生物多様性保全型農業からみたブランド化戦略の限界と「公共財としての農業」

 農業従事者の人口減少および高齢化が著しく、農地面積の減少が問題となっている。新規就農や企業の参入を促進するためにも農業を成長産業とする工夫が行われ、新しいビジネスモデルが提示されている。大規模化によるコストダウンや、そこにクラウドなどの情報技術を活用したフードバリューチェーンの構築やスマート農業を組み合わせることはひとつの大きなビジネスモデルである。
 同時に、農業には多面的機能がある。多面的機能には、防災機能、水資源や都市の環境を改善するインフラ機能、景観を維持する機能、地域産業を振興する機能、伝統文化を引き継ぐ機能、教育機能、癒しをもたらす機能、そして生物多様性を保持する機能などである。このなかの生物多様性については、大規模化が生物多様性を毀損することが過去に報告されている。逆に生物多様性を保持するための農業は、慣行農業と比較して農業者の負担が増える点も指摘されている。このため、生物多様性を考慮した農業を行う農業者や地域では、その生産物をブランド化して価格プレミアムを得ることでこれを解消しようとしている。
 生物多様性を考慮した農業のブランド化とそのためのフードバリューチェーンをみることで、産業として成長するか否かという経済産業的な面だけではない農業の多面的機能を政府、地方自治体がどのように支えることができるか本稿では考察する。

<農業の「成長産業化」>
 現在、日本の基幹的農業従事者は65歳以上が69.6%、49歳以下は10.8%と著しく高齢化が進んでいる。また2002年に225.6万人いた基幹的農業従事者は2020年に136.3万人に減少している。それにともなって農地面積の減少も続いている。新規就農者への支援なども行っているが、生計が安定しないことを理由に数年以内に離農する者も多く、就農5年目以上の者のうち47%が「農業所得では生計は成り立っていない」というデータがある。
 このような課題から、農業で生計が成り立つ産業とし成長産業とするための新しい試みやそれを促進する施策が行われている。6次産業化や農村イノベーションなどもあるが、農業の大規模化とスマート農業による生産の効率化、生産から消費までの情報を共有しマーケットインの発想で高い価値を付ける流通の最適化、そしてこの2つの組み合わせが、農業を成長産業とするための大きな1つの方策である。

<農業の多面的機能>
 農業には多面的機能機能がある。農林水産省および日本学術会議の資料によれば、洪水防止機能、土砂崩壊防止機能、土壌侵食流出防止機能、河川流況安定機能、地下水涵養機能、水質浄化機能、有機性廃棄物分解機能、大気調節機能、資源の過剰な集積・収奪防止機能、生物多様性を保全する機能、土地空間を保全する機能、地域社会を振興する機能、伝統文化を保存する機能、人間性を回復する機能、人間を教育する機能が挙げられている。機能のうち貨幣評価が可能である部分を計算すると年間8兆2226億円であるとされている。

<生物多様性と農業>
 生物多様性は上記の計算には貨幣評価ができないものとして含まれていないが、水質浄化機能、有機性廃棄物分解機能、大気調節機能、資源の過剰な集積・収奪防止機能や伝統文化を保存する機能などは生物多様性と密接な関係をもっている。
 特に稲作を目的とした水田は、物理的環境が湿地と類似している。日本の湿地の面積は820.99km2と報告されているが、水田は14700km2あり、日本産生物種数のうち、動物の約5%、植物の31%が水田およびその周辺を利用している。このように水田は稲作の場であると同時に自然湿地に生息する生物の代替生息地でもある。生物多様性は害虫防除などの生態系サービスをもたらしている。しかし、農業の集約化および耕作放棄は水田景観に生息する生物を減少させることが示されてきた。このような中、生物多様性に配慮した生物多様性配慮型農法が一部地域で試みられている。具体的には、有機栽培、冬期湛水、江の設置、中干延期、夏期湛水、魚道、休耕田のビオトープ利用などが行われている。

