見出し画像

2021年を振り返る。


◼︎トップ
1月 ドクターストップ
2月 休職
3月 ホームタウン
4月 ワクチン
5月 ワクチン。テスト作り
6月 ワクチン。先輩たち
7月 ワクチン。共同作業。感情が溢れる
8月 ワクチン。多忙。残業
9月 ワクチンラスト。忍耐と涙の別れ
10月 スタート。英語。ド外資系とド日系
11月 ピンチ。データ集計。水のトラブル
12月 今年は多くのアップデートが。

1月までは建築施工管理をしていたのですが、新しい現場が身体に合わずメンタルが不調になってしまいました…。出勤する気が全く起きず、メンタルクリニックで診てもらったら「抑うつ状態です。環境が起因しています」と診断されました。ちょうどその頃は誕生日でした。初めての一人暮らし。知り合いもおらず、仕事もガラッと変わり、職場では怒鳴る人もいた。でも本社勤務のため、勉強のため、遠くで暮らす家族のためを思い、耐えるべきという気持ちもあった。何が正しいかよくわからなくなった。環境が変わりすぎたことで、僕はボロボロでした。

2月はドクターストップがかかり休職しました。しかし会社は、休職中にもかかわらず、異動または退職(契約解除)を勧めてきました。僕は異動はおろか仕事を再開してよいかの判断ができなかった。当時身体も心も万全ではなかった。家事も手につかない。しかも社宅の返還も求められた。もちろんそれは当たり前なのだけど、療養中の人間の住処や職を奪うような対応は納得いかなかった。すべてがプレッシャーだった。何を言っても会社は「うわべのケア」だけ。身体を休めてからまたこの仕事をもう一度やりたいと思った。なので退職は受け入れなかった。労基にも相談し、退職届を出さぬまま社宅を返還し、契約解除という形で会社を去った。いい辞め方ではないことを責められても仕方ありません…。ただそれ以前に、病気療養の社員に対する会社の対応は間違っていると思うし、そういう会社が減って欲しいと思っています。

3月は千葉から神奈川の実家へ戻りました。ただ無職で収入も途絶えました。心に傷を抱えたまま転職活動を両立したこの時期はとても辛かった。ただ久々のホームタウンでの暮らしは心底ほっとした。鎌倉で桜を見たり、横須賀の海を見たり、心をケアして少しずつ回復していきました。前職の同僚が施工管理の仕事を紹介してくれた事も、とてもありがたかった。ただ当時はまだ身も心も万全ではなくて、仕事をこなしながらも迷いや葛藤もあった。

4月は上の仕事を辞めた。施工管理はやはり向かないと速やかに判断し、コールセンターのスーパーバイザーの派遣業務をはじめました。経験職種だったのでどうアクションすればいいかは、おおよそ分かる。それも新型コロナワクチン接種の業務。これは社会貢献になると思った。派遣だけどそれは関係ないと割り切って力を尽くしました。

5〜6月、ワクチンコールセンター。接種予約が始まった頃。教育の一環で、初めて習熟度テストを作ったり、さまざまな種類の資料作成をした。作成経験はあったけどこれが本番という思いで試行錯誤した。ダメ出しもあった。住民から、国策や自治体の対応について厳しいご意見をいただく事が多く、結構滅入りましたね……。ある日先輩二人からやたら話しかけられた日(いじられた日)があった。実は先輩二人はあまり仲がよくなく、自分は板挟み状態だった。なのでこの出来事は珍しいことだったので、すごく憶えている。三人で初めて笑って話した日だったと思うし、改めてコミュニケーションとチームワークの大切さを再認識した。

7〜8月。ワクチン不足で接種日程が変更になった時。毎日忙しく、残業時間も凄まじかった。住民の不安のはけ口。そして8月は職場で陽性者が出てしまい深刻な人手不足になった。そんな中自分は、何とか持ち直したいと仕事を抱えた。二人の先輩のうち一人は退職し、一人はお子さんの都合で仕事を休まなければならない時期があった。よって、自分が主導でやらにゃいかんと。とにかく仕事を抱え自分ひとりでこなした。ただそれが裏目に出て、感情的に不安定になってしまったし、仕事の引き継ぎもうまくできなかった。この時、仕事はシェアしてやっていくべき時代なんだなと再認識しましたね。この時期はしんどかったものの、仕事への向き合い方が変わったと思います。

