしれません。三年間弾いていたのに、言われるまで「カンニングの目線」だとは気づきませんでした。なるほどなあ。首とは違う方向(弦のほうなんだけど)、見てますね、たしかに。リン、カン、ニン、と調子がとられてはいるけれど、句またがりの影響もあってか「ンニ」「ング」という音のほうを体感するので、「カンニング」のバツの悪さが出ているような気もします。

f字孔から空撮のガーゴイル/抹茶金魚

 「ガーゴイル」というのは、「雨樋」の機能をもつ「(怪物などをかたどった)彫刻」のことだそうで、「雨樋」単体、「彫刻」単体では「ガーゴイル」と呼びません、と調べたら出てきます(ちょっと面白い書き方だったので笑いました)。「f字孔」とは、バイオリンなどの楽器にあるfの字型の穴。「f字孔」と「ガーゴイル」、ぬるっと湾曲していて、造形美と実用性が兼ね備えられているもの同士で、遠いはずのふたつが運命的な出会いをしていることにまずテンションが上がります。f字孔という場所から空撮を行っている、なのか、ガーゴイル(まで)、と省略されているのか、f字孔からガーゴイルが飛び出しているのか、読みはいろいろあるかもしれません。

それでは今回の特選句です。

葬儀屋が顎で挟んでいる受話器/西沢葉火

 一句全体が暗喩でバイオリンを象徴している、目立つ作品でした。バイオリン奏者を見て「葬儀屋が顎で受話器を挟んでいるようだ」と思ったのか、受話器を挟んだ葬儀屋がバイオリン奏者のように見えたのか、どちらの読みもできると思うのですが、それよりも、「葬儀屋」という、死という重いものにかかわる仕事の人が「ビジネス~」な軽い感じ全開で受話器を取り扱っているさまに、注目がいきます。そのアンバランスさ、というのが、「音楽」というものそのものの滑稽さと接続されそうなところが魅力です。オーケストラのスーツって、よく見ると喪服に似ていますね。題が「バイオリン」である、と知らされていないと、「バイオリン(奏者)」を指しているとはわからないという構造も、影絵のようで好きでした。(個人的には、バイオリン教室をやめた後だったので、バイオリン生活を弔ってくれる句としても楽しみました。)

 バイオリンを生き物などに仕立て上げる句や、バイオリンのお高くとまった印象(?)をぶっ壊す句など、いろいろありましたが、どれも面白かったです。最後にわたしの句を。

軸吟
情熱大陸以外全部沈没 
/橋爪志保

小松左京も筒井康隆も読んだことないです。以上。
ありがとうございました!

題「アトム」暮田真名選

 このたび刊行されるササキリユウイチさんの第一句集(おめでとうございます!)のタイトル『馬場でオムライス』に着想を得て題を「アトム」としました。なぜかJR高田馬場駅の発車メロディーが鉄腕アトムのテーマなんですよね。ササキリさんの句集の表紙のイラストも高田馬場駅がモデルだと思うのですが、表紙ではかわいい女の子のイラストになっているガード下の壁画は、実際は鉄腕アトムをはじめとする手塚治虫のキャラクターたちが描かれています。いま調べたらアトムが高田馬場生まれだかららしい。もっときれいな街で生まれてそうなのに。投句していただいた句をみると、題の解釈が ①「鉄腕アトム」のアトム ②「原子」を意味するアトム の大きく二通りに分かれたようです。私は鉄腕アトムに詳しいわけでもなければ、原子についてなにかを知っているわけでもないので、句の本意がわかっていなかったらどうしよう、とうっすら不安になりながら選びました。

アトムのあの、とがったところ/さわみ

 「ロボットの絵を描いてください」といわれて、顔が四角くて、目が光って、歯が剥き出しで、耳のかたちはネジのよう……な古典的ロボットの絵を描く人はまだ一定数いるでしょう。私もそうです。鉄腕アトムはあのようなロボットからは遠く離れたビジュアルをしています。人々に安心を与え、愛されるため、ずいぶん丸っこくなっている、平たくいえば「とがったところ」をなくしているのですね。それなのにわざわざ「とがったところ」をつまみあげる、意地悪な手つきに惹かれました。

