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第1回 「岡本太郎記念館」を訪ねて/「犬の植木鉢」をつくる

ごあいさつ

 美術館を楽しむコツとして、「どれか一つ買うつもりで見て回ると、面白いよ」というアドバイスを聞いたことがある人も多いと思います。
 確かに買うつもりで見ると、作品に愛着が沸いて、知りたい気持ちも盛り上がって、楽しい気持ちになります。ただ気に入ったものがあったとしても、実際に買えるのかというと、普通の人はお財布が追いつかないという場合がほとんどですよね。もちろん私もそうです。仮に予算が青天井だとしても、そもそも値段などつかないという場合もしばしばです。

 そこで私は、買えないなら自分で作ってしまおうということを時々やっております。今回はその一つをご紹介してみようと思った次第です。

 なお、私は芸術家でも学芸員でもなく、美術教育すら受けたことのないただの素人です。なので、作品としての芸術性や、レプリカとしての学術的な正確さは期待するべくもありません。出来上がったものがネタ元の原型をとどめなくなっていることもよくあります。そのあたりはあまり気にせず、自分の生活をちょっと楽しくできたらいいなという程度でお気楽にやっておりますので、興味を持っていただけた方はぜひおつきあいください。

美術館の基本情報

 さて今回訪ねた美術館は、「岡本太郎記念館」です。 この建物は、1954年に芸術家、岡本太郎の住居兼アトリエとして、建築家、板倉準三の設計により建てられたものをベースにしています。

 自邸建築当時の岡本太郎は、フランスへの洋行からかえってのち、着実に実績を積み重ねて当代一流の芸術家として広く世間に認められる存在となっていました。さらにこの自邸で1970年の大阪万博の太陽の塔の構想を練り、美術史に不動の名声を残すのはご存じのとおりです。岡本太郎は生涯、夫人とともにここに住み続けました。没後、建物はご子息に管理されていましたが、時は流れて1998年にカフェ&展示スペースを建て増しした形で記念館として公開されました。

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 向かって左側が建て増し部分、右側が旧住宅部分です。

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 旧住宅部分は当時の様子を再現していますが、インテリアも小物に至るまで徹底的に岡本太郎テイストです。「ほんとにこんな生活だったの?」と言いたくなりますが、古い写真でも概ねこんな調子なので、ほんとにこんな生活だったのでしょう。さすが岡本太郎。

美術館の感想

 決して大きい建物ではありません。住宅として使われていたころ、建物は3.5間(6.37m)*7.40mが2つつながった土地に建っていました。これをもとに計算するなら、建築面積は28.52坪(92.28m^2)。総二階なので延床面積は 188.55m^2。今の目で見れば狭小住宅といってもいいでしょう。立地は南青山ですが、華やかな表通りからはちょっと裏に入った閑静な通りに建っています。ただ、小さな敷地からこぼれ出るように、見覚えのある岡本太郎らしいオブジェが覗いていて、隠しおおせぬ存在感を放っています。

写真04

 壁はコンクリートブロック積みで、1階と2階の間、そして天井が木造です。コンクリートブロックで住宅の壁を作るのは、今ではまず見かけませんが戦後の一定期間は結構ポピュラーな工法でした。ユニークなのは、屋根の構造で、「応力外皮構造(skin stress construction)」と呼ばれる工法を採用しています。外観は上下に凸状に膨らんだレンチキュラーレンズ(かまぼこレンズ)のような感じで、「木材によるはしご状の束」でできているそうです(パナソニック電工汐留ミュージアム、「建築家 坂倉準三展 モダニズムを住む -住宅、家具、デザイン-」、建築資料研究社、2010)。詳細は分かりませんが、要するに網状に面で支えるモノコック構造ということだろうと理解しました。もしそうなら、屋根はモノコックの中の空気の層が断熱材としてはたらくのかもしれませんが、壁は内側も外側もコンクリートブロックむき出しなので、断熱材も仕込みようがなく、さぞかし「夏暑く、冬寒い」だったんじゃないかと疑っています。

写真05

 この住宅は設計図も残っていて、たとえば前述の書籍で写真を確認することができます。見てみると、吹き抜けのアトリエが家の半分を占めるという、明確な意思に貫かれたプランニングです。生活スペースの一角に3畳の「女中部屋(和室)」があるのが時代を感じさせてちょっと笑ってしまいました。文化住宅が広まった大正ごろから戦後に生活家電が普及してくるまで「お女中を雇う」というのは、中産階級の一種のステータスのようなものだったのだそうです。

