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10_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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僕とばあちゃんは、バスにゆらゆらと揺られて博多駅に着いた。
駅はどこもかしこもクリスマスの飾り付けが装飾されていた。流れてくる音楽も全部、クリスマスソングだ。

僕の心臓はまるでシャラシャラと鈴の音が鳴っているようにワクワク、ふわふわとしていた。僕はお父さんから借りたカメラのシャッターを押しまくった。赤や緑、キラキラと光る金色の飾りなんかを夢中でカメラに収めていく。

今日はいわゆるクリスマスイブイブというやつで、クリスマスイブは明日だ。僕はもうサンタさんなんか信じてないし、お父さんにお願いしていた新作のゲームのソフトをもらうことは決まっている。だけど、こうやってクリスマスを全身に浴びると、どうしたってワクワクしてくる。

「すごいね! ばあちゃん!」
「綺麗やねー。ばあちゃんがこどもの頃は、こんなに綺麗な飾り付けとかなかったけど、最近はほんとにすごいね。ユースケ、ここで写真撮ってまっとき。ばあちゃんコンビニで、飲み物買ってくるけん」

ばあちゃんは眩しそうに目を細めて、キラキラとした装飾を見つめた。
ばあちゃんは駅の中にあるコンビニへと向かった。しばらくすると、ばあちゃんは手作りの豹柄のエコバックに、がさがさとコンビニで買ったものを入れて戻ってきた。

エコバックの中を覗くと、500mlのビールが2缶、350mlのビールが1缶、コーラのペットボトルが1本、それとお茶が2本入っていた。

僕とばあちゃんは駅のホームで別府行きのソニックという電車を待った。
「青くてカッコイイ電車やけん」
ばあちゃんはニヤリと笑う。豹柄のエコバックから350mlの缶ビールを取り出すと、早々にプルタブを起こして、ぐびっと飲んだ。

「やっぱり朝飲むビールはうまかね~。ユースケはコーラ飲むね?」
ばあちゃんは豹柄のエコバックを僕に差し出した。
「まだいい」
僕はばあちゃんの申し出を断ると、線路のずっと向こう側を見つめた。心の中で、ほんとビールばっかりよく飲むばあちゃんやなとは思ったけど、ごくりとそれを飲み込んだ。

線路を見つめていると、遠くからか電車が近づいてくる音がする。僕は音がする方を見つめた。
青い電車が見えた。きっとあれだ。なんだか僕はドキドキしていた。
首から下げていたカメラが、弾んだ心臓のせいでゆらゆらと揺れている。

「あれあれ。ユースケ、あれに乗るけん」
ばあちゃんが指した青い電車にカメラのレンズを向ける。僕はシャッターを押し続けた。
電車がゆっくりと速度を落として到着する。ばあちゃんはリュックサックからチケットを取り出して、チケットに書かれた座席を確認した。

「3号車の8のAとB」
ばあちゃんはチケットに目を落として、僕にも聞こえる大きさで呟いた。
シュウと音を立てて電車のドアが開く。  
僕たちは3号車に乗りこんだ。二人で指差し確認をしながら座席を見つけると、二人で仲良く並んで座った。

僕が窓側で、ばあちゃんは通路側。
ばあちゃんは座席に座るなり、僕にコーラを手渡した。そしてばあちゃんは、残っていた缶ビールを飲み干すと新しい缶を取り出した。

ばあちゃんは満足そうに、僕を見て笑った。
僕も負けじとコーラのペットボトルの蓋を捻る。コーラのペットボトルからプシュッという音がした。僕は蓋を開けるとコーラを流し込んだ。
シュワシュワと喉を炭酸が通り抜けて、甘くて刺激的な匂いが鼻から抜けた。

「朝から飲むコーラはうまいねえ」
僕がばあちゃんを見ながらそうと言うと、ばあちゃんは軽く笑った。
そして、何かに気づいたような顔をしてカバンを開けると手を突っ込んだ。「忘れとった」と言いながら、中から何かを取り出した。

「ユースケ、これ飲んどき。ソニックはめちゃくちゃ揺れるけん。あんたソニックに乗るの、初めてやろ。酔い止め飲んどき」
ばあちゃんが差し出したそれは、薬だった。そんなに揺れるのか、と僕はちょっとソワソワしながら、ばあちゃんから酔い止めを受け取った。

