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10年前は何をしていましたか?

数字を耳にして、指を折りながら記憶を遡る。

10年前の私はとにかくバタバタしていた。
長男小学一年生、次男一歳、私職場復帰。もちろん夫もいるが、夫の勤務形態のこともあり私が家事と育児を担っている状況だった。

朝は長男と小学校の近くまで行き、その足で次男を保育園へ送り、仕事へ行く。
夕刻、仕事を終え、保育園へ次男を迎えに行き、放課後児童クラブから私の実家へ帰宅した長男を迎えに行く。

お腹を空かせた息子たちにすぐに食事をさせるため、朝のうちに下ごしらえしておいた晩ごはんを調理し、テーブルに並べて食べさせる。

空腹に耐えかねておやつをつまんでいた息子たちは、腹が減ったと言う割に好きなものしか手をつけず、なんとか完食するまで手を変え品を変え、誤魔化しながら食事をさせる。

風呂に入れ、宿題をさせ、一緒に布団に入り、絵本の読み聞かせをする。予定外に一緒に寝落ちしてしまった後、ハタと気づき再び起きてから洗濯物や風呂掃除、食器洗いに明日の準備などなどをする日々。

長男はとびきり宿題を嫌がる子で、泣きながら宿題をしていたのを思い出す。夏休みにはみんなと同じ夏休みの宿題と別に、一学期で終わらなかったひらがなのプリントがどっさり残っていて、ヒイヒイ言いながら、宿題をさせていた。

一年生の入学時にもらった黄色い帽子は、すぐにどこかになくしてしまうので、しょっちゅう落とし物箱を確認してから帰るように言っていた。この帽子がないと、外で遊べないというルールだったから、家の中や近所を必死になって探したっけ。

仕事中に放課後児童クラブから着信が入ったことがあった。
私は慌てて電話に出る。
「息子さんがクラブに来ないんですが、今日はお休みですか?」
私の胸がドキリと跳ねる。

「いや、お休みじゃないんですけど……」
どこに行ったのだろうと動揺していると、
「いたみたいです!」との声。

どこにいたのかと尋ねたら、校庭の鉄棒で遊んでいたんだとか。
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと、とにかく何事もなくてよかったという気持ちが入り交じり、複雑な気持ちになったことを覚えている。

次男はこの頃から偏食の片鱗を覗かせていた。
保育園入園前に卒乳はしたものの、実を言うとあまり離乳食は進んでいなかった。
お母さんのおっぱいしか飲みたくない。ご飯は食べないとの確固たる意志が、会話をすることのできない彼から十二分に伝わってきていた。

それじゃあ困る。

と卒乳し、保育園には食事を取らないかもしれません、と相談しておいたが、なんてことはない。
「完食しましたよ」との連絡。

食べるものがそれしかなければ、ちゃんと食べるのだなと言うことを私は知った。ただし好きな物限定ではあったようだが。

そういえば、次男は歩きはじめるのが早かった。10ヶ月近くで入園させたが、保育園入園前には普通に歩けていた。
入園後しばらく経った頃のこと、保育園の先生が「◯◯くん、今日初めて歩いたんです!」と嬉しそうに報告してくれた。

「いや、先生、彼はもう歩けます」
私がそういうと、先生は仰天し笑っていた。
どうも歩きたくないがために、先生に抱っこをせがんでいたと言う。

流石にもう歩くか、と言うタイミングで歩き始めたようだった。


慌しかった日々も、昨日のことのように思い出される。

しかし、今日の日のことを私は10年後、果たして思い出せるのだろうか。
いや、多分思い出せないだろう。

私が覚えているのは、日々の私のことではなく、かわいくて愛しい息子たちのことだ。
それ以外の思い出は、粒子が細かい砂のようにさらさらと手のひらから滑り落ちている。

彼らと共に歩んだ10年。

決して楽しい毎日ばかりではなかった。
けれど、手からこぼれ落ちなかった思い出は私にとって、かけがえのない宝物になっている。

これからの10年、私の手に残るものはなんだろう。
日々、書き記した記録は、忘れっぽい私の代わりに宝物を残してくれているのかもしれない。


note10周年おめでとうございます!!!

noteが10周年を迎えたとのことで、noteが始まった当時の10年前の私はどんな状況だっただろうかと振り返ってみました。
noteの存在を全く知らず、慌ただしい日々を過ごしていたことを思い出しました。

私は今、noteで毎日更新をしていますが、noteの街が住み良い街であると日々感じています。
note公式さん、加藤さんの記事を読み、住み良い街を意思を持って、作る、維持されているおかげなのだと改めて気づきました。

これからもnoteの益々のご発展をお祈り申し上げます!





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