障害者って誰が決めたの?

私はあまり自覚はないけれど、脊髄損傷だ。
初めて主治医に言われた時はその言葉の重大さにびっくりした。
脊髄損傷=車椅子生活、障害者のようなイメージがぼんやりとあったから。

いまの私は両手杖でほんの少しなら歩けるけれど、椅子からは自力で立ち上がることができない。とにかく太ももと膝の力が弱い。

でも脊髄損傷ってもっと大変な人を指すのだと思っていた。
私みたいに中途半端に歩ける人間のことではないと。ドラマなどから得た勝手な知識なんだろうと思う。

この先の私は障害者手帳を取得するかもしれないし、車椅子生活になるかもしれない。
そこで私は疑問に思った。
私はいま「障害者」なのだろうか。障害者って決めるのは誰なんだろうか。

車椅子でしか生活できないとなると障害者な気はする。障害者手帳を取得するとなると手帳が障害者である証明のような気がする。

じゃあいまの私は?

整形外科に入院しているから、周りは歩けない人が多い。身の回りのことも看護師さんがやってくれるからあまり不便はない。
ここでは私はただの患者なのだ。

でも私が車椅子で、杖を持って、外に出たら周りの人は障害者だと思うんだろう。
私自身もそこではなんとなくそう思う気がする。

障害者であることを決めるのは自分ではなく、環境や社会であるという不思議に私は当事者になってみて初めて気がついた。(まだ普通に歩けるようになる未来も残っているけれど)

ただ私は自分を障害者だと自覚しなければいけない日が来たとしても、だから不幸だとは思いたくないと思う。
だって私が一番恐れていることは、身体の不自由よりも心が鬱々とした気持ちでいっぱいになることだから。



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