進化論から考える。

女性がソロキャンをしていると襲われかけたという話について話題である。

個人的意見としてはそらそうだ、リスク覚悟でやるか、リスクが嫌ならやるな。もしくは自衛策を講じろのような。ありきたりの奴である。

しかし女性としては納得がいかないのではないか?
男性はソロキャンをしても相対的に危険がない。
女性は危険を覚悟でするか、ソロキャンをあきらめなければならない。
それでは不公平だ。

一理ある。

だからこの不公平を埋めるような社会にしろと。
犯罪を犯すのは男性だから男性がこういうことのないように治安を守れと。
もしくはお金を出して男性を雇い十分な警備をしろ、つまり社会における治安をもっとよくしろ。究極的には犯罪がない世の中にしろ。

一理ある。

が現実はそうではない。
なぜそうならないのか?を証明してみよう。

仮にそういう社会が実現したとする。
その社会は維持できるのだろうか?
まず出生率2.05を維持できるのか?

いきなり今日の本題としての進化論に入るが、
進化とはどのようにして起きたかというと、遺伝子にランダムな変異(そこに意志はない)が起きて、本当に膨大な変異のうち、たまたま環境に適応した変異をした者だけが残るということが繰り返し起こった結果である。
一言で言えば『生き残れば正しい』ということだ。

つまり先ほどの女性にとっての理想の社会は、
①まず繁殖力を持つ必要がある。数が減っては維持できないから当然である。
②ほかの社会に対して勝つ必要がある。
の条件を満たして初めて生き残ることができる。

①について考察すると、女性の繁殖本能は選り好みである。現在の環境で強い雄を選別する。これは妊娠リスクが高いから当然だ。
しかしそうじゃない雄でも養ってくれたり危険から守ってくれるなら妥協することもやぶさかではない。
本能と理性の関係である。
理性の部分を取っ払えば取っ払うほど、つまり自分で稼げて危険もないと、よっぽどの雄以外受け入れたくなくなる。それが本能だから。
だから、安全な社会というのは繁殖力が脆弱になる。
しかしながら、強い雄とすべての雌が一夫多妻になれば問題にならないので、繁殖力の問題はクリアできるだろう。

なので②について考察してみよう。
単純に女性にとって理想の国Aと普通の国Bがあったとする。
女性にとっての理想を実現するためには種々のコストがかかる。
しかしながらそれらは国力に寄与しない。むしろ国力にとってはマイナスになる。
国と国は常に戦争をしている。隙あらば侵略しようとしているし、平和であっても経済で戦争している。
他の条件が同じなら、A国はB国より税金が重くなるので、必然的に国を選べる優秀な企業はA国よりもB国を選ぶだろう。必然的にA国は経済戦争に負けて弱体化する。そうするとA国は経済力を失い、女性にとっての理想の社会を実現するコストが支払えなくなるか、そうなる前にそれらの政策を取りやめるほかない。

つまり女性にとっての理想の社会や国というのは維持不可能であり、淘汰されるのだ。
そしてそうであるならば、現代と未来の女性の権利を同等としたうえで女性の権利をを最大化する方法は、国力重視と女性重視の中庸にあることになる。

現代の先進国は完全ではないが歴史上では類を見ないくらい女性に優しい国だ。しかしながら、人口維持すらおぼつかないのが現状である。
ソロキャンプをできるほどの完璧治安の良い理想の社会ではないが、歴史上そして現在の世界でも類を見ないほど治安の良い日本、そこそこに性犯罪が多く女性が一人で出歩けない欧米ですら人口維持(長い目で見た国家の維持)が怪しいのである。

タリバンやイスラムの中でも原理主義の国は出生率が大変高い。
しかしながら女性にとって幸せな国とはいいがたいだろう。
先進国は現在のままだと、それらの国々からの移民によって、文化的に乗っ取られてしまうことになる。
残念なことに解決策としては、タリバンやイスラムを少し見習うほかない。
タリバンやイスラムの女性に優しい度を0として、
現在の日本を80くらいとすると、
50くらいにすることで社会が持続する可能性が高くなるだろう。

女性に優しい度合い80を100を目指すぞと言いながらあと数十年維持しても、遠くない将来0に向かって思い切り針が振り切れる未来を選ぶのか?
それとも少しタリバンやイスラムの伝統社会、日本で言えば昭和の社会を少し見習って、良いところを取り入れる姿勢を持ち、社会の強さと持続性を上げることで、女性に優しい度は50しかないけどそれを長く続けていくか?

前者を選ぶのは、今生きている女性の権利を大事にする人であり、
後者を選ぶのは、本当の意味での女性の権利を大事にする人である。

僕が女性だったら前者を選ぶし、前者を選んで全然かまわないと思うが、女性の権利ではなく自分の権利を主張しているという自覚は持って欲しいものである。僕は人間は利己的で良いと思うのだが、利己的であることの自覚は持っていたいのだ。綺麗なことを言いながら利己的である様を僕はとても恥ずかしいことだと思うから。

そして現実の未来も前者を選ぶことになるのだ。
なぜなら歴史上類を見ない平和な社会であっても、女性キャンパーが云々などと言った平和ボケした寝言が言えるからだ。
まもなくこれらの社会は弱くなり、伝統的な社会が蘇ることになる。

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