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11_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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誰も乗っていない座席を使わないのも、もったいない。せっかくだし空いてる座席も使ったほうがいいやろ。そう思った僕は、靴を脱いでどかっと足を椅子の上に乗せた。

ばあちゃんがすかさず僕の足をペシっと叩く。
「みっともないけん、やめなさい」
「ちぇ」
僕は舌打ちをして、足を下ろした。

するとどこからともなく、
「あ、マリさん! こんにちは! ここの席空いてます? もしよろしければ、少し座らせていただいても?」
と声がした。荒い息遣い。しかし、どこから聞こえるのかは全くわからない。

空耳だろうか。
あたりを見渡してみても、誰もいない。

するとばあちゃんが、
「どうぞ、どうぞ」
と言いながら、腰を屈めた。

「あ、ありがとうございます」
やっぱりどこからか声が聞こえてくる。相変わらず息遣いは荒い。焦っているのか、走っているのか、はあはあという呼吸音が僕の耳を突いた。僕は首を傾げる。ばあちゃんは一体誰と話しているんだろうか。

もしや、透明人間か? それなら間違いなくばあちゃん魔女説が証明されることになる。いや、でも僕を揶揄って、一人芝居をしているだけかもしれない。酔っ払った暇つぶしに。ばあちゃんならやりかねない。

ばあちゃんは、僕が怪訝な表情を向けていることもつゆ知らず、のうのうと透明人間か空想上の人物と会話を続けている。

「いえいえ。この席、空いているみたいなんで、どうぞ使ってください。でも、同じ電車に乗ってるなんて、びっくりですね〜」
ばあちゃんはそう言いながら、屈めていた上体を起こした。
演技だろ。ばあちゃん。僕にはわかる。

次の瞬間、僕は思わず「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。

ばあちゃんが手に何かを持っている。
透明人間でも、空想上の人物でもない。
ばあちゃんが手に持っていたのは、体長20cmくらいのネズミだった。しかも洋服を着ている。

ぬいぐるみ?
ばあちゃんが手の込んだイタズラをしているのかと思い、僕は服を着たネズミを凝視した。

「ありがとうございます」
ネズミの口が動いた。動いた口から言葉を発している。
「いえいえ、お気になさらずに」
ばあちゃんはネズミを目の前の座席に座らせると、優しく微笑んだ。

僕は耳を、そして、目を疑った。
だって、ネズミだぞ。ネズミが喋ってる。そんなことはありえない。喋るネズミなんて、アニメーションの中か着ぐるみしか知らない。
しかも日本語を喋ってる。ありえない。それに、なんで洋服まで着てるんだ?

僕が驚いた顔をして呆気にとられているにも関わらず、ばあちゃんとネズミはさも当然とばかりに会話を続けた。
「いや、まさか同じ電車に乗ってるとは。今日はどこかへお出かけですか?」
ばあちゃんがネズミに声をかける。

ネズミは息を切らしながら答えた。
「いや、まさかこんなところでマリさんにお会いするとは。本当にびっくりしました。ちょっと今日は電車に用がありましてね。あれですよ、あれ。猫との例の件で」

ネズミはにゅっと歯を突き出して、眉根を寄せた。
明らかに不快そうな嫌そうな表情を浮かべている。

僕は冷静に目の前の状況を観察しつつも、あまりに現実離れした状況に、思わず自分の頬をつねった。これは夢だ。僕は電車でうたた寝をしているのだ。そうだ。夢だ。絶対に夢だ。

「いたっ」

僕が頬をつねって頬に痛みを感じたその瞬間、ネズミがこちらを見た。そして、僕の目と鼠のつぶらな瞳の焦点が重なり合った。運命の瞬間。

僕の心臓が少しだけ跳ねる音がして、思わず僕は目を逸らした。さながら、授業中に好きな子を見つめていたら、その子が振り向いて目が合った時みたいな感じで。別にネズミに恋心は抱いていないけど。

目を逸らした左目の片隅に、ちらりとネズミが見えた。僕はそれを盗み見する。ネズミは頭に乗せていた緑と青のタータンチェック柄のハンチングを軽く手に取り、そして僕に向かって頭を下げた。

「坊っちゃん、初めまして。おやおや、どうなされたのかな? 喋るネズミは初めてですかな?」
ネズミに声をかけられて、僕はそちらに視線を合わせた。

喋るネズミが初めてかだって? そんなの愚問だ。そりゃそうだろ、と僕は心の中で独りごちる。
僕が黙っていると、ばあちゃんがコツンと僕の肩を突いた。

「ユースケ、挨拶くらいしなさい。ネズミさんはこんなに礼儀正しいのに。あんたは何も挨拶せんで、ぼけっとしてから。すみませんねぇ」
ばあちゃんが再び愛想笑いを浮かべた。

ネズミもばあちゃんに合わせて少しだけ微笑んだ。微笑むというより、にやりと言った感じで。その時、でかい前歯がチラリと口から顔を覗かせた。なんだか誰かに似ている気がして、嫌な気持ちがざらっと僕の胸を撫でた。

「まあ、仕方ないですよ。初めは誰でもびっくりされますし、当然のことです。そもそも、この姿が見える人も少なくなってきてますからねぇ」
ネズミは手に持っていた緑と青のタータンチェック柄のハンチングを頭に乗せて、きゅっと被り直す。

