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13_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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「やば。トイレ!」

急に尿意を催して、僕はその場で立ち上がった。
トイレに行くために通路に出ようとしたその瞬間、電車がぐらりと揺れた。

「おわっ」
間抜けな声が出た。その場でバランスを崩し、ばあちゃんの方へ倒れた。
「ほ〜ら、言わんこっちゃない」
僕が倒れるのを予測していたかのように、ばあちゃんがさっと僕を支えた。ばあちゃんは右の片手一つで僕を支えている。チラリとばあちゃんの腕を一瞥すると、筋肉の筋がしっかりと出ていた。華奢でシワシワの手のひらは異様に力強い。触れているのか触れていないのか柔らかなタッチだ。すごいなばあちゃん、と僕は素直に心の中で感謝する。

「ほら、早よ行かんと漏らすよ」
ばあちゃんにそう言われると本当に漏らすような気がして、僕は慌てて通路に出ると一目散にトイレを目指した。

小倉を出発してからというもの、結構揺れるなとは思っていた。
いざ立ってみると電車がかなり揺れているのがわかる。座っている時よりも立っている方が、電車の揺れを激しく感じた。座席に掴まらないと立っていられない。僕は恐る恐る通路を歩いた。

3号車から2号車に向かう。無事にトイレに着いて、僕はトイレの扉を開けた。ありがたいことにトイレには先約がいなかったので、僕は待たずに用を足すことができた。けれど、思いのほか電車の揺れはおしっこをするのを邪魔して、狙いを定めたはずの便器にうまく入れることができない。

バスケのシュートは外さないのに、トイレを命中させられないなんて下手すぎやろ。いやいや、やばいって。座ってやればよかった。

なんて思いながらも、なんとか大きく照準を外すことなく僕は無事に用を足すことができた。思わず僕はガッツポーズをする。

ほっと一安心をしてドアを開けると、そこには猫が2匹、壁に寄っかかって立っていた。

なんておかしなことが続く日だ、と僕は目を擦った。どうか、擦った目を開けた瞬間、立っている猫が壁に描かれたイラストでありますように、と強く願う。
しかし残念なことに、2匹の猫は二次元ではなく三次元に存在していた。

1匹は三毛猫、もう1匹は黒猫。

三毛猫は白いシャツに白い太めのパンツ。その上に茶色のトレンチコートを羽織っている。一方で黒猫の方は対照的に黒のレザージャケットにデニムのタイトなスカートを履いていた。
どちらの猫も、お揃いの真っ赤なヒールの靴を履いて、首元にはパールのネックレスをしている。

今日は厄日だろうか。

ネズミに引き続き、猫に日本語で話しかけられてしまった。
「あら? 終わられました?」
すでにネズミと会話をしていたことで、喋る動物に耐性のついていた僕は、
「あ、どうぞ」
と特に驚く様子を見せることなく三毛猫に返事をした。

そして返事をするなり、その場を立ち去ろうとした時、
「お兄さん、ちょっとお待ちを」
と言って、二匹の猫のうち、黒猫の方が僕のパーカーの裾を握った。

もう一匹の猫、三毛猫がトイレに入ると、黒猫が僕のパーカーの裾を握ったまま、気をつけの姿勢で三毛猫がトイレから出るのを待っている。
「ええっと、離してください」
僕は黒猫に声をかけたが、黒猫は完全に僕の声を無視し続けた。ちらちらと黒猫に視線をやるが、黒猫は一向に僕の方を見る様子はない。三毛猫が入った後のトイレのドアをじっと見つめている。僕は席に戻ることもできず、黒猫と一緒に三毛猫がトイレから出るのを待つしかなかった。

三毛猫がトイレから出ると、入れ替わりで三毛猫が僕のパーカーの裾をつまんで、黒猫はトイレに入った。
「あの、お聞きしたいことが……」
三毛猫が黙っていた口を開いた。きらりと犬歯が光る。

「実はあなたの体から、とあるネズミの匂いが匂ってくるんです。もしかしてお兄さん、タータンチェックのハンチングをかぶったネズミとはお会いになりませんでしたか?」 
僕はすぐに、さっきまで目の前に座っていたネズミのことを思い出した。

一瞬、動揺が表情に出た気がした。目が泳いだと思う。
僕は慌てて、視線をまっすぐ前にやり、首を左右に振った。多分、この猫がネズミの言っていた例の猫だ。木下の家に謝りに行った帰りにネズミを追いかけていたのは、三毛猫だったからきっとこの猫のことだろう。

しかし、なぜその猫に僕が遭遇するのだろうか。

できればもう関わりたくない。めんどくさい。正直、訳がわからないし。僕はネズミのことは言わないことにした。言えば、巻き込まれてしまうから。
黙って前を見ていると、三毛猫が口を一文字にした僕の顔を覗き込む。ビー玉のような淡い草原色をした瞳の中の黒い部分が、キラリと僕の目の奥をのぞいたような気がした。

