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掌編小説062(お題:クライマックス直後)

「わあッ。」とときの声を上げて、桃太郎の主従が、いさましくお城の中に攻め込こんでいきますと、鬼の大将も大ぜいの家来を引き連れて、一人一人、太い鉄の棒をふりまわしながら、「おう、おう。」とさけんで、向かってきました。(楠山正雄『桃太郎』より)

***

「殺してくれ」

最後に残った鬼は、どかりと地面にあぐらをかいてうなだれたまま、静かに一言、言いました。

「命を捧げることだけが償いではありませんよ」

それまで果敢にふりまわしていた刀を緩慢な動きでしまう桃太郎の声は優しく、しかし、鬼は力なく笑うばかりです。

「さぁ、どうか俺の首を刎ねてくれ。そうしてあんたは、鬼を退治した勇敢な男として伝説になるのさ」

桃太郎の視線の先には、ああでもないこうでもない、と三者三様のやりかたで船に宝を積むお供たちの姿がありました。犬がこちらの気配に気づきふりむきますが、桃太郎は、問題ない、と片手をあげるだけで応えます。好奇心旺盛なあのお供たちのことですから、あれだけの金銀財宝を積んだ帰りの船上は、それはにぎやかになることでしょう。闘いは終わり、波は今、とても穏やかでした。

「あなたが手塩にかけて育てた桃は、村で一番の美味さだったと聞いています」

ほどなく帰路につくその船に視線をむけたまま、桃太郎は、鬼に言いました。

「村へ戻ることが叶わぬと言うのなら、どうか、残されたこの島をあなたのつくる桃の香りで満たしてくれませんか」

砂と石だらけのざらりとした地面に目を落としたままの鬼の脳裏には、しかし、長らく心のどこかにしまって蓋をしていたある光景が鮮明に思いだされるのでした。あたたかくふりそそぐ太陽の光。山から転がりこんでくる緑の濃いにおい。足裏にたしかに感じる土のやわらかな感触。生まれたときからずっとそこにあった大きな――。

「なんのことだかさっぱりだ」ため息を一つそっとついたあと、鬼はそれでもかたくなに首をふるばかりです。

「あちらから船を出すとき、近くの茶屋の娘から聞きました。以前、私の他にもこの鬼ヶ島へと船を出す者がいたと」

船。茶屋。娘。なにかが呼び起こされそうになるのを、鬼は、目をきつくつむることでどうにか回避しました。

「それは、かつて村のために鬼を退治しようと人知れず家を出たあなたの姿だったのではありませんか」

「俺は見てのとおり、鬼さ」

「あなた自身が鬼となってしまったことは通過点に過ぎません。私の行いが伝説になるというのなら、同じ志を持ちここへやってきたあなたもまた、伝説として語られるべきです」

そのとき、船のほうで桃太郎を呼ぶ声がありました。お供たちの声です。出航の準備が整ったようでした。桃太郎は懐から布に包まれた小さななにかを取りだすと、これを、と鬼の手に半ば強引に持たせます。面食らった鬼はおそるおそる包みを開けました。そこには、桃の種が一粒ありました。

「こんな話をご存知ですか?」

大きな手のひらの上をころりと転がる種をしげしげと見つめる鬼に、桃太郎は語りかけます。

「昔、ひとりの旅人がある村を訪ねたとき、村の若者が親切にも『身体を休めてください』と家に旅人を招きました。長旅で疲れた旅人のために手のこんだ食事とあたたかな寝床を用意してくれたその若者は、さらには、庭先になる村でいっとう美味いといわれる桃まで旅人に惜しげもなくふるまったそうです。旅人はとくにこの桃をたいそう気に入り、若者はそれを知ると、翌朝旅人が発つ際にもよくできた桃を二つ三つとわけてくれました。旅人は山を越えるその道中でその桃をありがたくいただきました。そのとき捨てた種は人知れず土に根をおろし、すくすくと育ちます。やがてその木は大変に大きな桃をひとつ実らせました。ところが、立派な桃はその重さゆえに、ある日とうとう川に落ちてしまいます。どんぶらこ、どんぶらこ……」

鬼は、はっとした顔で桃太郎を見あげました。

「山で知りあったあの者たちから旅の道中に聞いた話なのですがね」

桃太郎はそう言ってまた船のほうに目をやります。

「この種は、その子にあたる桃から採れたものです。縁あって、私を育ててくれたおじいさんとおばあさんが持っていました。鬼退治のお守りにといただいたものですが、これを、あなたに託します」

「待て、俺は――!」

「鬼よ、また会いましょう。そのときにはここが、まさしく桃源郷のごと美しい島になっていることを願っています」

鬼に背をむけ、桃太郎はお供の待つ船のほうへと歩いていきました。犬が天にむかって朗々と遠吠えをし、猿が器用に櫂をあやつって船を漕ぎだしました。雉は空を旋回し、船べりに降りると海の様子や進行方向を桃太郎に告げます。そうしてみるみるうちに彼らを乗せた船は遠くなり、そしていよいよ見えなくなりました。島には鬼が独り残されました。

鬼がまず最初にはじめたのは、砂と石ばかりの荒れ果てた島を今一度見てまわることでした。そしてようやくわずかばかり土があり陽のあたる場所を見つけると、手で土を掘り、そこに種を植えました。優しく土をかぶせ、水をやると、それから鬼は仲間たちを弔いました。途方もない時間でした。自分が人間の姿に戻りつつあることに、鬼はまだ、気がつきませんでした。

***

庭先の桃の木がまるまるとした実をたわわにつけた頃。桃太郎はおじいさんの前に出て、

「どうぞ、私にしばらくおひまをください」

と言いました。

「どこへ行くんだい?」

おじいさんとおばあさんは顔を見あわせたのち、心配そうに訊ねます。こんなことが数年前にもあったことを二人は、あるいは、桃太郎自身も心の隅で思いだしていました。

しかし、あのときとは違うことが一つだけ。

「桃源郷へ行ってまいります」

こうして、桃太郎はおばあさんがこしらえたきびだんごを携え、犬と猿と雉を連れて旅に出ました。

この地には、船を漕いでいくと、遠い遠い海の果てに「桃ヶ島」という島があります。桃ヶ島は実りの季節を迎えると桃の香りが島中にただよい、そこで採れる桃はたいそう美味く、また島の者が丹精こめて育てた四季折々の美しい花も見ることができると見物に行く者が絶えない島として知られています。

海をわたり、ここで穏やかなひとときを過ごす人々は皆、口をそろえて言うそうです。

ここはまるで桃源郷だ、と。


冒頭文は青空文庫に収録されている楠山正雄『桃太郎』を引用しました。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/card18376.html

★前日譚
掌編小説050(お題:桃太郎のライバル)

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