確認男 バスの手紙編

「あ、樋口さん?」
 バスに乗ってきた樋口さんを見つけて、俺は呟いた。
「あ!」
 樋口さんも俺を見つけては、飼い主と久しぶりの再会した犬のように、笑顔をはじけさせた。

 街外れの海岸線を通る路線バス。
 俺はいつもこのバスに乗って、高校に行く。田舎というほど田舎ではないが、この辺りでバスに乗る学生は数人。あとは病院に行くおじいちゃんおばあちゃんくらいしか乗っていない。だから、乗客とは自然と顔見知りくらいの仲になる。

 ある日、絶対に落とせない再試のために、俺はいつもよりも1本早いバスに乗った。その時は道路工事でよく渋滞していて、いつものバスだと遅刻する可能性があったから。
 その時に、樋口さんとバスで初めて会った。
 運命だと思った。
 俺が国語で赤点を取ったのも、勉強していなかったからじゃなくて、樋口さんと出会うためだったんだと、この時確信した。

 バスでは初めてだったが、以前から樋口さんの存在は知っていた。樋口さんは、この近くのダイナーで可愛いと噂の店員だ。
 俺の高校では有名で、何度か友達と押しかけたことがある。
 コーヒーが空になると、すかさず、「おかわりどうされますか?」と聞いてくる樋口さんを目当てに、好きでもないブラックコーヒーを何度も飲んだのは苦い思い出だ。

 そんな樋口さんと、通学バスが一緒になれるとなると、俺は学校に早く行っても仕方ないのに、バスの時間を樋口さんに合わせた。
 それから、毎日バスの中で樋口さんを見ていた。樋口さんは、やたらバスで領収書を貰っていたりしていた。

 俺が「おはよー」と挨拶すると、「おはよー。中田くんだよね?」と樋口さんは当然のように俺の隣に座ってきた。
 いつもは離れたところに座っているのに......。
「うん」
「あのー、隣の学校の」
 樋口さんの優しい口調に、全身の力が抜けた。こんな声なら、般若心経を読んでも癒やしのBGMになる。それがCDで売られたら、絶対買う。

「そうそうそうそうそう。一回ね、挨拶したもんね!」
 ダイナーで一度話したことを覚えていてくれたんだと、興奮した。
「ねぇ、なんかさあ。こうやってちゃんと話すの初めてだけど、いつも同じバスだよね?」
 クリームソーダような、甘さと爽やかさ溢れる笑顔で吹き飛びそうになった。首をかしげた時に揺れた、黒髪のポニーテールもたまらない。猫じゃらしに興奮する猫の気持ちが今なら痛いほど分かる。衝動を抑えられなくなりそうだ。

