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01_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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「ユースケ! あんたまた、学校で喧嘩したとね!」

家の鍵を開けて玄関に入るなり、ばあちゃんの大声が僕の耳に飛び込んできた。うるせぇと心の中で悪態をついて、僕は玄関先で舌打ちをする。

声の方角からすると、ばあちゃんは多分、台所にいる。絶対に顔を合わせたくない。めんどくさい。このまま部屋に入れば、なんとか顔を合わせなくて済むはずだ。逃げ切れる。いや、逃げ切る。クソうるさいばあちゃんから。

「喧嘩なんかしとらん!」
僕はそう言い放つと、玄関で靴を脱ぎ捨てた。ランドセルを背負ったまま、素早く階段をダダダっと上る。階段を走って上ると、階段が悲鳴を上げた。みしみしっと嫌な音がする。

「ユースケ!」

階段のみしみしっという鳴き声を聞いて、ばあちゃんが台所から廊下に出てきた。そして、階段の下から二階の僕の部屋に向かって大声で叫ぶ。三軒隣まで聞こえそうな怒鳴り声。多分焼き芋屋や灯油の販売の車の声より大きい。しゃがれた声なのに、どうしてこうもばあちゃんの声はよく通るんだろうか。
「やっぱりうるせぇ、クソババア」
僕は小さく独りごちると、部屋の引き戸をピシャリと閉めた。

ばあちゃんはそんなのお構いなしに、階段下で叫んでいる。
「学校から電話がかかってきたっちゃけん、ばあちゃん、ちゃんとわかっとるとよ! 部屋に逃げんでから、降りてきてちゃんと説明しなさい!」

くそうるさいババアだ。僕は引き戸の向こう側で立ったまま舌打ちをした。そして、背負っていたランドセルを乱暴に畳の上に投げ捨てると、ベッドの上に勢いよく飛び込んだ。布団を頭からばさっと被り、耳を塞ぐ。

ばあちゃんの怒号が家中に響いているが、耳を塞いでいるおかげでなんと言っているかはわからない。分からないと言うよりかは、わかりたくない。とにかく面倒くさくてしょうがない。

ばあちゃんは僕が大声を出すと、近所迷惑だからやめろと言う。しかし自分は平気で大声を出す。自分のことを棚に上げるうるさいババアだ。そのくせ僕が「ばあちゃんも大声出しとるやん」と指摘すると、「耳が遠いけん仕方ないと」なんて適当なことを言って、いつも誤魔化す。

でも、ばあちゃんの耳はいい。地獄耳だ。僕が悪口をぼそっと言っただけでも、全部聞こえている。そのくせ、耳が悪いなんてよく言えたもんだと、僕は思う。「ちっちゃい声も聞こえとるやん」と僕が言うと、先のとがった耳をピンと立たせて、「魔女の耳は地獄のお耳」とか訳の分からんことを言い始める。とにかくやることなすこと、適当なババアである。今日のことも適当に流してくれればいいのに、と僕はため息をついた。ばあちゃんの適当さはご都合主義で、僕のためには作動しないらしい。

ああ、今日もばあちゃんに怒られる。
めんどくさい。ああ、めんどくさい。

顔をベッドに埋めていると、突っ伏しているベッドが揺れた。どしんどしんと地鳴りのような音がする。音は次第に大きくなる。震源地が近づいてくる。

多分、震度2。

僕の住んでいる家は古い。じいちゃんのお父さんが建てた家だから、めちゃくちゃ古い。友達を連れてくるのも嫌になるくらいに古い。小さい頃は友達を連れて来たけれど、小学校高学年になってからというもの、恥ずかしくて連れてくることはなくなった。

ばあちゃんが「最近、お友達こんねぇ。連れてきたらいいのに。ばあちゃんがお菓子、用意して待っとくのに」と夕食時に言うので、僕は思わず「こんな古い家に友達とか連れてきたくないったい」と冷たく言い放った。するとばあちゃんは、僕の悪態も何処吹く風で、ニヤリと笑って肩をすくめた。「ユースケは何もわかっとらんねぇ。これは昭和レトロって言うったい。最近の流行りやけん、これはオシャレなんよ。ほら、ばあちゃんも昭和レトロやけん、おしゃれでしょうが」と笑って、金髪の髪を耳にかけた。ばあちゃんのセンスはともかく、家はただの老朽化やろうもん、と言いたい気持ちをぐっと堪えた。

