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掌編小説282(お題:閑古鳥の羽毛を拾っています)

神崎和菓子店は郊外の小さな商店街の中にあった。

例に漏れず住宅兼店舗になっていて、草色ののれんが湿気混じりの生ぬるい空気に遊ばれてかすかに揺れている。他のほとんどの店は昼間からシャッターが閉まっていた。人通りは滅多にない。コットンパンツのポケットからウォークマンを取りだして、しばらく、ホワイトノイズの中で店の外観を眺める。

入っているのはすべてインストゥルメンタルだ。素人がつくったフリー音源から海外の由緒あるオーケストラまで、ジャンル問わず、無秩序になんでも入れてある。和菓子屋だそうだけれど、ピアノの静かな旋律が似合いそうな店構えだった。日本人の女性ピアニストが晩年に出したアルバムを選んで、耳をすませる。かつてここにあったたくさんの足音。もうじきねむりにつく町。そこに降る雨、その最初の一粒。自分の輪郭がゆっくりと溶けていくのがわかった。旋律に身を任せて、ようやく、店の中へと足を踏みいれる。

誰もいなかった。店の人間は皆奥で和菓子の製作を行なっているのかもしれない。いてもいなくてもかまわなかった。和菓子を買いに来たわけではないし、いたとして、気づかれることなどないのだから。

店の隅を調べると今日もたくさんの羽が落ちていた。灰色の羽。ハトに似ているがカッコウのものだ。それを、畳んでしまっていた小さな黒のナップサックに詰めていく。夜の帳を糸にして織ったものだという話だった。その背景も含めて、ださいな、と思う。でも仕事だから仕方ない。

前の職場では「疫病神」と呼ばれていた。携わる会社はどういうわけかどこも五年以内に倒産してしまうからだった。良く言えば人畜無害、悪く言えば存在感がないので余計にたちが悪かった。職場の内外を問わず誰も疫病神とは仕事をしたがらなかった。倒産した会社が二桁になる前に追いだされた。職を失って、途方に暮れているときに今の職場に出会った。

一応、寝具メーカー……ということでいいのだろうか。閑古鳥の羽毛でまくらや布団をつくっている。閑古鳥がカッコウだというのはこの仕事に就いてから初めて知った。閑古鳥の鳴く、と形容される店にはある特殊な、つまり実態をもたない閑古鳥が本当に棲みついていて、この羽毛を使ったまくらや布団は就寝時のあらゆるノイズを吸収してすこぶるよくねむれるらしい。

閑古鳥の羽毛を一定量得るためには、もちろん、閑古鳥の鳴く寂れた店から定期的に羽毛を採取してこなくてはならない。それで疫病神の出番ということらしかった。なにしろ店に通うだけでそこには閑古鳥があらわれ、おまけに、影が薄いから同じだけ存在感のない幻の閑古鳥を視認できる。この会社に限っては疫病神の体質はすこぶる重宝された。

音楽と同化するのにはいつもそれなりの集中力が必要だが、同化してしまえばあとの仕事は楽だ。閑古鳥にさえ気づかれない。黙々と羽を拾い集め、用が済むと立ちあがる。ナップサックの口を閉じるときに羽の一枚がふわりと宙に舞った。目が、それを追いかけてしまう。忌々しいほど純粋に。

ショーケースに和菓子がならんでいた。ぽつりぽつり、品数は少ないけれど色彩は鮮やかだ。その中にひときわ美しい和菓子があった。鉱石のように見えたが名前は「紫陽花」というらしい。そういえば、和菓子というのはたしか月ごとに出まわるものが違うのだっけ。

商品名と値段表記の下に小さな文字で説明書きがある。『さいの目に切った錦玉羹(きんぎょくかん)で餡を包み、梅雨を彩る紫陽花を表現しました』錦玉羹というのはなんだろう。文字からして、羊羹の一種なんだろうか。紫陽花は土中のアルミニウムの量で色が決まるから、これはたぶん酸性の土壌に咲いたものを――。

「あ、いらっしゃいませ!」

ふりむくと、ばんじゅうを持った少女が店に入ってくるところだった。紺のセーラー服にエプロン姿。神崎小鳥で間違いないだろう。

仕事柄、人とは極力関わらないようにと厳命されているので基本的に店の人間のことは資料に載っているいくつかのことしか知らない。神崎小鳥。三代目店主の一人娘で、いわゆる看板娘というやつだろう。高校生。部活の合間に、ときどきこうして店を手伝っている。

「なにか気になる和菓子ありましたか?」

言葉に詰まる。さまよわせた視線のどこにも閑古鳥の姿はなかった。ワイヤレスのイヤホンを外す。僕は、ショーケースの上段に咲いた小さな紫陽花の群れを指で示した。

「これ、ください」

「紫陽花ですね!」

無愛想ならよかった。けれど彼女は呆れるほど無邪気で、錦玉羹なんかよりよっぽど、きらきらしていて。

「この町の方ですか? おにいさんみたいな若い人が和菓子に興味もってくれるなんて珍しいですね。うれしいな。よかったらまた来てください、来月はまた違う和菓子も出るんで!」

たった数百円ぽっちの買いもの客に、彼女は明るく陽気な声と、笑顔と、美しい和菓子を惜しげもなくふるまう。苦しかった。握りしめていたワイヤレスイヤホンをあわてて左右の耳に詰める。逃げるように店を出た。変な客だと思われたかもしれない。それでいい。実際変な客なのだから。僕は、疫病神なのだから。

指示もなく店の人間と接触してしまった場合は即座に退店して会社に連絡すること、というルールだった。スマートフォンをとりだして上司に経緯を伝える。

「羽は採れた?」

「はい」

「あ、そうなんだね。よかった。だったらそんなに心配することないよ。どのみちあそこはもうすぐ潰れるだろうって見立てだったから」

僕が関わったからですか、とは、今回も訊けなかった。

駅に近づくにつれ喧騒が大きくなっていく。ウォークマンを操作して、海外のロックバンドの複雑でアップテンポなインストゥルメンタルを再生した。僕の輪郭はまたたくまに溶けだして雑踏にもみ消されていく。神崎和菓子店には何ヶ月通ったのだっけ。思いだせない。思いださなくていい。思いだしてしまわないように、歩きながら、買ってしまった和菓子をぞんざいに一口で頬ばる。

甘かった。

どうしようもなく、甘かった。


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