「そうだね。てゆうか、あのーこれ、昨日」
 俺はカバンから、手紙を取り出す。
「俺にくれた?」

 その手紙を見た瞬間に、樋口さんは手で口を塞いで、目を見開いた。そして、「見ちゃったの?」とどこか嬉しそうに微笑んだ。

「いやなんか――」
 見てはいけなかったのかと思い、慌てて言い訳をしようとしたら、「恥ずかしい」と樋口さんは胸の内を隠さず口にしていた。

「寝てて起きたら、あれって思って、気づいたら、樋口さんがパッて俺に」
 手紙と樋口さんを交互に見る。
「これ、え? ま、まだ中みてないんだけど」

「見てないのー? なんだ......」
 見てないと言って、樋口さんは安心するのかと思いきや、残念がっていた。

 そんな反応に、「え? 見ていいの?」と聞いた。
「え、どうしようちょっとまって」と樋口さんは口元を手で隠しながら、座席の上で跳ねた。
「恥ずかしいー」

「え、なんかあれかなって、落とし物かなと思って。勝手に中身ちゃダメだと思って......え? 見ていいの?」
「ほんとに見てなかったの?」

 顔を真赤にした樋口さんの優しい言い方に、本当の事を言うか迷った。

 昨日、俺は手紙の中を見た。受け取ってすぐに食い入るように見た。
 「好きです」とだけ書いてあった。
 ただ手紙には宛名もなく、渡された記憶も寝ぼけていたから、正直俺に対しての手紙かは分からなかった。
 でも、今日こうやって樋口さんと話している。そして、樋口さんは分かりやすく照れている。
 このシチュエーションで、俺に気がないなんて可能性は0だと思った。
 好きと書かれた手紙 + めちゃくちゃ照れてる差出人 = 100%脈アリ
 という、バカな方程式が俺の脳内で完成された。
 もうこれは、夢のような展開! この付き合う前のせめぎあい、楽しすぎる! 目の前の恥ずかしさMAXの樋口さん、可愛すぎる!

 俺はこの甘い蜜を全部吸い付くしてやろうと決めた。
 何があっても、絶対に俺のほうが先に告白なんかしない。樋口さんの意志を試したかった。
 そんなマイルールを決めて、ポーカーフェイスを作ることに徹した。

「うん」
 迷ったせいで変な間が空いた。

「ホント? 信じていいの?」
「あっ、えっ。 あっ、うん」
 まさかの再確認に明らかに動揺が声になった。

「やだーはずかしいな、どうしよう」
 樋口さんは両手を頬に当てて、体を揺らしている。

「え? よ、読むよ」
 手紙の封を開けた。
「え、ちょっとまって!」
 樋口さんが俺の手を掴んだのは束の間、すぐに離して、座席を指でいじくり始めた。
「結構思い切ってやってみたんだけど......」

「えっと......」
 俺は再び手紙の封を開けて、中の紙を手に取る。
 まさか、ここで中身が昨日と変わってたら、とんだドッキリだと不安になったが、「好きです」の字面を見ると一瞬で吹き飛んだ。
「へー」
 あたかも初めて見ますよ、という雰囲気をかもしだして、見た。

「見た?」
 樋口さんは、明らかに俺が手紙を見ているのにも関わらず確認してきた。樋口さんもなかなかの確認女だ。

「え? これ、な、なんて書いてあるの?」
 国語は赤点レベルだが、「好きです」くらいは読める。でも、ここで、「俺も好きです」なんて言わない。
 別に、バカみたいだ、と笑われてもいい。俺も意地だ。愚直に自分のルールを守りたいだけだ。
 
「もー」と言いながらも、樋口さんは嬉しそうにしている。恐らく樋口さんほどの人なら、俺がわざと確認しているのもお見通しなんだろう。完全に自分の勝利を確信している余裕の笑みだ。
「ふふふ、言わせるの? 言わせる気?」

「なんだろ......好きかな? 女子き?」
 こうなると、俺も徹底抗戦。完全なる鈍感で馬鹿な男を演じきるしかない。

「なんかさ、あの、ずっといつも同じ時間帯のに乗ってて、勝手に、あっ! 今日も一緒だ! って、ちょっと嬉しくなっちゃってた自分がいるんだよね」
 泥試合になるかと思いきや、樋口さんはあっさりと白旗をあげるように、俺への想いを伝えてくれた。

「えー、そんなふうに思ってくれてたの?」
「そう」
 俺と同じ感情を樋口さんも抱いていたことに、狂喜乱舞した。俺の一方的な、一歩間違えたらストーカーにもなるような恋が、いつしか互いに恋をしていたなんて、甘すぎて胃もたれする展開だ。

「てことは、これ」と俺は、好きですと書かれた文面を樋口さんに見せると、「もーバカー」とニヤけながら肩を押してきた。

「好きってこと?」
「うん!.....好き」
 俺のしつこい確認に樋口さんは食い気味に頷いた。

 告白されて、俺のポーカーフェイスの牙城がぐずれ、ニヤけると同時に、グフッと気持ち悪い吐息が漏れた。
「え? え? 俺? 俺のことを?」

「もー恥ずかしいから、そんな何回も言わせないでよー。もちろんそうだよー」
 樋口さんは俺の肩を掴んで揺さぶってきた。
 なんだこの楽しい時間は。
 この時間よ永遠にと願いながら、俺は確認した。

「え? おれ......すき......なんで?」



 

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