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明日で1か月毎日投稿達成だ!

早いもので、1か月前から始めた毎日投稿チャレンジが、明日で終わりを迎えようとしている。

たまに寝落ちして、記事が書けてない・・・(あわわ)という事変も起きてはいたが、概ね毎日投稿ということで良しとしよう。こういうザックリ感が重要なのである(と信じたい)。

本当は、毎日投稿についての話は最終日まで取っておこうかと思ったのだが、我慢しきれずついフライングしてしまった。まあ1日先走ったくらいなら誤差である。こういうザックリ感が(後略)。


さて、今自分の頭の中に、二つほど話したいテーマが浮かんでいる。

一つは、「毎日投稿をして、一カ月前の自分と今の自分はどう変わったか」
もう一つは、「この毎日投稿が終わったら、これから何をしたいか」である。

そんなの両方書いたらいいじゃないかとマイブレインが頭蓋の中から囁いているのだが、今日僕は夕飯にエビシューマイと一緒にハイボールをキメて幸せな眠気に浸っているところなので、とりあえず今日のところはどちらか1つにしようかなと思っている。


うむ、今ぱっと思いつきそうなのは毎日投稿で変わったことの方だろうか。

ちょうど明日は七夕だから、これからやりたいことは明日書くことにして、笹の葉につける短冊がわりにしようと思う。


ちょっと書く前に水汲んでくる。
ふう。今日もお水がうまい。



この1か月で、自分はいったい何が変わったのだろうか。

まず思いつくのは、noteを通じて新しい人との出会いがあったり、もとから仲がよかった人たちとの交流が生まれたことだろうか?

まず、もとから気になっていた人とお話する機会が増えたのが良かった。なぜか僕は他人のnote記事にコメントをするのが気恥しい性格をしているのだが、自分が書いた記事にコメントを貰っているうちに、僕もすこしは他人のnoteにコメントしに行けるようになってきた。

これは、魚に足が生えるくらいの進歩である。

それから、記事を通じていろいろな人の新たな一面が見れたのも嬉しかった。noteの記事で「英語がんばりた~い」などとのたまっていたら、大学の友人から英語の勉強会に誘ってもらえたり、やたら完成度の高い「縦読みできる文章」で感想文を送ってくれる猛者が現れたりと、エンジョイできる出来事がたくさんあった。

気付けば閲覧数やスキの数などを忘れてしまっているほど、熱中して文章が書けていたのは、こうしたみんなとの生のやりとりによる要因が大きかったと思う。自分のモチベーションはこんなところにあったのかと気づけるいいきっかけになった。


次に思いつくのは、より気楽に自分らしく文章が書けるようになってきたことだろうか。

以前、noteを書いていた時には、「おもしろ映えのあることをかかねば」と無意識にどこかで思いながら文章を作っていた気がする。でもこの1か月を通して、「大それたことを言ってなくても、自分が今思っていることや感じていることを言葉に書き表してみるだけで、案外おもしろい」ということに気付けたのは収穫である。

多分、文章という文字の羅列を通して、僕たちは書き手の心を、物語を読んでいるのではないかと、最近、というよりたった今思った。真偽のほどは不明である。

自分なりの気持ちがいい文体というのも、ある程度のイメージがついてきたかのように思う。僕は「~だ。」「~である。」で文末が終わる常体が結構好きなんだなと気づいた。

文章の冒頭とかは割とくだけた口調で喋っても、文末がピシッとしてるだけで、かなりそれっぽくシュールにまとまる。常体は僕の友達である。


それから最後に、「とりあえず毎日何か書いてみよう」というルールと、僕の類まれなる飽き性のおかげで、この1か月の間に色々な題材や書き方に挑戦することができた。

題材については、イラストを描いてみる回だったり、弾き語りを投稿してみる回だったり、天の川について調べたことをまとめてみる回だったり、なかなか楽しかった。

書き方については、自分が15分ごとに何文字文章が書けるか測ってみたり、今日のテーマを紙に10個書いてその中から書く内容を決めたり、自分自身にテーマについて質問を投げかけ、それに答える形で文章を書いていったりと、読者の目に届かないところでささやかにいろいろな楽しみ方をさせてもらっていた。


明日でこの毎日投稿も終わりであるが、我ながら1か月というちょうどよい期間を設定したものである。短すぎては変化を実感する前に取り組みが終わってしまっただろうし、長すぎては自分の中で書くことがマンネリ化してしまったかもしれない。

ひとまず、今回の企画は、明日で幕下げだ。この1か月、付き合ってくれたみなさまに盛大なスキを送りたい。

これから何をしたいか、ゆっくりと考えていこうと思っている。


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