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空っぽのはずの水筒に入っていた氷の半分は、

カラカラと水筒の音を鳴らして、息子が家に帰ってきた。

額には汗。空には入道雲。青とも水色ともつかない夏の空は、私が小学生の頃と何一つ変わっていない気がした。水筒を鳴らしながら意気揚々と息子が帰ってきたのは、今から6年前。今、高校2年生の息子が小学5年生の頃のこと。そんなことを思い出す夏の日の空は変わらずに青く、そして、白い入道雲がもくもくと夏空を支配している。照りつける太陽の熱は、どことなしか今の方が暑い気はするけれど。


︎ ︎︎︎︎︎☁️

「ただいま!」

その日、元気よく帰ってきた息子の水筒にはたっぷりと氷が入っていた。私はおかしいな、と首を傾げる。

私は息子の水筒に麦茶を入れる際、そこまで大量に氷を入れたことがなかった。帰宅する頃には氷が完全に溶けていることがほとんどで、麦茶も空っぽになっている。

氷をたっぷりと入れてこめかみが痛くなるくらいにキンキンに冷えた麦茶は、暑い夏の日にはさぞかし美味しいだろうなと思う。でも、それでは麦茶がたくさん入れられない。夏の日に子どもたちが飲む水筒に必要なのは、涼を感じる思い出の麦茶ではなくて、量が取れる大量の麦茶だと、私は信じて疑わない。

それなのに、息子の水筒には氷がたくさん入っていた。

明らかにおかしいと感じた私は、息子に尋ねた。
「ねえ。なんでこんなに氷が入っとーと?」

息子はヘラヘラと答える。
「入れてもらったと」
「誰に」
「え? お店の人」

お店の人? 
そんな親切なお店とかあったっけ?

私は質問を続ける。

「どこのよ」
「学校の近くのあそこの信号を右に曲がった川沿いの喫茶店」

頭の中で息子が言う経路を歩く。あったようななかったような。とにかく一度も訪れたことのない喫茶店のことを息子は言っているらしい。

「で、なんで氷もらったと?」
「水筒のお茶が空っぽやったけん。氷と水入れてもらった。くださ〜いって言ったらいっぱい入れてくれた」

おいおい。喫茶店のお水はサービスですって言っても、それは何か注文した人に対してだと思うぞ、母は。

ここは何と言うべきか。

その時、私は息子に何と言えばいいものかと非常に悩んだのを覚えている。

助けを求められる力があるというのは、いいことだと思った。この時の息子は、一人ではなく友人と一緒にいたとのことだったが、喉が渇いて困った時に、人に頭を下げられるというのは、褒められるべき要素なのではないか、と。

しかし、公園にも水はあるし、家にも水はある。

わざわざ喫茶店に入り、お客様に提供されるべき氷と水を無償でもらうということが正しいのか? とも思った。お店の方が優しくて、彼らが小学生だから成り立ったことかもしれないが、あまりよくない行為ではないか、と。繰り返し氷を貰いに行くようになっては、よろしくない。


結局のところ、私はどうリアクションするのが正解かがよくわからなかった。

そのため、
「喉が渇いたり、困ったりしたときに人の助けを借りることができるのは素晴らしい。でもお店の方に迷惑をかけてはいけないので、よほどではない限り店に行くのはやめてくれ」と伝えた。

息子は納得したようで、それ以降は店に氷をもらいにいくことはなかった。私も水筒に多めに氷を入れるように配慮することにした。


︎ ︎︎︎︎︎☁️

暑い日々が日常を支配し始めると、私は毎年、あの日のこと思い出す。喫茶店の店員さんの立場でシュミレーションを始めてしまう。

いきなり子どもが尋ねてきて、「氷とお水ください」と言われた時、私ならどう対応するだろうか。


変な子だな、とか思わないだろうか。


氷いっぱいの水筒を嬉しそうに抱えて帰ってきた息子。きっと親切にされて嬉しかったのかもしれない。

私は冷房の効いた部屋の冷凍庫を開けて、氷を一瞥する。この氷は夜に焼酎を飲むために用意してる氷なんだよな、と思う。

もし、暑い暑い日に汗を流した謎の子どもが、「氷ください」と尋ねてきたら……。私は焼酎用に作っていた氷を気持ちよく水筒に入れてあげられるだろうか。


きっとあの時の氷の半分は優しさでできてるんだろうな。だから、溶けなかったのかもしれない。







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