「ねえ、ばあちゃん。薬って、コーラで飲んでいいと?」
薬を手にしたまま、ばあちゃんに質問した。
「……知らんけど、まあ、とりあえず飲んどけばいいとよ」
ばあちゃんは肩をすくめてテキトーな返事をした。

相変わらずだなと思いつつも、仕方がないので僕はコーラで酔い止めを飲み、「ばあちゃんは飲まんでいいと?」と尋ねた。
「ばあちゃんは慣れとるけん大丈夫」とビールをぐびっと飲んだ。
慣れとるけんやなくて、もうすでに酔っとるけんの間違いやろ、と思ったが僕は特に何も言わなかった。

電車のドアが閉まり、出発のアナウンスが流れる。
ゆっくりと走り出した電車は、次第に速度を上げて走り出す。僕はぼんやりとその様子を眺めた。ゆっくりと流れていた景色が、次第にびゅんびゅん飛んでいく。

速い、速い!

「ねえ、ばあちゃん、別府って大分? ばあちゃんって別府で育ったと?」
僕は外を眺めながら、今さらの質問を投げた。窓ガラス越しにばあちゃんが小さく頷いたのが見える。
「そう。別府は、ばあちゃんがちっちゃい頃育った街。確かユースケも小さい頃、お父さんとお母さんと三人で旅行に行ったんやなかったかな」

旅行かぁと思いながら、頭の中で家にあるアルバムをペラペラとめくる。
「水族館とかある?」
「あぁ、あるねぇ」
それを聞いて、水族館らしき場所で、三人並んで撮っている写真を思い出した。お母さんがまだ元気だった頃。僕がまだ3歳くらいだ。お母さんがニコニコ笑って、僕を抱っこしていた写真が頭の中に浮かんできた。

少し目頭が熱くなって、僕は話題を逸らした。
「別府に行ったら、ばあちゃんの家に行くと?」
ばあちゃんは首を左右に振った。
「もうばあちゃんの家はないと。やけん、ばあちゃんの家には行かんのやけど、別府は温泉ととり天が有名やけん、温泉にでも入りに行こうと思ってね。ほら、年寄りにはやっぱり温泉が一番やろ。肌もすべっすべになるしねぇ。それに何より、温泉上がりのビールがうまいけんね」
ばあちゃんは、大口を開けてガハハと笑った。
僕はそれを聞いて、またビールかよ、と思う。

ばあちゃんは、ビールを飲むために生きていると、いつもいつも言っている。ビールが飲めんくなったら、死ぬ時やね、と。「魔女は死なんっちゃないと?」と聞いたら、「魔女も死ぬくさ。不老不死じゃないっちゃけん」と笑った。僕は、それならいつまでも、ばあちゃんにビールを飲んでいて欲しいと思った。

電車が走り出してしばらく経つと、ばあちゃんはリュックサックからビーフジャーキーの袋を取り出した。袋をびりっと開けて、大きなビーフジャーキーを1枚取り出す。

ばあちゃんは大口を開けて、豪快にビーフジャーキー歯で引きちぎった。口いっぱいにビーフジャーキーを頬張ると、僕越しに外の風景を眺めた。
もぐもぐとビーフジャーキーを美味しそうに食べている。遠くの山を見ながら、ぐいっとビールを飲んだ。ぷはあ、と美味しそうな声がして、窓ガラスに映ったばあちゃんの顔を僕は見た。

これ以上の幸せはないってくらい、満足げな顔をしていた。魔女じゃないよなぁ、どう考えたって。普通のおばあちゃんやもん、と僕は思った。そして自分の言葉に首を振る。普通ではないな、と。

それにしても、うまそうだ。
口の中にじわっと唾液が広がったのがわかった。僕は慌ててリュックサックからお菓子を取り出した。
大好きなじゃがりこチーズ味。

じゃがりこの蓋を開けて一本取り出す。親指と人差指でじゃがりこを摘んで、口に運ぶ。前歯でじゃがりこを噛むとカリッと美味しそうな音がした。
僕は口の中に入ってきたじゃがりこを舌で奥歯まで転がして、ガリガリとじゃがりこを噛み砕く。その間にまた、じゃがりこを前歯で噛んで、口の中に運ぶ。
カリカリとガリガリを繰り返すと、口の中がじゃがりこでいっぱいになって、じゃがいもとチーズの匂いがぷんと鼻を抜けた。