そんな昭和レトロな古めかしい家で、どしどし歩くばあちゃんの神経はどうかしている。いつも家が壊れるんじゃないかと僕の方がヒヤヒヤするくらいだ。そもそも、ばあちゃんの身長は150センチくらいしかないのに、震度2の地震を起こすくらいの迫力が出るのが不思議で仕方ない。

僕の身長はもう165センチある。小学5年生だと大きい方だ。ばあちゃんは僕より断然小さい。僕が家を歩いたって震度2の地震は起きないが、ばあちゃんが気合いを入れて怒りながら歩く時、確実にこの老朽化した家は揺れを起こす。僕にはまるで家がばあちゃんと一緒に怒っているみたいに思えてならない。

ということは、きっと今のばあちゃんは気合いが入っている。怒っている。窓の隙間から12月の冷たい風が入ってきて、僕の肝が冷えた。

自分より体の小さなばあちゃんに怯える僕はどうかしている、と思いながら僕は布団の裾をぎゅっと握った。

引き戸がガラッと開く。

「ユースケ!!」

ドスの効いたしゃがれた声で、ばあちゃんは叫んだ。明らかに酒やけってヤツだ。昔は美声だったけど、ビールを飲みすぎて声が変わったと言っていた。これまた適当な、と思っていたが、昔撮ったとかいうビデオを見せてもらったら、たしかに綺麗な声だった。せっかくの美声をお酒でダメにするなんてもったいないと僕は思った。

そのしゃがれ声が、布団をすり抜けて僕の耳に響く。
「なんで、喧嘩やらするとね。小学5年生にもなっとるのに、まぁだ喧嘩やらして、ばあちゃん情けないたい。図体ばっかりデカくなってから、中身はいっちょん大きくなっとらん!」

ばあちゃんは僕がかぶっていた布団を勢いよくひっぺ返した。僕はベッドに突っ伏したまま、枕に顔を押し付けてまくらの端を掴んで耳を覆う。

「あんたはお父さんに似て体が大きいっちゃけん、喧嘩やらしたら勝つに決まっとうろもん。大体、なんでいきなり木下くんを殴るとね。ユースケ、何があったとね。ほら、寝とらんで起きなさい! 今からお菓子買って、木下くんちに謝りに行くよ! あんたが怪我させたんやろ。あんたが謝らんといかんやろ。もう、あんたって子は」

ばあちゃんは呆れたような情けないような、そして怒っているような、よくわからない声を出した。そして、僕の腕を掴んだ。
僕は血管の浮きでたばあちゃんの手を振り払う。

「ほら、起きんね!」
ばあちゃんはまた、僕の腕を掴んだ。

「喧嘩やらしとらん!」
僕は起き上がって、ばあちゃんをキッと睨みつけた。

「喧嘩やないって言っても、相手を殴ったんやったら、喧嘩やろうもん。何もしとらんかったら、学校から電話がかかってくるわけなかろうもん!」
「そんなん知らん。木下が悪い」

僕はプイッと窓の外に目をやった。
カーテンの向こう側に青空が広がっている。今日はいい天気だ。空が青い。白い雲がぷかりと浮いている。本当だったら、明日から冬休みだし今日は遊びにいくつもりだったのに……。
僕はばあちゃんに聞こえないように、小さくため息をついた。

「ため息やらついてから! ため息つきたいのは、ばあちゃんの方たい! 何があったか説明せんとわからんやろ! もう、ユースケは黙りこくってから。ユースケが悪いんやなかったら、ばあちゃん、ちゃんと先生に説明するけん、何があったかちゃんと話しなさい」

ばあちゃんは、でっかくため息を吐いた。
僕は知らんぷりを決め込んだ。

だって絶対、僕は悪くない。



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