あなたが着せてたとうめいの巻貝/高澤聡美

 前掲の「とがったところ」がアトムの直線的な箇所にスポットを当てた句だとすれば、こちらはアトムの曲線の部分をなぞるような句です。巻貝のかたちは曲線そのもので、透明だから見えにくい、あるいは見えないけれど、「着せてた」ことはわかる。謎の官能性とやさしさがあり、好きな句です。

アトムなら虹の露出を止めるはず/kazuto.06040905@gmail.com

 「虹の露出」という独特の把握が句の核となっています。覆い隠され、これからあらわれようとしているものとしての虹。そしてアトムはそれを阻止することを期待されています。この「アトムは知ったこっちゃないだろうなあ」というかんじが良かったです。

あれはひとつ前の手の墓/おかもとかも

 アトムには部位ごとに墓があるのか、寡聞にして知らないのですが、ぎょっとさせられる文字列です。「アトム」という題から離れて見たらもっとショッキングかも。土に埋まる、いくつもの手。そこに千手観音のようなイメージを結ぼうとすることもできます。ふしぎな死生観?の句。

北米版からは削除された光/翠川蚊

 ある作品が文化的な背景が異なる地域へ輸出される際、その地域ではアウトな表現がカットされる……というのはわりと聞く話です。ここでは「光」が削除されています。いったいなんの光が、なぜ削除されてしまったのか。不穏な想像をかきたてられます。

アトムっていい名前だな金貸せよ/wakuwakuiwaku

 「カネ出せよあんたのネクタイむかつくぜ」(石田柊馬)と「いい単車持ってるね顔を書いてやる」(我妻俊樹)の中間にありそうな句です。「カネ出せよ」よりねじれてるけど、「いい単車持ってるね」よりは素直。この句では「金出せよ」ではなく「金貸せよ」なのも良いですね。たしかに、お金を返すためには名前を知っていたほうが都合が良さそうだし。

アトムから生えまくってる知らん草/wakuwakuiwaku

 人が築き上げた建造物が自然の野蛮な力に侵される、というジャンルのフェティシズムはあると思うのですが(「東京幻想」とか)、「科学の子」であるアトムが植物まみれになっている様も同じようなフェティシズムの対象になることができそうです。その様子がさらに「生えまくってる」「知らん草」と乱雑な口調で形容され、貶められる……かわいそう萌えの句だと思いました。

これアトムぎゅっとした砂のかたまり/今田健太郎

 一読して「違うよ」とほほえみたくなりますが、原子レベルでかんがえればアトムがなにかを「ぎゅっとした」ものであることには違いないのかも。しかし「砂のかたまり」といわれると、このアトムはさらさらと崩れていってしまいそうでいいですね。

・   ・   (まず点と点をゆっくり遠ざけて)/翠川蚊

 ()のなかが575になってるの、おしゃれだなー!と思いました。こちらの句も「原子」から発想しているのかなと思いました。句のなかの「・」が原子なのかな。記号のたくみな使い方を見せてもらいました。

特選

百万の子供に一粒の棺/西沢葉火

「一粒の棺」が光っています。「粒」というからには棺はとても小さそうですが、その棺に収まる?「百万の子供」——この「百万」という数字はもしかして「百万馬力」からきているのか?と不安になりつつ——、はさらに小さそうです。だからこの句は鉄腕アトムよりは原子のイメージに近いのかなと思いました。「ひとつ/ぶ」という句またがりもつぶつぶ感に寄与しています。うまく説明できないけど魅力がある句です。

軸吟

「このようにアトムのほうが欠けやすく、
/暮田真名

わたしもアトムかわいそう萌えの句を作ってみたくなり、作りました。たくさんの投句ありがとうございました!


題「カレンダー」雨月茄子春選

 投句ありがとうございました。カレンダーの物質的な面を取り出したものや、「時間」そのものの捉え方に踏み込んだもの、アフォリズム風なもの、コピー的なもの、めくる動作に着目したものなど、バリエーション豊かな句が集まり、楽しく選をしました。選を終えて、自分は「句の先に世界への愛があるか」を重視しているのかなと思いました。そんな観点からの選評になっています。ぜひお楽しみください。
 文フリ東京で頒布される川柳カレンダー句集『雨月茄子春のRUDE』もよろしくお願いします!

