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「おうちチーズアドバイザー」としてリスタートするまでを書いてみました(私のプロフィールです)。

こんにちは。
おうちチーズアドバイザーJunko(笹井純子)です。

先日、樺沢紫苑先生のウェブ心理塾セミナー「ベストセラーの法則~企画力・発想力セミナー」に参加いたしました。

その中で「著者のストーリーは宝」という話がありました(城村典子さん)。「その本をその著者が書く理由」があること大切。つまり、「その人のこれまでの人生があり、だからこそ書けるもの」が本になります。

なので、書籍を作る時に「プロフィール」そのものが立派な企画になり、自分のプロフィールをストーリーで語れることが大切だ、とのこと。これは「ぐさっ」と私に響きました。その大事さになんとなく気付いていたけれど、十分できているかと言われると、伝えきれてないな、、、。

自分の立ち位置がどこで、それは誰のどんな悩みをどうやって解決できるのか、、、プロフィールが語れないことには、これらを上手く届けることはできません。それは書籍云々だけではなく、私が「おうちチーズアドバイザー」として活動するためには必要なこと。

ということで、ワークのつもりで書いてみました。
私の新しいプロフィールです。


フロマジェと名乗っていた私が、チーズアドバイザーという肩書に変更した理由


「チーズのセミナー講師」というならば、もっと王道な道があるのだろうけれど、そことは全く異なった、ちょっと外れた道を歩いているのかもしれない。でも、そうしてからの方が重い荷物を下ろしたように気持ちが楽になった。そしてもちろん大変なこともあるけれど、それなりに楽しく前に進んでいる。

なぜなら、何かを成し遂げた時の一瞬の「喜び」ではなく、もっとじわじわと続くような「幸せ」を感じられるようになったからだ。


私のチーズとの出会いはワインだ。
会社の仕事の関係でワインの資格を取得し、他の業務をしながらワインセミナー講師としても活動していた。仕事柄、ワインと共にチーズを食べる機会は色々あったが、知識はほとんどない状態。それにその頃の私は「チーズというものはワイン好きが集まって食べるマニアックな食べ物」というイメージがあった。実際、当時は今以上に一部の人の食べ物であったことは間違いない。でも仕事で活かしたい、という思いから資格を取得した。
もう20年以上前のことだ。


しかし、夫の仕事でベルギーに約2年滞在中、チーズをぐっと身近に感じるようになった。そこではチーズは特別なものではなく、「日々の暮らしに根付いた食べ物」であり、また時に「おもてなしの食べ物」でもあった。そう、私が出産で入院していた時には病院食として出されるほど、当たり前のものであり、栄養も楽しさもたっぷりの食べ物なのだ。私たち家族もまわりのベルギー人たちにならって、マルシェでチーズをたくさん買い込んでは楽しんでいた。おかげで子供達も大好きだ。

この時に本当の意味でチーズを好きになったように思う。

長男出産した時の食事。朝ごはんはチーズたっぷり。当たり前の食べ物なんだなあ。


帰国後は他の仕事をしながら、ベルギー滞在中から不定期でおこなっていた「チーズとワインを楽しむ会」というものを気まぐれに実施した。その時に、「スクールに行くほど、しっかり習いたいわけじゃない。でもこんな楽しい会ならもっとやってほしい。リラックスしてチーズの楽しみ方を知ることができるって嬉しい。」そんな言葉をいただいた。それをきっかけに自宅で小さなチーズ教室を始めることにした。

ワイン等の酒類セミナーをはじめ、MCや人前で話す仕事は数多くこなしてきた。またチーズに関しても社内で資格取得のための研修を担当していたので、そこまでハードルが高いことだとは思っていなかった。

しかし、やってみると「技術がない」ということに気付いた。知識はあっても、技術を習ったことは一度もない。正直どのようにカットしていいかも、どのように盛り付けていいのかわからない。そこで、たまたま見つけたスクールで改めて知識と技術を磨くことになった。


すると、ふと気付けば新しい道が開けていた。

不器用な分、基礎を丁寧に積み重ねたのが良かったのかもしれない。とにかく地道に努力した。そのかいあって、新たな資格を取得しただけではなく、チーズ専門家たちが競う日本大会準優勝、世界大会ファイナリストとなった。少し前の自分なら微塵も想像できなかった快挙だ。私とは無縁の、次元の違う話だと思っていたのに。

「世界の舞台に立つ」なんて、私の人生できっと最初で最後の出来事だと思うし、やはりここにくるまで、そして終わった後はものすごい高揚感があった。思い出に残る出来事であることは今でも間違いない。

2017世界最優秀フロマジェコンクールで


でも、どんどん時間が経つにつれ、その「高揚感」は違ったものに変化していく。「私は何の為に大会に出場したのだろうか?」そんな疑問が湧いてくる。もちろん、そのような大きな目標があったことで、技術が磨かれたことは確かだ。でも、そこまでの技術や知識は果たして今の私に必要だったのだろうか?

