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殴らなくなった父との散歩


憧れ

本当はずっとしたかったこと


「父との散歩」

他にもある。
穏やかに父さんと話すこと。
父さんにありがとうと言ってもらえること。
父さんに褒めてもらうこと。
冗談を言い合うこと。
二人っきりで美味しいねってごはんを食べること。
思い出を話すこと。


ずっとずっと 私は父さんに認められたかった。
殴られるのではなく、抱きしめてもらうように触れて欲しかった。


でもそれは、鬱が回復してかなりの時間が経って、やっとやっと
認められるようになったのだった。
長い間、置き去りになっていた憧れだった。


本音が埋まるほど父を嫌う

ちょうど、鬱になる直前に
「めちゃくちゃ父さん大好きコンプレックスじゃん」
そう友人に言われて、大激怒したことを覚えている。

私が父を大好きなんてあるわけない!
私の話に耳も傾けず、私の友人まで侮辱して、全てを母のせいにし、
話がわからないやつは殴るしかないって殴ってきた人を
私が好きなはずない!

嫌いだから、距離を取る。
物理的に地球の遠いところ、簡単に追いかけて来られない所までいくんだ。
そのために私はなんとしてでも、海外に出ていく。

日本という国に既に生きづらさを感じていた15歳から海外に住むという目標はあった。それに加えて、嫌いだから父から離れるという感情が後押し、年々強固になっていった。私の人生においてマスト項目だった。
それから何年も経ち、有言実行した私に向けられた友人の言葉に憤ったのだ。

私はスペインまで来たのに。
父さんが嫌いだから移り住んでいるのに、
父さんコンプレックスなんてありえない。


殴られる日常

私が記憶してる限り、頭から血を出したり、髪の毛を持ち引きずり回されていたのは6歳の時。それから大きくなっても、頻繁に殴られていたので体の骨がよくずれたため、父に内緒で母は整体に通わせてくれていた。
母は働きに出ることを禁じられていたので、一家の財布は父が握っていた。
なので、気に入らないことがあるとすぐ父は「金は出さない」と口癖のようにいった。そんな状況で整体に行くお金を母はよく工面してくれたと思う。

治してもすぐ殴られて、骨なんてまたズレるのに。

「殴られる」って痛いけど、慣れる。
「言葉で言ってもわからない奴は殴るしかない。」って言いながら殴ってきたけど、
「なんで、言葉で分からないのに、殴ったら分かると思っているんだ」
と言い返して睨み返してきた。
もちろん、大人の力に子供の抵抗なんてしれてるけどね。
ただ、嫌いという思いは濃く深くなる。



父の好みでないことは全否定

父さんの趣味でないタイプの親または子供とは関わってはいけない。
もしその子と仲良くでもしているのが知れたら、その子供もその親も、もちろん私も全否定。私がいくら頑張っていたお稽古事も父さんの趣味ではないから全否定。替わりに父の好きな水泳や塾に通えばお小遣いがもらえるというので兄弟はそれに従っていた。私は全く逆で、自分の気持ちに嘘をつかなかった。私と違って、無駄に反抗しない兄弟たちが殴られているのは見たことがなかった。
 
そうして6歳から18歳まで実家で過ごし、やっとの思いで一人暮らしを始めたときは解放された気分だった。
最も今となっては一人暮らしを始めるのも専門学校に通うのも、父と母の両方の理解があって叶ったことで父に全く理解がなかったとは言えない。

でも実際に父から蔑まれていた。
「そんなものに興味を持って」「そんな友人たちとつるんで」
「そんな事しか考えられなくて」「そんな金にもならない事が好きなんて」

この父のいう「そんな」
私の大切なもの。私の大好きな人たち。私の大事な考え。私のしたいこと。
だった。
だから「理解してもらえない。」は小さい時から変わらない。
「嫌い」も当然変わらない。

そう、父のことが大嫌い。で人生の大半を生きてきたのだった。
私の「鬱」ブラックボックスの中身は父に関連することが山盛りだった。


根深い

ブラックボックスが全て父に繋がっているのではないかと思うほど、根深かった。カウンセラーと話せば話すほど、父に関するものばかりだった。

大嫌い。だって理解してくれないから。
大嫌い。だって殴ってくるから。
だって私を蔑むし、私も母も友人も否定して泣かせるから。

カウンセラーの先生は全てを聞いてくれる。
無論、全てを聞く体制で受け入れてくれる相手がいる時にしかブラックボックスは浮上してこない。そして先生はこう声をかけてくれた。

「あなたのお父さんの愛し方がまずかったね。
間違った方法だったと思う。それを受けてきて辛かったね。」

人生で初めて父のことを間違ってる。と言ってくれた人が現れた瞬間だった。小さい時に学校の先生に父に殴られるのが嫌だと相談したことがある。
でも「お父さんもあなたもしょうがないんじゃない。」とだけ言われ流されてしまった。
母には、父が殴るように仕向ける私が悪いのだと言っていた。
だから大人で、しかも専門家の先生が父のこと間違っているとハッキリ宣言してくれたことが嬉しかった。


「今でもお父さんはあなたに同じことを言ってる?殴ってる?」

言ってる。態度がそうだもの。
いつだって会ったら、私の穴を探そうとしてる。
そして必ず何かは否定される。殴られる頻度は減ったかな。
母にはまだ手が出るけど。

「全く同じ言葉を言い続けてる?」
全く同じではない。でもそう、感じる。

そして次にカウンセラーの先生は少しショッキングな言葉を言った。

「もう理想のお父さんは存在しないことを認めましょう。」

?????どういうことか、聞いた瞬間では理解できなかった。

続く→『理想の父は存在しない(続き)』


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