9月。接種が進みコールセンターも落ち着いてきた頃。多くの関係者が現場を去る中、私も配置転換となり、月末に現場を去った。先輩に挨拶した時、思わず男泣き(笑)泣くつもりは無かったのだけど。

10月。現在の現場である、とある外資系カスタマーサポートセンターに着任し、入社研修がスタート。コンプライアンスが厳しいため、SNS等では多くを語れません(現職でもあるので)。ただ経験職種と似たところがいくつもあり、研修は順調だった。

11月。研修が終わり、本業務に。バディはなんと中国の方(トライリンガル)。ところがこの方、ワクチンの副反応でしばらく休職となってしまい、まだ着任して間もない自分が代理を務めた(もちろん上司のサポートはあった)。英語で交わされるオンラインミーティングや定例会は、初めての経験で新鮮だった。2020年のオンライン研修を思い出した。経験やスキルを活かすとはこのことかと思い知らされる日々。普段意見を言わない弱点を抱えていた私も、積極的に意見を出した。ミスが起きやすいポイントを指摘したことがあった。自分の過去の失敗を語ったが、とても勇気が必要だった。ところがその翌週、そのミスが実際に起きてしまった。もちろん良い事ではないし、警告しながら防げなかったのはとても悔しかった。ただ自分の苦い経験が役立つこともあるのだと、少し自信がついた時期だった。

12月。他言語でのコミュニケーションについて考え、悩んだ。同僚(バディ)が中国の方で、英語中国語日本語を話せる、とても優秀で優しい人だ。それに対して僕は日本語しか話せないし、英語は読み書きができる程度。リスニングとスピーキングは自信がない。一人で海外旅行もしたのに情けないなぁ(汗)簡単な内容ならわかるものの翻訳ソフトは欠かせない。自分も話せたらどんなにいいことかと。そこから、英語をまた学び直したいと思うようになった。それは、日本語と英語とで言葉の意味やニュアンスが違うポイントがあり、正しく意思疎通できずに誤解を招くシーンが多くなったため。これってつまりは、コミュニケーションや意見交換が頻繁に出来ているからこそ起きる頻度も多いので、それはそれで良いことだと感じた。そこで、自分ができる限りの範囲で日本語ではなく英語や中国語を使うようにした。完璧ではないけど、第一歩だと思う。実際、中国語で挨拶したら喜んでくれた。

今年は、疲れた。毎年言ってますね(笑)今年も散々考えたなー。家や居場所のこと。うつや心や身体のこと。そして、仕事のこと。転職どうするのか、自分にできるか、どう仕事したら効率がいいか、どう選択してどうアクションすべきか、何が正しくて何が正しくないのか。挙げたらきりがない。

神社にも度々お参りした。2月、うつになってしまい休職していた時に成田山を訪れた。他にも浅草寺や荏原神社。地元に近い鎌倉も。おかげさまで、家族みな健康。水回りのトラブルで家の修繕が必要になったときもお参りして収まった。ありがとうございます。