<ブランド化戦略の効果と限界>
 このような生物多様性配慮型農法を行い、生産した米に付加価値をつけて販売するケースがある。滋賀県の「魚のゆりかご水田米」、佐渡市の「朱鷺と暮らす郷認証米」、豊岡市の「コウノトリ育むお米」が代表的である。これらは計量経済学的に調査されており、特定の生物に配慮して栽培した米は5kgあたり平均661円、無農薬・無化学肥料であることを兼ねると1024円のプレミアムがあることや、知識のある購買者は知識のない購買者よりも高い価値を認めること、自治体を含めた広報による認知の改善は価値の工場につながることなどが示されている。
 一方「コウノトリ育むお米」を対象にした研究では、生物多様性よりも自身の健康に消費者は価値をおくこと、コウノトリの保全活動の価格転嫁については消費者は認識しているが、その周辺の生物多様性の保全の価格転嫁に対する認識は低いことなどが示された。

<公共財としての生物多様性>
 このようにみると生物多様性配慮型農法には、2つの価値があると考えられる。米に付随するイメージや安全性、ブランドに対する私的財としての価値と、生物多様性が保全されることによる良好な環境や生態系サービスなど公共財としての価値である。価格帯が慣行栽培米より高い上記のような米を購入する消費者であってさえ、公共財としての生物多様性を維持するための費用負担や費用負担意思は十分ではなかった。

<中央/地方政府の支援>
 生物多様性を保全するための農業を促進するために地方政府にはなにができるだろうか。第一に、自治体単位などある程度まとまった「面」での生物多様性配慮型農法を導入する意見の集約を行うことである。生物多様性配慮型農法はまとまった単位で行うことで効果がよりあがる。第二に、公共財である価値を認めて公的支出による支援を行うことである。第三に、ブランド化しその価値を活かした販路を確保し、フードバリューチェーンを築くことである。農家直販よりも農協などの販路のほうがプレミアムは高くなったというデータがある。農協に限らないがこのような販路の確保のために行政が支援をすることも有効であろう。第四に、知名度など認知されるための活動である。第五に、環境や生物多様性の視点で農業における地域基本計画を作成することである。特に小規模な農地、変則的な形の農地、中山間地域は大規模化、効率化による「成長産業化」は困難であり、そのような土地に対しては、生物多様性などの多面的機能を意識した特徴化が地域産業としての農業を振興する方策の1つとなりうる。
 中央政府は、このような地方自治体の活動を予算面で支援することのほか、農林水産省と環境省間の省を越えた協力が必要である。また「みどりの食料システム戦略」のなかでの生物多様性保全を含む多面的機能の位置づけを明確にすることが必要である。生物多様性のみならず、農業の多面的機能と呼ばれる機能の多くは公共財としての役割が多い。農業の大規模化、効率化が強調される面もあるが、中山間地域とは馴染まない点があり、多面的機能のもつ公共財としての性質を考慮すれば、一定の公的支出が必要である。一方で、現状、民間主体で農業サービスが提供されていることを考慮すれば完全に公的なものをすることは現実的ではない。農地やその機能に応じた「直接支払い」や医療提供体制のように、一定の市場介入をしながらそのうえで民間努力が行われるような農業政策を考えていく必要がある。

<まとめ>
 生物多様性配慮型農法をみることで、農業の多面的機能の一面をみた。またブランド化などの私的努力のみでは私的財としての価格しか収益があがらず、公共財としての生物多様性を保全するのには十分ではなく、公的な支援が必要であることをみた。この構造は、防災機能、伝統文化を保存する機能、また食料安全保障機能など農業のもつ多様な公共財としての機能においても同様である可能性がある。地域や作物によって大規模化、効率化に適し「成長産業化」することが適しているもの、公共財としての性質を前面にだすことが適しているものがあると考えられ、それぞれに適した農業政策が必要である。

(参考文献)
21世紀政策研究所 『2025年 日本の農業ビジネス』 講談社現代新書
西川潮『佐渡世界遺産農業における生物共生農法への取り組み効果』2015
西村武司ら『生物多様性に配慮した水田農業の経済的成立条件』2012
大澤啓志ら『これからの農村計画における新しい「生物多様性保全」の捉え方』2008
矢部光保ら『生きものブランド米における生物多様性の価値形成』2011
田中淳志ら『生物多様性ブランド農産物の販売状況と今後の展望』2017
西村武司ら『生物多様性保全型農産物に対する消費者の購買意志』2012
片山直樹ら『水田の生物多様性に配慮した農法の保全効果:これまでの成果と将来の課題』2020

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