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わかった気持ちにならず想像し続ける先にある豊かさ

ぬれた道路を車が水を弾きながら走るザッ ザッザーという重い音がして雨が降っていることに気づく。今日は、一日中雨が降っていた。降っているのか、降っていないのかわからないほどとても静かな雨。湿度で気だるい日々が続いて、ベッドからなかなか離れられず、鬱陶しさを感じながらゴロゴロする。ただ、寝っ転がっていても、貧乏性ゆえか何かをしていないともったいない過ごし方をしていると思ってしまうので、読みかけの『庭とエスキース』を読む。

北海道の丸太小屋で自給自足をしながら暮らす「弁造さん」のもとに、著者で写真家でもある奥山淳志さんが14年にわたって通い、撮影した写真と物語りで構成された写文集。

弁造さんと奥山さんとの距離感が心地良い。長い時間をかけて、紡がれた関係性は友達とも家族とも、なんだか違う。弁造さんに強く感情移入しないものの静穏な文章で、一緒になって弁造さんが語る庭のこと、出稼ぎや開拓時代のことを丸太小屋で聞いているような気になる。

時折、書かれる奥山さんの心の内も印象的だった。


弁造さんの絵に対して僕は一つのことを約束した。それは、“わかったような気持ち”にはならないということだった。(略)
弁造さんが今、こうして絵を描いている姿を前にしたとき、僕の胸からはいつも何かが溢れて止まらないこと、そのことを見つめるべきではないだろうか。(略)
想像し続けることでしか、“わかったと思わないこと”の深みにたどり着く道はないようにも思う。― 庭とエスキース より

弁造さんの人生や人間性を勝手に判断し特性や属性を、簡単に説明することはできるかもしれない。けれど、そこには弁造さんという、唯一の存在として情熱的に見つめる眼差しがあった。慣れ親しんだ風景のなかに、新鮮な感動がひそんでいたのは、想像し続けることをやめないことにあるのだと思った。

奥山さんのこの言葉は、以前パリに一度だけ抱いた感情を思い起こさせた。はじめてのひとり旅、パリで過ごす7日目に、街に飽きてしまっている自分がいた。4年越しであんなにも夢見た街なのに。行きたかった場所もほとんど行き尽くしてしまって、刺激がないと思った。でも、そう思ってしまったのは、受け身で旅をし、消化するだけの自分でいてしまったからだと今だからわかる。パリを、そこに住む人々を、毎日の営みを知ろうとしていなかった。

知りたいと思う誠実さが、人との関わりを豊かにし、想像することが狭い世界を押し広げてくれるのかもしれない。探求しきれないほどの面白い未知が、あたりに満ちているのだと気づかされる一冊だった。

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