僕は口いっぱいのじゃがりこをごくんと飲み込んで、カップを窓の横のところに置く。ドリンクホルダーのところに入れておいたコーラを取り出すと、キャップを開けてコーラを口の中に流し込んだ。口に残っていたじゃがりこがコーラと一緒に喉の奥に流し込まれて、口の中にあったもの全てが喉を通る。全部が一緒くたになって、胃の中に落ちて行くのがわかった。

「うまっ」と僕が言うと、「どれどれ」とばあちゃんが腕を伸ばした。
そして、窓の横に置いていたじゃがりこを3本、がさっと持っていった。
「あ、1本だけにしてよ」
僕が慌ててじゃがりこを取り返そうとしたら、「ケチくさいねえ」と肩をすくめて、ばあちゃんはじゃがりこを一気に食べてしまった。そしてばあちゃんはまた、ビールを飲む。

「ん。ビールに合う。まあ、ばあちゃんはサラダ派やけどね」

じゃあ食うなよ、と喉まででかかったけど、流石にそれは飲み込んだ。
「ユースケは何持ってきたと?」
ばあちゃんが僕のリュックを覗き込んだ。

ばあちゃんはリュックサックに入れてきたチョコレートとチョコレートがサンドされたクッキー、チーたらとルービックキューブを確認する。
「チョコとチーズしか入ってないやないね。ユースケはほんと、チョコとチーズが好きやねえ。それもお父さんそっくりやね。ばあちゃんはスルメを持ってきたかったけど、電車で食べると臭うやろ。やけん、今日は遠慮しといたと。ばあちゃんは気がきくやろ」
ばあちゃんは得意気に胸を張った。

どのあたりが気が効くのが、僕には皆目見当もつかなかった。でも面倒くさかったので、とりあえず「そうやね」と言いながら、僕は窓の外の景色を眺めた。 
僕がぼんやり外の景色を眺めているとばあちゃんがはっとした顔をした。
「あ、最初にじゃがりこ食べたのは正解やったよ! ユースケ」
ばあちゃんが、僕の肩を叩いてきた。
「なんで?」
「今はまだ電車、そんなに揺れとらんけど、小倉を過ぎたら揺れ出すけんね。たぶん、いや、間違いなくじゃがりこが歯に刺さる。トイレに行くのも一苦労になるくらい揺れるけん、ユースケ、今のうちにおしっこ、行っときー」
ばあちゃんは眉根を寄せた。

ばあちゃんは手に持っていたビーフジャーキーの残りを口に入れて、残りのビールを飲み干すと「あ、ばあちゃん、缶を捨てるついでに先にトイレ行ってくる」
と席を立った。

しばらくしてばあちゃんが戻ってきた。
「ユースケはトイレ行かんでいいとね」
と僕に聞くので、僕は「まだいい」とだけ言って、また窓の外を見た。

街中を走っている時はびゅんびゅん景色が飛んでいく。ほとんど電車に乗らない僕には珍しい景色で、すごくワクワクした。
でも目が慣れてくると、あまり景色は変わらない。始めの頃の高揚感は、次第に薄れていった。

畑に山に青い空。走っても走っても、ずっと同じに見える。もうすでに退屈だなと思い始めていた。

僕はまるで絵画が嵌め込まれた額の中をぼんやり見つめるように、変わらない窓の外の景色に目を向けていた。
景色は見えているようで見えていない。僕の頭の中は別府や景色のことではなくて、別のことを考え始めていた。

明日家に帰ったら、すみれさんがうちにいるのか。

確か、すみれさんは28歳だ。
お父さんが35歳だから、すみれさんはお父さんの7歳年下になる。同じ職場で仕事をしていて仲良くなったらしい。

すみれさんはお母さんとは違って、小柄でかわいらしい雰囲気の人だ。
僕のお母さんは、身長が高かった。確か、169cmだったと思う。身長が182cmあるお父さんと並んで歩くと、モデルみたいだとよく言われていたらしい。
お母さんは細くてスタイルがよくて、モデルにスカウトされたこともあったと聞いたことがある。

僕はお父さんとお母さんに似て、身長が高い。もう165cmある。中学生に間違えられたことだってあった。
最近は、寝ているときもぎしぎし体から音がする。成長期。

そんな僕とは対照的に、すみれさんは僕よりちっちゃい。
初めてすみれさんと会った時、
「ユースケくん、大きいね! 私、155cmしかないから、羨ましい!」
と言われた。

正直なところ、僕はお母さんと全然違うタイプの女の人を紹介された時、胸がざわついた。悲しいと言うより、寂しい気持ちになった。なんだかお父さんがお母さんのことを忘れてしまったような気がしたからだ。

