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父について語る本・3冊

じっくりと考えたいことがあるのですが、いまはどうにも言葉にならないので、今日は最近読んだオードリー若林さん『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』から派生して、「父」について語る本・3冊について紹介します。

わたしの本棚に入っていてパッと目に入ったエッセイばかりなので、どれも気負いなく読めるはず。

以前書いたこちらのnoteも、わたしの記事だとわりと見てもらえているようなので、もしまだの方はぜひご覧になってみてください。


1 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

冒頭で紹介した、オードリー若林正恭さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』。noteの読書感想文企画に応募しようかな、と思い軽い気持ちで手にしてみたものの、その内容に大変引き込まれた。

わたしはオードリーのオールナイトを毎週聞いている「リトルトゥース」(オードリーのラジオリスナーの総称)でもある。しかしここには、テレビやラジオで見せる若林さんの芸人としての顔ではなく、“人間”としての姿が赤裸々に語られていた。紀行文という体裁だが、「こんな部分まで見せてくれるの?」というほどに内面を露出している。

若林さんは、亡くなった父親について考える。そして、世界の多くが取り入れているシステム・新自由主義について思いを巡らす。

華やかで明るい芸能界という場所に身をおき、ある意味では“成功”を手中におさめた存在。みんなに名の知れた有名人。そうでありながら、若林さんは、等身大の自分の思いを切実に吐露してくれる。読めば、若林さんのことがきっともっと好きになると思う。


2 『猫を棄てる 父親について語るとき』

今年4月に刊行された『猫を棄てる 父親について語るとき』は、これまでの村上作品のなかでも、趣を異にする作品。なぜなら、村上さんがこれまで語ってこなかった父親について、幼少期のエピソードと共に、父が歩んできた背景を紐解く形で語られており、村上さんのルーツが垣間見える作品だと言えるからだ。

わたしは2019年6月にこの寄稿が掲載された『文藝春秋』でこの話を読んだが、おそらくは言葉にすることが難しい父親への複雑な思いについて、さまざまな角度からの描写によって、こんな風に形にすることができるのか、と驚き夢中になった。

村上さん自身もあとがきで、こう語っている。

ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らのクラス世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微小な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。

でも僕としてはそれをいわゆる「メッセージ」として書きたくはなかった。歴史の片隅にあるひとつの名もなき物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ。

そして、日本を代表する作家が綴る「個人的な物語」は、大変に尊く、胸を打つものなのだ。

単行本化された際には、Gao Yanさんという台湾のイラストレーターの絵が添えられている。懐かしい情緒を感じさせるイラストレーションが、作品の魅力をより一層引き立てている。(ちなみに『文藝春秋』の方には、村上さんと父・千秋さんの貴重な2ショットもされている。)


3 『父の詫び状』

父のことを描いた代表的なエッセイといえば、やはり向田邦子さんの『父の詫び状』ではないだろうか。

表題作の「父の詫び状」には、向田さんの厳しい昔気質の父親の姿が描かれている。一見するといい父親には見えないのだけれど、不器用な男親の愛情と、それを受け止める娘の視線が印象的な作品だ。そして何よりわたしがうらやましく感じるのは、ささやかなエピソードのひとつひとつに、向田さんの父親が生きている、と思える点だ。

このエッセイを読むと、向田さんの父親を目の前で見たような「知った感覚」になる。実際にはそうしているわけではないけれど、瞬きひとつまで捉えたような、人となりが伝わる文章だ。切れ目なく話が展開されていくが、その優美なつながりも、とても心地よい。

どれも話題になった本や、有名な本なので、知っているものも多かったかもしれません。今回はストレートに「父」というテーマで選んでしまったのですが、もう少しテーマにひねりを加えつつ、この「3冊シリーズ」もたまにやっていきたいな、と思っています。

もしテーマもリクエストがあれば、それをもとに選書してみたいので、ぜひコメントもらえるとうれしいです。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。それではまた。

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