 この家を作った板倉準三は、コルビジェに師事した建築家で岡本太郎とは洋行中にパリで知り合ったといいます。コルビジェといえば「住宅は住む機械」と言ってのけたモダニズムの権化で、その弟子、板倉準三の作風も合理的で簡潔なものです。岡本太郎が住むにあたって、原初的なエネルギーに満ちた作風のオブジェがあちこちに配置され、すっかり岡本太郎カラーが前面に押し出されたたたずまいになりましたが、配置されたオブジェを心の中で取り払ってみれば、 岡本太郎記念館も建築としてはすっきりしたシンプルな構造に見えます。

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 このように「端正なキャンパスを用意して、そこからはみ出すような表現をぶちまける」という構図を見て、私が思い浮かべるのは、やっぱり1970大阪万博です。万博会場のお祭り広場の日よけのために、巨匠・丹下健三は水平を強調したモダンな姿の「大屋根」をデザインしました。未来的な構成は「人類の進歩と調和」という万博のテーマを的確に消化してデザインに落とし込んだ大正解と言えます。しかしこの設計プランを見た岡本太郎は、「優雅におさまっている大屋根の平面に、ベラボーなものを対決させる」といって、大屋根をぶち抜くように、「太陽の塔」という超正解を叩きつけました。有名な逸話ですが、その原型がこの自邸の設計にあったのではないかと妄想して少し楽しくなりました。

これがほしくなった

 今回ほしくなったのは、庭の一角にあった「犬の植木鉢」です。キャプションによると岡本太郎は「庭に猛獣を飼いたいが、自分の作るものはどうしても可愛くなってしまう」と語っていたそうですが、写真を見てください。この可愛さは絶対に確信犯ですよね。丹下健三が岡本邸を尋ねたときに、丹下の娘さんが気に入ってこの植木鉢をお土産に持ち帰ったという話が残っています。やっぱり可愛かったんでしょう。

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 今回、これを再現するのに使ったマテリアルは、「やけるんだ・野焼き用燃焼材 簡単土器製作自由工作キット」です。

 子供に素焼きを体験させるための学習キットです。まず粘土を成形・乾燥させます。次に付属の紙を円筒形に丸めます。そして円筒系の中をおが屑状の燃料で満たします。このとき、燃料に埋めるように成形・乾燥した粘土を入れます。燃料の上に火のついたマッチを放り込むと、燃料は円筒形の紙と一緒に上からじりじりと燃え始めます。1時間ほどかけて燃え尽きたころには、粘土が焼きしまって完成です。

 焼くときにはそれなりに煙と臭いが出るので、ご近所の確認が取れないなら、たとえ自宅の庭でも住宅密集地でやるのはやめておいたほうがよいかもしれません。自治体の条例等を確認して近くの広場でやるのがよいでしょう。焼き上がりは須恵器のような黒色ですが、これは燃料に混入されたのカーボンが付着したもの(?)なのだそうです。単純な煤とは違うようで、水で洗っても黒色は落ちません。須恵器の黒は、窯を密閉することによる還元炎焼成で、土に含まれる鉄の酸化の仕方が土師器などと異なることに由来するそうです。ですから、須恵器の黒と「やけるんだ」の黒は他人の空似でしょう。

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 で、焼きあがったのはこれです。なんだか成形中に自重で形が崩れてきたので、それを補うように粘土を盛って削ってしていたら寸胴になってしましました。おまけに接地が悪くて足が浮いています。まあ、庭に放り出すものなので粗は植栽で隠してしまえばよいでしょう。上がった足が躍動感を演出しているような気がしなくもありません。ちなみに台は無印良品の万古焼の皿です。妙に色味がマッチしたので乗せてみました。

写真09

 庭に出してみました。荒れ放題の庭が恥ずかしいですが、これはこれで、少しワイルドな風情で面白いんじゃないでしょうか。岡本邸の庭もなかなかにワイルドでしたしね。

余談

 私が見学中にふと目にした一幕について。
 とあるおじさんが、売店のお嬢さんに、「ふらっと立ち寄ったんだけど、ここはどういう施設なの?」と訪ねているのが耳に入りました。これに答えるお嬢さんの説明がとても丁寧かつ詳細で、実は学系員なのかと思って覚えず振り返ったのですが、お嬢さんは確かに売店のレジに立っています。しかも、お嬢さんの口ぶりは、「ここは太郎さんが生涯過ごした場所で、太郎さんが……の時には……で、太郎さんが……。」といった具合で、はた目にも岡本太郎が大好きな様子が伝わってくるものでした。
 いい縁に恵まれた美術館なのだろうなと思い、ほほえましい気持ちで帰途につくことができました。

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