あとアパホテルにもお世話になった。温泉付きのところによく泊まらせてもらった。ゲーム配信もした。来年もお楽しみに。

一人暮らし、そして引っ越しをした。2020年12月から2021年2月まで住んだ。広いがゆえ寒い部屋でね(笑)いままで広い部屋は憧れだったけど、冷暖房効率のいい部屋は大事だなと。でも初の一人暮らしは刺激的だった。結局誰も呼ばなかったな。コロナ流行ってましたし。引っ越しの最終日。大きめの家具を引き取ってもらうべく業者に電話をしたが、どこも多忙だと断られた。このまま家具を残して期限内に退去できない。うつも相まってとてつもなく不安になった……。というかまぁ退去前に処分はすべきだったけど、初だったのでその辺りの加減がわからなかった。途方に暮れていたら、断られた業者から電話をもらった。お困りだと思い連絡したと。涙が出るほど安心した。しかも業者からしたら少量の処分だったので、値引きまでしてくださった。「急な依頼だったので定額払います」と値引きを断ったのだけど…、おっさん達の強い押しに負けた。「なんだ、これだけかよー」と笑いながら去っていった。これで会社の指定期限内に社宅を退去できる……。これって一見何てことない事かもしれないけど、当時はうつだったのでこれもプレッシャーの一つだったのだ。業者が帰り、何も無くなった広い部屋。ずっと泣いた。一人暮らしでなくなる残念さ、仕事や会社に耐えられなかった悔しさ、本社勤務という大チャンスを棒に振ること、会社の恩師の期待を裏切る悔しさ、そして実家がある神奈川に帰れる安心感。それらすべてが混ざっていて、涙が止まらなかった。2月末日のことだった。これ、本当に今年の出来事なのかと疑いたくなる。それほど今は心が回復した。もちろん万全ではなくて……鼓動が激しくなる時、プレッシャーを感じ息苦しくなる時はある。電車に乗るのが辛かったり。

じゃあなぜいま回復したのかといえば、色々挙げられる。環境が変わり、見慣れた実家と横須賀に住み、家族とまた暮らし、見慣れた横須賀線・京急線に揺られ、見慣れたランドマークタワーと観覧車がある横浜でまた働きだした。慣れた環境に戻ったことで得られた安心感が、回復を後押ししたと思う。そして、考え方を変えた。前ほどは「あれもこれも、責任感持ってやらなきゃ……」と思っていない。もちろん、真剣に仕事はするのだけど、いい具合に息抜き・休みながら気楽にやっている。仕事や作業もなるべく共有して、一人で抱え込まない。抱え込むと、もしコロナのせいで欠員がでた時、誰かが代行/穴埋めをしなくてはならない。だから日頃から作業分担しつつ、誰もが続きから作業をできる状態にする。一人当たりの業務量は均されるべきという選択もあるなと感じた。

周りの人のサポートも。うつは家族にしか告白していない。ただ今年は四つもの異なる職場で働き、共に働いた人はみな優しくて良い人たちだった。ただ1月の職場は僕がうつになった原因なので、そう思えない。現場の人も、本社の担当者も。でも根っから悪いとも思えない。なぜなら、コロナのせいで工期が遅れていたり、業績も危ういなか懸命に仕事をしていた人たちであり、彼らもまた、僕が想像のできないプレッシャーを抱えていただろう。僕は僕で会社の法令違反や現場の人間関係(パワハラ)に対して強いプレッシャーを感じていたから、お互い様だと思うことにした。

マイクラについては、今年もサバイバルプレイを主にやってました。なのでクリエイティブでやってるテーマパーク作り「イマジニア」はそれほど進んでないです。ただプラン(設計)はあるので、これまで通りトライ&エラーを繰り返してゆっくり作っていけたらなと。こちらはyoutube配信にて作ってる様子をお届けしていきたいと思ってます。

そして転職ね。今年"こそ"転職したい。いまの仕事は自分にできる仕事ではあるし、お陰様で同僚や上司にも恵まれている。優しくて愛嬌がある人たちばかり。だけど待遇は良くない。もう少し上を狙いたい。

とはいえまだ勉強の余地があるから、そこそこでいいとも思ってる。実は某自動車メーカーや某通信機器メーカーからスカウトがあって、それは嬉しいというか驚きだった。なんでこんなポンコツの自分に??という(笑)でも大手企業への印象として、個性が埋もれやすいんじゃないかとか、ルールや制約が厳しいのでは?というのがある。身の丈に合った会社でないとスキルや成果を他の人と比較して潰れてしまうのでは?と思っていて。弱腰かもしれない。けど責任を負って仕事をこなしメンタル崩しても会社は守ってくれない、自分を守れるのは自分だけとわかったので、そういう考えに至った。だから乗り気ではない。そもそもスカウトメールの送付対象も僕の考えでは、自己PRなどに書いた言葉をピックアップして送っていて、実際に内容は見ていないのではないかと。もちろんスカウトがいただけることは感謝すべきだけどね。

いい会社にめぐりあえますように。

……ということで長々と書いてたら、年内にアップするはずが、いつのまにか年が明けてしまいました(笑)

良いお年を!
そして2022年もよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?