動物ってやつは、頭の隅の方だとか、心の奥底に隠している知られたくない部分をじっと見つめてくる。人間なんて建前ばっかりの会話がほとんどなのに、なんで本音を探り当てようとするんだ。

僕が黙ったままでいると、三毛猫が口を開いた。
「別にお兄さんが、ネズミを匿っているなんて思っちゃいませんよ。でもね、もし、イギリス紳士風の気取った鼠を見かけていたとしたら、教えていただけないかな、と思いまして」
ニヤリと笑った口が三日月みたいに見えた。僕は不思議の国アリスに出てくるチェシャ猫を思い出した。あの意地悪な体の消える猫。

僕はゆっくりと三毛猫から視線を逸らして、再びトイレのドアを見つめた。ガラガラとトイレのドアが開いて、黒猫が出てきた。
「お待たせ」
黒猫はトイレから出るなり、しゃなりと僕の横に擦り寄ってきた。

「あら? お兄さん、ネズミの匂いだけじゃなくて、海の匂いもするのね」
そう言うと、黒猫は小さく笑った。
両サイドを猫に挟まれた僕は、「僕、何も知らないし、離してください」と、一文字にした口のファスナーをようやく開いて、必要最低限の言葉だけ発した。

「あら、残念。お姉さん、こちらのお兄さんは何も知らないんですって。とりあえず席に戻りましょうか? ネズミもすぐには降りないでしょうし。別府に着くまでには、見つかるんじゃないですか?」

三毛猫は黒猫の方をチラリと見た。
「そうね。とりあえず、今のところはこのくらいで」
黒猫がそう言うと、三毛猫は仕方ないと言った顔をして、ようやく僕のパーカーの裾を手離した。

二匹はカツカツと靴音を立てながら、僕が元いた車両と反対側の車両へと歩いていった。
自分よりだいぶ小さい猫にプレッシャーをかけられた僕は、思った以上に緊張していて、鼓動はいつもより早く脈打っていた。

僕は心臓を震わせながら席に戻る。もちろん、揺れまくる車両で転けないようにしながら、慎重に。
8列のAを確認して僕は座席にどかっと座ると、残っていたコーラを一気に飲んだ。緊張すると喉が渇くのか、僕の喉は夏の昼休みに校庭で遊んで教室に帰って来た時ぐらいにからからだった。コーラは一気に喉を滑り落ちていった。

「トイレに行ったばっかりなのに、またそんなに飲んだらトイレに行きたくなるよ」

僕は話しかけてくるばあちゃんには目もくれず、じっとネズミを見つめていた。
僕が座席に座った時からずっと、ネズミの鼻がぴくぴく動いているのに、僕は気づいていた。ネズミもやっぱり気づいているのか。猫の匂いに。
「坊っちゃん? もしかして、猫の二人組に会いました? いけすかない赤いヒールを履いた意地悪そうな二匹に」

一気に心臓が早鐘を打つ。
動物ってやつは、なんでこうも鋭いんだ。嘘は通じなさそうだと思った僕は、戸惑いながらも頭を上下にゆっくりと動かし、うんと答えた。
ネズミは心底、嫌そうな顔をした。眉間に皺を刻み込む。とはいえ、顔まで毛むくじゃらだから本当にシワが寄っているのかはわからないけど。

「やっぱり。あいつらの嫌な匂いがしたと思ったんですよ。ほら、見てください。あんまり嫌すぎて、毛がピリピリしてる」
僕はじっとネズミの毛を見た。確かに逆立っている。
「さっき、トイレに行った時にトイレの前で会った。まさか、二足歩行の洋服をきた猫がいるなんて思んやろ。僕がトイレから出た瞬間に捕まった。やっぱり君を探してる様子やったよ。僕が知らないって言ったら、反対側の車両に歩いていった」

ネズミがはぁと深いため息をついた。
「多分、バレてないと思うけど」
「バレてますよ。絶対に」
再びネズミはため息をついた。どんよりとした鼠色のため息。
「なんでバレるってわかると?」

僕が不思議そうに聞くと、ネズミは再びどんよりと重い濃い鼠色のため息を吐いた。溜息は僕の足元に落ちて、こっちまで気分が落ち込みそうになる。
「坊っちゃん、猫を舐めてはいけません。奴らはかなりずる賢いんです。多分、間違いなくバレています。どうしましょうかねえ」
「じゃあ、次の駅で降りたらいいやん。別府までには捕まえるとか、悠長なこと言いよったけど」

ネズミは渋い顔をして首を横に振った。
「先ほども言いましたが、僕は目的があってこの電車に乗ったんです。道半ばで降りるなんてことはできません。でもアイツらに捕まっては元も子もありませんし……」

そう言うとネズミ色だったネズミの顔が突然明るくなった。顔色はネズミ色のままだけど。何か思いついたように手をぽんと叩く。

「あ! いいこと思いつきました。坊ちゃん、お手伝いお願いしてもいいですか?」




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