「うどん理論」

僕はうどん屋が多い地域に住んでいる。
小学生の頃、向かいの先輩の家はうどん屋で、時々ご馳走になった。
色の薄い、具は半月状の薄いカマボコと細ねぎ、中太麺の昔のうどん屋。
塩味も湯のように薄い、いりこの香りだけだけど、口の中が火傷するほどあつあつに丼を温めて出してくれるシンプルな素うどん、それが僕のうどん原体験。このうどんを先輩は小学生なのにすすっと平らげた。3年生の僕は熱くてしばらく口に入れられなかった。流石6年生の先輩、うどん屋の息子。

中学入学から母方の祖父がいる、世田谷で暮らす事になった。
父が勤務する会社で爆発事故が起き、大怪我で退職、大手電力会社を退職後独立して電気工事会社経営していた祖父の元でリハビリしながらの再スタートを余儀なくされたからだ。父は脳出血による右半身不随の治療の為に開頭手術を受け、後遺症が残る脳で電気工事士の免許取得に向けて僕と一緒に受験勉強を始めた。その結果、大学受験程度レベルの試験には合格できなかったが、その手前の資格に合格し、社会復帰を果たした。後遺症で事故前の脳には戻らなかったが、軽い言語障害以外は不自由は無かった。身体の後遺症も足首が麻痺し、時々転倒する以外は問題無いレベルまで回復した。ここに至るまでには地方で個人営業の洗車屋を開業して失敗したり、その頃はまだ記憶メディアがテープ式だったコンピューターの勉強をしていた。ただ今になってみれば儲けが無くても様々なことにトライした行動が、身体と脳の回復に寄与したと思っている。

しかしあれほど会社に命を捧げて働いたのに、その会社から十分な事をしてもらえず退職することになった。土地を取得し、マイホームを建設する計画に入った所での挫折だった。全ての計画は頓挫し、東京での生活は何の保証も無い再スタートとなった。

僕はと言えば、皆と同じ中学に登校する予定で通学自転車もミヤタのフラッシャー付きにするか、フォグランプ付きにするか迷ったが結局フォグランプ、ディスクブレーキ付きのものを買ってもらった。事故から2年、それを使用すること無く世田谷行きが決まった。僕からしたら迷惑な話だったが、今から考えると両親は良い決断をした。

東京に着くと、祖父が渋谷宮益坂上の立派なさぬきうどん屋に連れて行ってくれた。地方にはそんな立派なうどん屋は無い。しかもその当時でざるうどんが千円した。現在、こちらのざるうどんは500円。でも本場より東京のうどんのほうが美味かった。

うどんの値段と味に初っ端から驚かされたが、世田谷の自宅前のうどん屋にはまた驚かされた。つゆは真っ黒、麺はのびのび、値段も600円もした。それが東京の出前をしているうどん屋の標準だと知り絶望した。

車を運転する年頃になると、さぬきうどんの看板を見かけると必ず立ち寄った。日に2件訪れる事もあった。しかし滅多に美味い店は無かった。仕事でAPPLEがあった六本木の森ビルの中のさぬきうどんやに行った時は怒りが爆発した。麺がやわらかくてどこがさぬきうどんなのかと店主に文句を言った。店主は申し訳無さそうに、東京の客は待たせると怒るからと言った。確かに江戸っ子に茹で時間を待つ文化は無い。江戸っ子はそばをさらっとすすってサクッと帰るのが粋と言うもの。

そしてまた本場に戻ってうどんを食いまくるのだが、僕が美味いと感じた店は長続きしない。残っているのは可も無く不可も無い平凡な店ばかり。この出汁は絶品、この麺は絶品と言った店はことごとく閉店してしまう。

マニアの僕は当然うどんを手打ち、手切りし、出汁を取って、茹でて食べる。高級な素材を使用し、十分な時間を掛けて自分好みに茹でて食べるうどんの原価は一杯1000円を超え、どこの店にも負けないうどんが食える。

だから店のうどんの苦労も理解できる。十分の一の原価で満足できるうどんを作っているのだから、素人のうどんとは全く違う世界の食べ物。

広い駐車場、家賃、人件費、水道光熱費がのしかかってくるのだから、素人が手を出せる商売ではない。一杯2000円も出してうどんやラーメンを食うくらいなら、僕は自分で作る。ワンコインでてんぷらも食えて腹一杯の昼食になるのが地元で人気のうどん屋の条件。都会から来てがっかりする人の気持ちはよく分かる。僕もしばらくがっかりした。でもそれはジャンルを勘違いさせているマスコミの責任もある。紛うこと無く、これはプロの仕事。「価格からしたら絶品」の「価格からしたら」を省いて記事にしているからがっかりさせる。

友人に核融合の学者で東芝フェローの方がいる。この方は趣味でコルベットを一台自分で作ってしまうような人。無い部品は作って完成させたと言う。最高峰のオーディオルームで音楽を聴かせてもらった事もある。自宅屋上には大型望遠鏡が入ったドームが数基設置されている。天体写真もプロを遥かにしのぐ作品を撮り、出版もされている。全てアマチュア。

アマチュアだからプロより劣ると言う事は無い。
理想を追求できる部分ではプロの仕事をしのぐ場合もある。プロは予算、納期、スポンサー等の制約があるので確実な仕事が求められるもの。

格闘技の解説もプロや元プロだからと言う理由でマウントを取る人がいるが、そんな人は選手としての実力もたかが知れている。本物は高飛車な態度を取る事は一切無い。それが本物の条件と言うより自然にそうなる。

で、うどん屋も儲けに走れば味が落ちてしまう。美味しかったうどん屋も経営を考えれば理想を追求できなくなって味が落ちる。多くの客が来ればサービスの品質や拘りも諦めざるを得なくなる。そうして、ぎりぎり満足できる店だけが残る、またはそこを最初から目指した者のみが残る結果となっている。

人気店は最低限許せるレベルを守っているとは言えるけど過大な期待をしてはいけません。当たりを引きたいなら、できたばかりの個人店を狙ってください、大外れの場合もありますが。

金儲けに走れば、スポンサーによって言えない事があるのは避けられない事。しかしそれによって言う事が変わるのは勘弁して欲しい。それならそんな仕事には意味がない。聞く人はデタラメを聞かされている事になってしまう。プロの仕事ならそれは当然と思っている人もいるようだが、よく考えて発言して欲しい。最近はアマチュアでも収益が入る仕組みが出来たから、意図的にデマを流して収益を出そうとする者までいる。

僕もnoteで有料にしているものがあるので、偉そうなことは言えないが、儲けようと思ってやっている訳ではない。何にどれくらい格闘ファンが興味を持っているか、どのくらい自分の考察が格闘界に影響するのかなどを楽しむ為にやっている。完全に趣味の範囲です。

ヒット数やフォロワー数を稼ぎたいならこんな事はしていない。
潰れないうどん屋のように低品質でも、世間が喜ぶ話に仕立て、多くの選手を褒め称える内容にするでしょう。ネガティブな事は一切書かず、筋肉ポジティブ男を演じるでしょう。

人気と味は比例しないと言う話でした。


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