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掌編小説050(お題:桃太郎のライバル)

昔々、あるところに桃之助という青年がおりました。

この青年の暮らす家にはそれはそれは大きく立派な桃の木があり、毎年たわわに実をつけると桃之助は人々にふるまってまわり、桃はまるまると肉厚で頬が落ちるほどに甘く、たいそう美味いと村では有名でありました。

ところが、桃之助の桃はいっとう美味いがゆえに、噂は悪さばかりする鬼たちのあいだにも聞き及び、慎ましやかに暮らす桃之助はいつも財産の代わりに手塩をかけて育てた自慢の桃を奪われてしまうのでした。

あるとき、これではいけないと、桃之助は大切な桃と村を守るために鬼たちが住むという〈鬼ヶ島〉へわたり奴らを退治しようと決意しました。

村の人々を混乱させるわけにはいかぬと、桃之助は誰にも秘めたる決意を打ち明けぬまま、まずは少ない家財やよくできた作物を見繕っては町へ下りてゆき、鍛冶屋の主人に何度も何度も頭を下げ、ようやく上等な刀を一本手に入れました。それから時間を見つけては山へのぼり、竹を相手に、血のにじむような思いで鍛錬に励みます。山には、人がおらぬ代わりに犬や雉や猿がいました。腹を空かせて近づいてくる彼らに自らこさえたきびだんごをやりながら休息をとると、桃之助はつかのま、孤独をまぎらわせることができました。

そのような生活が一年ほどもつづいたでしょうか。満月が煌々と足元を照らすある晩、いよいよ桃之助は人知れず村を旅立ちました。

村から忽然と姿を消した桃之助を気にかける者はおりませんでした。村はその日、なんとも不可思議な話で色めきたっていたのです。なんでも、村に住むある老夫婦が川から流れてきた大きな桃を拾って帰ったところ、中から元気な男の子が出てきたというではありませんか。桃から生まれたこの男の子は「桃太郎」と名づけられました。子供に恵まれなかった老夫婦はかわいい桃太郎を授けてくださった山の神に感謝の気持ちをこめて、この桃の種を庭に撒き、大切に育てました。桃太郎と庭先の桃はみるみるうちにすくすくと健やかに育ちました。そうして、老夫婦の桃太郎と桃の木は村を飛びだしてまたたくまに有名になりました。

桃之助がこの話を聞いたのは、孤独な長旅の末にようやく鬼たちが暮らす鬼ヶ島の場所を突きとめ、いよいよ乗りこまんとするそのときでした。舟を出す前に立ちよった茶屋で偶然茶娘から桃太郎の話を聞いた桃之助は、たった一言「そうか」と微笑んだといいます。茶娘に言わせればその顔はひどく寂しげで、心の糸がプツンと切れる音がここまで聞こえそうなほどであったとのことです。そして、桃之助を見たという者の話は、この茶娘の話が最後でした。

老夫婦の元で立派に育った桃太郎が村のために鬼退治へ旅立つのはそれからしばらくあとのこと。その有名な事の顛末はまた別のおはなし、ここでは割愛いたしましょう。

ただ、このとき村を襲った鬼たちの中には、一人だけ奇妙な者があったといいます。

その鬼は村のはずれにある廃屋の庭先で、ほんのつかのま、一本の朽ちた木をながめておりました。村人に気づくと大声をあげて金棒をふりまわし、木と廃屋を殴ったそうですが、その声はおそろしくも、しかしどこか悲しそうでもありました。

勇敢な桃太郎の活躍で村に平和が訪れてもなお、桃之助は村に戻らず、また桃之助の消息を知る者はひとりとておりません。

★後日譚
掌編小説062(お題:クライマックス直後)

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