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第1章 01 21世紀の都市計画家

 本題に入る前に、自己紹介をします。

 もうかれこれ10年以上、自分のことを勝手に「都市計画家」と呼んでいます。建築分野でも土木分野でもない人間がどうして都市計画家なのか。

 それは先ほどお伝えした、20世紀にどんどんモノをつくってきた過去が関係しています。道路も作るし、公園も作るし、ビルも建てる。ビルじゃなくても建物をどんどん建ててきた。

 20世紀の都市計画はハードがメインでした。だから20世紀の都市計画家はハードを扱う専門家が多かった。

 でも21世紀の都市計画は「ソフト」が主役です。

 人口増加の時代は終わり、急激な人口減少高齢化を迎え、経済の勢いは以前ほどなくなりました。過去には戻らない中で、ハードは使われなくなる一方です。

 だから、21世紀はその使われなくなったハードをどのように使ったら良いのかを考え、都市の価値を再確認していくことが都市計画の主要な仕事になっていくと考えています。

 つまり、都市の価値を再定義する。定義ですから、ハードではなくソフトであり、新たな価値を見出し、現代の都市経営課題をどう解決するかが、21世紀の都市計画に求められているといえます。

 21世紀の都市計画はハードよりもソフトが中心。そういう意味で自分のことを「都市計画家」と呼んでいます。

 1975年千葉に生まれ、1999年にsarto.(サルト)というチームを立ち上げました。サルトというのはイタリア語で「服の仕立て屋」の意味。

 生地や糸やパーツを選んで服を誂えるように、地域にあわせたお誂えの商品を作る。そして気に入ってもらってお代を頂戴するということでサルトという名前にしました。だから会社のロゴは針のマーク。発足当初から現在も変わらず使用しています。

 2008年に法人化し、会社のミッションとして「地域に新しいチャレンジを創出する」・「ご近所を素敵に変えよう」・「おいしい革命を起こそう」の3つを掲げています。

 もう四半世紀近く、まちを元気にするにはどうしたら良いか?という分野でプロとして仕事をしている、相当変わった人種です。まちづくりという職能が認められていない中で日々奮闘。

 複数の地域と関わって、建築でも土木でもなく、都市計画コンサルタントとも違う立ち位置で、都市計画やまちづくりの仕事をしている職業人は日本全国を探してもなかなかいませんが、その1人であると自負しています。

 大学を出てからの10年間は、都市計画コンサルタント会社で働いていました。プロジェクト毎の契約で仕事をしていたので働いていたというよりも、師匠の会社で丁稚奉公をしていた感じです。

 株式会社コム計画研究所の髙田昇先生が師匠で、最初はずっと彼の運転手をしていました。そうすると何処にでも一緒に行けて、先生の考えをたくさん吸収できる。そのうち仕事を任せてもらえるようになって、10年後に独立しました。

 独立した時に決めたのは、都市計画コンサルタントがするような自治体への指名願いを出さないこと。

 単なる請負仕事からの決別です。

 なぜそうしたかというと、自治体からの請負仕事をするのは実は簡単なのですが、よく言われることですが担当者が変わる、トップが変わると全てがストップしてしまう。そうすると折角積み上げてきたものも水の泡です。

 そこでどうしたかというと、地域を良くするために自治体と組むのではなく、その地域の組織や人と組むことにしたのです。

 まちづくり会社だったり、商店街だったり、任意団体だったり、不動産オーナーだったりしますが、とにかくそこにはちゃんと地域の人がいる。

 サルトに支払われるお金の出処は自治体や国からの場合もあるけれど、それはあまり関係無い。もし担当者が変わっても、そのお金が無くなっても、地域の人がサルトを認めてくれて何らかの形で継続したい関係性を作ることができれば、その地域にずっと関わることができます。

 まちづくりは、10年ひと仕事。

 一定の地域と長くお付き合い出来る状況をつくることはとても大切だと思っています。そのことから、独立してからの10年間は、地域の方と一緒にその地域で組織や会社をつくり、事業を立ち上げるということをしてきました。

 もう随分時が経ってしまったので、作ってきた組織のことについてここでは詳しく書きませんが、それぞれの概要を後ほど紹介します。

 悲喜交交あったのに、関係する皆さんから良い事しか書いてないやんけ!とつっこまれそうですが。いつかは、これまで関わらせてもらった地域それぞれのことを整理してもっと詳しくしっかりご紹介できればと思います。

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