お尻にも月曜は来る(タイのことわざ)/二三川練

 突き出したお尻に朝日が差し込む情景が浮かんできて、そこからカメラが引かれてタイの穏やかな農村が現れる。村一番の阿呆ものが田んぼの真ん中でお尻を出して「見よ!お尻にも月曜は来る!」と言い張った故事があるからこのことわざが生まれたのだとすると、それに至った出来事ってなんなんだろう。人間ってかわいい動物だな……の気持ちがむくむくと湧き上がる素敵な句。

並木道を歩いてきたのは私です/嘔吐彗星

 四季を引き連れて私が歩いてくる、その堂々とした様が好きだった。並木道を歩くたっぷりとした時間の中に、木々の時間や風の時間が溶け込んでいくように思う。途方もなく大きな時間軸の中にぽつねんといる私の、けれども精悍な顔つきに勇気をもらえる。

十月は五月のような三月じゃん/kazuto.06040905@gmail.com

 二人にしかわからない文脈に依存した会話は何よりも素敵だと思う。それは論理的に小さく破綻しているからで、その小さな破綻が許容されるのは、二人がこれまでに時間を共有してきたから。時間が論理の間を埋めている感覚。誰かと一緒にいると新しい動詞が生まれたり、既存の言葉に別の意味が増えたりする。「ミヤノる」という不名誉な多義語、「ねこ」と呼ばれる羊のカード、「北條さん」、「2のババア」。「十月は五月のような三月じゃん」がノータイムで伝わる関係を築けたら、それは素敵なことなんじゃないかって思った。

つるはしで切っては捨てる豆腐店/毱瀬りな

 題への取り組み方が好きな句だった。カレンダーの格子をお豆腐に重ね合わせて、日々が過ぎていく様子を「つるはしで切っては捨てる」と大胆に言い切っている。豆腐店って新しいお店を見ない気がするし、たぶんこの先減っていくお店だと思う。なんとなく「切っては捨てる」という表現に滅びへと向かう哀愁を感じた。この言い方は上手くはないのだろうけど、絶滅するのを待つだけの動物を見ているような気持ちで、「それが訪れるのを待つ」だけの覚悟を決めた背中を見る、みたいな。

8が好きだった子猫を飼うまでは/今田健太郎

 「(私は)8が好きだった。子猫を飼うまでは」と切って読んだ。子猫を飼ったら8が好きじゃなくなった。どうしてだろう。子猫を飼いたかったのだろうし、8のことも嫌いになりたくなかったはずだ。好きなものややりたいことを全部得ようとして失ってしまう運命の侘しさが、この句の独特なリズムににじみ出ている。風と桶屋の論理飛躍は川柳の得意とするもので、その飛躍のちょうどいい塩梅がこの句にはあった。

土日がお休みじゃない人もいる/上牧晏奈

 今回の投句における「キュートで賞」はこの句です。「お休みじゃない」のふてくされている感じ、子供っぽさを素直にかわいいと思った。

イヌイヌと鳴く犬が来る十四月/西脇祥貴

 十四月という私たちが把握していない月は日常の延長線上にあるものの、しかし一月~十二月の日常では起こり得ないことが起こる。そこでは犬がイヌイヌと鳴くことだってある。自分の把握の外にも世界があることを教えてくれる句だった。

学会で証明された木曜日/下城陽介

 “「土曜日は暦にしか存在しない」。それが当たり前になっている、精霊のいる不思議な世界。物語の舞台は、そんな精霊の住む世界にある小さなネミの村。そこでは年に一度、「復活祭」というお祭りが催される。~中略~。ネミの村に住み、本年度より復活祭を管理することとなったこの物語の主人公「エルモ・コスタ」には、2つの仕事があった。ひとつは教会の管理。そして、もうひとつは「なぜ土曜日がないのか」と言う秘密に深くかかわる仕事、「火曜の墓守」。今、エルモ・コスタを中心とする新たな物語が始まる。”
 僕がこの句を読んだときに真っ先に頭に浮かんだのは今は無きゲーム会社RococoWorksが2010年に発売した「airy[F]airy 〜Easter of Sant'Ariccia〜」というゲームだった。果たして同じような人はいるだろうか。イラストレーターが笛さんだったことと主題歌をRitaさんが歌っていたことがきっかけで知って、「曜日を異界と奪い合っている」という世界観が当時高校生だった自分にとって新鮮だったので記憶に残っているのだけど。