なんだか場違いな気がしたのだ。
選手たちは当たり前のように、店で日々チーズに触れているプロフェッショナルばかり。私はチーズ講師という立場であり、状況は全く異なる。まるで違うステージに立っているような気がした。私は何のためにここまで頑張ってきたのだろうか?

そんな思いを抱えながらもどこかで蓋をしていた。
見て見ぬふりをしていた。

そのうちスクールでは生徒という立場ではなく講師を任された。その頃は、いかに詳しい話を知っているか、どれだけ立派なチーズの盛り付けができるかが重要であった。そして、チーズ講師として活躍するならば、そういう環境で頑張ることが必要だと心底思っていた。それが「安心感」につながり、自分に価値があると思っていたから。つまり、そこから外れることは、「王道」から外れることでありとても怖かったのだ。

それに、当時はその中の価値観やルールで動いていることに疑問もなく、頑張っていることにやりがいを感じていた。時々「これがやりたいこと?」「しんどいな」「あれ?」と思うことはあっても、まだまだ未熟だから仕方がない、とも同時に思ったので、ふと湧いた疑問は自分の中でスルーされていった。いや多分そうしたものに蓋をしていただけで、きっとなくなっていたわけではなかった。

だが、その感情は見過ごせないほどいっぱいになったある時、あふれ出してしまった。感情がぶわっと一気に出た後は、風船がしぼんだように心のエネルギーはゼロになってしまった。半年以上、何もできなくなった。


気持ちに嘘ばかりついて、「自分」を全く大切にしていなかった。「自分がしたいこと」ではなく、周りの環境に引きずられながら、みんなと同じ方向に全力で走っているだけだった。本当は目的地が違うのに、だ。だから、走っても走っても常に競い続ける環境ではいつまでたっても幸せにはなれなくて、もうヘトヘトになっていたのだ。


私が本当にチーズを好きになったのはベルギーでの体験だ。
町の人達が当たり前のようにマルシェでチーズをたっぷり買っていく光景、友人宅では必ずチーズを用意しておいてくれた体験、そして家族で楽しんだチーズ…それらが私の根っこにある。私にとって「特別な」チーズではなく、「家族で楽しむもの」がチーズなのだ。

もちろん、日本ではベルギーにいた頃のようにたっぷり買って毎日食べる、というのは無理かもしれない。でも、マニアックな食べ物でもなく、知識を持っている人だけの特別な食べ物ではない、もう少し気軽な「チーズ」をたくさんの人に知ってほしい、、、そう思ったからチーズ講師を始めたんだ、ということを思い出した。


食後にもうちょっと、ということで、余っているチーズをゴソゴソかき集めることも。それなりに可愛いくなって喜んでくれる。


私は食を囲む家族との時間が大好きだ。
私が幼少の頃は、家族とのだんらんの記憶はない。家族で食を囲む、というのは私にとって憧れだった。でも、幸いなことに今の家族は愛情にあふれている。もちろん、何度も喧嘩もするし、色んな壁にぶち当たる。それでも、やっぱり家族は大好きだ。そして、食を囲んだコミュニケーションというのは我が家には欠かせない。毎日の素朴なごはん、そして週末や、記念日などにちょっと特別な食事をみんなで張り切って準備をするのも大好きだ。それだけで、家族との時間がスペシャルになる。おうち時間が楽しくなる。

そういう時、我が家ではチーズが欠かせない。お庭のハーブや、おうちにあるものを添えて少しだけおめかしして盛り付けると、「うわぁ」と歓声が上がる。それだけで嬉しくなる。そして、食後の時間をもう少しおしゃべりして過ごすことができるのだ。そんな「あともうちょっと」の時間をチーズが与えてくれる。私が好きなのはチーズのそういうところかもしれないと思う。

家族との時間を少し特別にしてくれるチーズ。そんな主婦の目線で、おうちチーズを楽しむご提案をしていきたい。そして、家族とのコミュニケーションの潤滑油にしてほしい。

それにはかっこいい「フロマジェ」よりも「おうちチーズアドバイザー」の方が、私にはしっくりくるのかなと思っている。


お誕生日のプラトー。カマンベール1個だけど、いちごでケーキのように華やかに。おうち時間が楽しくなる。



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