お母さんと同じように身長が高くてスタイルのいい人だったら、きっとお母さんのことを忘れられなくて好きになったのかもしれないと思えたかもしれない。でも、すみれさんはお母さんと全然違うタイプだったから、もしかするとお父さんは、お母さんのことをすっかり忘れてすみれさんを選んだんだと、僕は思った。

なんだか、お母さんのことを考えると僕は胸が苦しくなった。

だからかな。僕はお母さんの味方をしちゃってお父さんの味方ができないのかもしれない。お父さんが悪いわけじゃないってことはわかってるけど、僕にはどうしていいかわからない。

それにすみれさんはとってもいい人なんだけど、お母さんになるっていうのとはちょっと違う気がする。
すみれさんは僕によく気を遣ってくれる。話も面白いし、お母さんというよりお姉ちゃんのような感じだ。お父さんは勉強を見てくたりなんかしないけど、すみれさんはたまに僕の宿題を見てくれたりもする。

「この漫画、めちゃくちゃ面白いから、ユースケくん読んでみて!」
と人気の漫画を貸してくれたりする。

僕と仲良くなりたいんだろうということは、僕にだってよくわかった。
正直なところ、別にすみれさんのことが嫌いなわけじゃない。むしろ好きな方だと思う。あんなお姉ちゃんいたらいいな、と思ったりもした。

だから、すみれさんが僕の家に一緒に住むことが嫌なわけでも、弟か妹ができることが嫌なわけでもなんでもない。なのに、なんだかやり切れないような気持ちだけがぼんやりと心の隅っこにずっと住んでいるような気がしてる。
ちっちゃいちっちゃい、5歳くらいの僕が泣いてるみたいな気持ちになるんだ。

ぼんやりとそんなことを考えていると、窓の外に段々と建物が増え出して、もうすぐ駅に着くんだろうとわかった。
電車の速度が遅くなって、電車が止まる。
「ユースケ、ちょっと立ちなさい」
「ん? ばあちゃん降りると?」
周りを見渡すとみんな席を立っていた。

もう別府? 全然揺れんかったやん。大したことないやん。ばあちゃん大袈裟やな、と僕は思った。

駅を見ると、看板に<小倉>と書かれてあった。
「ここから電車の進行方向が反対になるけん、椅子をひっくり返さんといかんと」
そう言うと、ばあちゃんは椅子の横についていたペダルを踏んで、くるっと座席を回転させた。
「座ってよかよ」
僕は回転された椅子に座った。

少し背を伸ばして背もたれの上の方から周りの様子を覗くと、みんな器用に座席をひっくり返している。
ふーん、と思っていると、ばあちゃんが誰も座っていない前の席の椅子も回転させようとしていた。でも、今度はうまくいかないらしい。
ばあちゃんはペダルを雑に何度か踏んだ。

「なんかこれ、硬かね」
ばあちゃんが独りごちている声が耳に入ってきた。ばあちゃんが座席を回転させようとしているのに気づいた人が、ばあちゃんを手伝おうとしてくれた。
「あ、僕がしましょうか?」
「ああ、ありがとうございます」
優しそうな大きな男の人が、ペダルを踏む。

「か、硬いですね、これ」
男の人は首を傾げながら、右足に力を入れる。ペダルはうんともすんとも言わない。

その時、自動ドアが開いて、車掌さんが入ってきた。車掌さんがばあちゃんたちに一瞥をくれる。椅子が回転しないことに気づいたらしく、声をかけた。
「あ、大丈夫ですか。こちらでしますよ」
車掌さんもペダルを踏む。けれどもやっぱりペダルはうんともすんとも言わなかった。黙ったまま、そこに座っている。
「う〜ん。おかしいですねえ」
そういうと、車掌さんはスマートフォンみたいなものを取り出して、何かを確認した。

「この席は、終点まで空席みたいですね。ご迷惑でなければ、このままでも大丈夫ですか?」
「ああ、全然大丈夫ですよ」
ばあちゃんがそう言うと、車掌さんは安心したように御礼をいい、その場を去った。ばあちゃんは、いえいえ、と答えると座席にどかっと座った。

小倉駅で電車が止まっている間、空いている席にどんどん人が乗り込んできた。けれども、僕とばあちゃんの前の席は、車掌さんが言ったとおり誰も乗ってこない。がらんどうのままだ。

でも、なんだかソワソワする。
誰かが乗ってきそうな、そんな予感がした。




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