火のそばで二月の皮を剝いでいる/西沢葉火

 キャンプでフェザースティックを作っているときにこういう気持ちになると思った。木の皮ではなくて、月日の皮を剥いている感覚。あらゆる動植物はそれぞれの時間を内包していて、その時間があらゆる場所で接しているのだよな、と改めて思う。食べるときとか、触れたときに。

特選

めいっぱい転ぶ(しっぱいする)ミント/太代祐一

 セピアの写真がコマ送りで流れるように、ミントと一緒に過ごした日々が頭にぶわーって浮かんできて、犬を飼ったことはないんだけどもそんな気持ちになった。マルチーズのミント、もこもこの子犬。
 この句には慈しみが詰まっているように思う。ミントの成長を(それはしっぱいだらけの日々)、見つめる目がある。「めいっぱい」という語の選択が良いのだろう。「め」に「いっぱい」という視覚的な捉えが出てくるから、主体が眺めているように感じる。飼い主は転んだミントを助けない。立ち上がるのを見つめながら、その健気さと力強さを嬉しく思っている。たぶん、「転ぶ」のは「しっぱい」なんだろうけど、別に悪いことでは全くなくて、ミントが大きくなるために必要なもの。小さなミントがいつか成犬になったときに、しっぱいしていたこの季節を思い出して懐かしく思ったりするんだろうな。

軸吟

来年また「わたしたち見せ合いっこ」しましょう
/雨月茄子春

文フリ東京「き-15」でお待ちしています。

題「オムライスみんなこわくはないのかな/飯島章友」ササキリユウイチ選

 飯島章友さんの句集『成長痛の月』(素粒社)にも入っている句で、『はじめまして現代川柳』でも引かれています。初出は『川柳カード』9号/2015年7月かと思われます。柳本々々が評しておられる(下記)。

 マダガスカル句会は、私の第1句集となる『馬場にオムライス』が大賞の品となっており、もちろんこの「オムライス」が題選定の背景です。しかしながら、単に「オムライス」を題とするよりも、飯島さんのこの句を題としたほうが、オムライスを念頭においた川柳において、より遠くへ赴くことができるのではないか、との期待を込めてこのような題としました。
私は、オムライスには、端的に言えば(端的に言わなければならないほどの)憎しみを抱えています。オムライスに張り付いたイメージの数々。本句会の句作に勤しんだ方ならすでに共有されていると思いますが、オムライスはネガティブ及び/又はグロテクスなイメージに富んでいますよね。殺生、血液、倫理、覆い隠すこと、むきだし、コントラスト、長く整理された簡易的な時間…、けれどもオムライスはもっとこわい、というか憎い、私からすれば。でも、オムライスがそこまで憎くないのがほとんどの方かと思うので、まずこわいという前提に立って欲しいという狙いが、あるような、ないような。(と、ここまで皆さんの句を見る前に書きました、選句方針のために。)以下、入選句を9句、特選句を1句として、さらに短い評を添えました。

手口なら幾つかあるが(モチロンね)/太代祐一

 「こわい」を受けて、別の仕方でこわいを表現していると読みました。そしてモチロン、とある。これが、まずこわいことは前提にある、ということの確認になっている。題に対して正当に応答している句です。題の咀嚼の次元が高く、また一つの句の技巧としても成立しています。印象的な句として1番目。

アサリから開いたんだしいいでしょう/おかもとかも

 いわゆる動物倫理的な文脈の句は散見されました(よい句が多かったと感じています)。となったときにどれが光って見えるかと考えながら選んだ一句。そういうこわさは、まず最初にありますよね、オムライス。その出発点として、アサリの死と、その身を差し出すことを言ってみせた。よい句だと思います。