これは現実なのだろうか。僕は冷静になった頭で、目の前のネズミを凝視した。
ネズミは行儀良く、ちょこんと椅子に座っていた。ハンチングを被っているだけでなく、チャコールグレーの三つ揃えのスーツまで着ている。
首元には、ハンチングと同じタータンチェックの蝶ネクタイ。いっぱしのイギリス紳士を気取っている。ネズミの足元には綺麗に磨かれた黒い革靴。

まるで小洒落たぬいぐるみだ。

でも、間違いなく動いているし喋っている。限りなく動きは人間に近く、僕たちと何ら大差ないようにみえた。

状況に違和感はあるが、動きはなめらかで何ら違和感がない。僕の中に違和感が違和感でなくなるような不思議な感覚がうまれた。夢をみていると言うよりか、映画の中に入り込んだような感覚。
この不思議な光景を疑うことの方がおかしいのではないか、と問われてしまいそうな。

ネズミは左前脚を動かした。左腕と言った方がいいかもしれない。それほどまでに動きは人間的で滑らかだ。そして、手首につけている腕時計を確認した。
僕は腕時計までつけているのか、と思う。僕だって持っていないのに。

「しばらくこちらでご厄介になっても?」
「どうぞどうぞ」
ばあちゃんはにこやかに答えた。さすが自称魔女。動揺している様子は一切ない。

にこやかに座席に座るばあちゃんを、僕は肘で突いた。そして、こちらを向いたばあちゃんに、耳打ちをした。

「ねえ、ネズミが服着て喋っとるんやけど」
ばあちゃんは、軽く笑う。
「ああ、ユースケは初めてかね。ああ、あれか。あれのせいか。まぁいいたい。ほら、ばあちゃんは魔女やけんくさ、こんなの日常茶飯事やけんなんとも思わんやったけど、あんた、初めてやったらびっくりするかもねぇ。でも、このネズミさんはあんたも知っとるよ。こないだ木下くんちに謝りに行った帰りにすれ違ったネズミさんたい」

あれってなんだよ。意味がわからない。確かにあの時、ばあちゃんにお辞儀していたネズミと猫がいた。まさか、あのネズミとは。でもあの時は普通のネズミだった気がする。僕は眉根を寄せて、ばあちゃんを見た。ばあちゃんは僕の考えを読んだのか、そのまま話を続ける。

「ネズミさんたちも、お出かけする時はオシャレくらいするくさ。ユースケはまだ信じられんかもしれんけど、礼儀正しくて、言葉を喋る動物も世の中にはおるとよ。私たちだって、洋服着た猿みたいなもんやろうもん。動物が喋ったって服きたって、なんもおかしいことないと。世の中には知らんことも不思議なことも、いっぱいあるとよ」

ばあちゃんは、一+一がニとか、ご飯を食べたらうんこが出るよ、みたいな感じで当たり前のことだと言った。ネズミが服を着るのも喋るのも、自然の摂理で何一つおかしいところはないと言わんばかりだ。
そんなわけはない。それが常識だとは信じ難い。

ばあちゃんの説明に全く納得のいかない僕は、あたりをキョロキョロと見回した。けれども、周りに座っている乗客のうち誰一人として、僕たちの方を見ている人たちはいない。

僕以外、誰も違和感はないようだ。
そんなわけがないと思いつつも、明らかに車両の中で僕一人がこの光景に驚いている。なんだか、驚いている僕がおかしいみたいに思えてくる。裸の王様にでもなった気分だ。

そんな中、ネズミが鼻をぴくぴくと小刻みに動かした。
「なんだかさっきから、海の匂いがするような気がするんですけど。どこからだろう。なんだか、海の匂いしませんか?」
そう言うとネズミは大袈裟に鼻を動かした。鼻息の音が僕の方まで聞こえてくる。

ばあちゃんは、あ、という顔をして、リュックサックからぼろぼろになったポーチを取り出した。
「もしかして、これかな?」
「ん? それかもしれません! ちょっとお借りしてもいいですか?」

ばあちゃんは、ネズミの膝にポーチを乗せた。
ネズミがポーチの匂いに気づいたことより、ばあちゃんがポーチを持ってきていたことに僕は驚いた。なんでわざわざ旅行にまでポーチを持ってきているんだろうか。

ネズミはポーチを受け取ると、すん、と鼻を一回鳴らした。
「ありがとうございます。あ、やっぱりこれだ。とっても懐かしいような、そしてちょっと悲しいような海の匂いがしてきます」
ネズミは前足の指を器用に使い、ファスナーをゆっくり開けた。そしてファスナーが開くと、そのまま顔をずぼっとポーチの中に突っ込んだ。

ネズミはポーチの中ですぅっと大きく息を吸った。背中が大きく動いている。息を吸ったり吐いたりしているのがよくわかる。
ネズミは満足したのかポーチから顔を出すと、ひとっぷろ浴びてきたみたいに、ぷはぁと声に出して息を吐いた。

「いいですねえ。哀愁が漂ってきます。夜の海というよりか、明け方の海の匂いがしますね。悲しい出来事も嬉しい出来事も、全てを飲み込んで、前を向いて歩いて行こうとするような、そんな匂いです。素晴らしいポーチだ」

ばあちゃんは嬉しそうに「ありがとう」と言った。
ネズミは「こちらこそ素敵なものをお借りして。ありがとうございます」と、ばあちゃんにポーチを返した。
ばあちゃんはネズミからポーチを受け取ると、それをリュックに大事そうに丁寧にしまった。

やっぱりあのポーチはばあちゃんの宝物なんだ。
わざわざ、旅行に持ってくるくらい。

僕は窓の外を見た。
大きく吐いたため息で窓ガラスが白く曇る。



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