エビカルビ放送局はこちらです/高澤聡美

 これはなかなか技巧的だと感じました。オムレツにライスでオムライスなのだが、まずそこからエビカルビと来ている。動物倫理的文脈から、牛に行くパターンの句もありましたが、そこに養殖を合わせてエビを持ってきてくっつけ、不穏な言葉に仕立てあげるというのがまず第1の技巧。そして、放送局というのがまたよく、第2の技巧。うちは力のあるメディア乱立してないからね。放送局という言葉だけでも、この題に応じていると思えます。こちらです、も適度にこわい。あまり「です」「だ」「よ」といった文言が句をよくすることはないと思っているタイプですが、これは効果的ですね。

なんかきみたまごっぽいねしぐさとか/今田健太郎

 とりあえず、これはそういう意味では、少し未来の話はしている。オムライスがこわいことは、もはや前提であって、だとすれば、こちらは痛烈なdis。たまごがコンプラ的にアウトになった世界での発話。最高度の侮辱。そういう感覚をもたずに育った上の世代からの無神経な発言。そういった仮定の中から、句として提出できるところが凄いです。定型の要請により「しぐさとか」が倒置されているのもよいですね。

歯を見せて満室ですと言わないで/高澤聡美

 敬語に潜む皮肉さをよく理解していますね。この句は、この句それ自体でそれほど成り立っているとは思いませんでした。本題に提出されたという流れの中で読んでいると、…私は頭がおかしくなってしまったんだと思えてきます。要するに、たぶん、この満室とされる部屋は、入らないほうがいい部屋。

うんこ味カレーの墓をまた荒らす/二三川練

 うんこ味カレーはまだ死んでいないかのように思えるのだが、オムライスよりは確かに死ぬだろうし、もっと直截にこわいから、より迅速に葬られるのかもしれないが、しかし何度も暴かれる、暴かれねばならないから暴かれる。

王国では青信号が仮死のもと/毱瀬りな

 「みんな」と「こわ」いから青信号を引き出してくる。白い皿、黄色いオムレツ、赤いケチャップなどから色を持ってくる句は多かったですね。とはいえ、この「青信号」を持ってくることはそれほど困難ではなかったのではと思います。「みんな」と「こわ」いから、王国を持ってくる、これはこれで豊かな連想だが、仮死のもと、と重ねてくるところがいいですね。離れすぎないイメージに留まりながら、華麗な事故を起こしています。

ゆで卵じかんをかけてむいてみる/上牧晏奈

 すなわち、オムライス、ないしオムレツの一つの不快さは、簡易な方法でしか、その時間を過ごせないことなのです。どれだけ技術を発達させても、フライパンと菜箸の動かし方や、火加減や、加える調味料の調合についてくらいしか動かせる変数がなく、オムライスは極めたところで、あくまで簡易な方法でしかその時間を過ごすことができない。と、そこまでわかってからこの句は立ってくる。日常詠でしかなかったものが、川柳らしくなる権利を得る。じかんをかけてむくのってなんかいいよねじゃあ、もちろんありません。

ひよこしかいない銀河のあのにおい/翠川蚊

 さて、この句は本題から容易に連想される残酷なイメージ群とそれから派生した句からは、少しずれたところにあります。養鶏場のあの狭い、あの光から、銀河への飛躍は見事です。「あの」が効いている。屠殺の現場、養鶏の現場、鶏卵産業の現場のイメージひとつひとつには「あの」とつくでしょうね。「あの」と言う時につきまとうあの微妙な感覚。あのにおい。

特選

ディープラーニング 青空いっぱいに掌紋/抹茶金魚

 ディープラーニングと、ディープラーニングの強調符たる一字開けは、「こわく」と漢字を開くことにごくごく短い位置関係で対応している、とすれば青空、からのイメージに対して凡庸な読みがいくつか浮かびますね。けれども、何が「こわ」いのかそれなりにはっきりしているなかで、まだ発見されるだろう、それ以外の「こわ」いことを、次なるステージで言い当てて見せていると思いました。

 無記名で選句したのちに、名前を確認して、1句のみ句を入れ替えました。競っていた2句のうち、なるべく被りなく取る意図で入れ替え。それでも偏ってしまいましたね。

さて、軸吟。
野村裁きつ裁くやこころ
/ササキリユウイチ

ところで、選者各位、東京文学フリマ35でお待ちしております。


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