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『パンズ・ラビリンス』『シェイプ・オブ・ウォーター』の監督が贈る『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』スタッフブログ更新!

映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』

誰もが知るピノッキオの物語をギレルモ・デル・トロ監督が大胆に翻案、ストップモーションアニメとして製作。
2008年の企画発表から途中の中断を経てようやく完成をみたもの。

ピノッキオの映画化では昨年本館でも公開の本国イタリア製作、ロベルト・ベニーニがゼペットを演じる『ほんとうのピノッキオ』、劇場公開はないもののディズニープラスでの配信によるロバート・ゼメキスの『ピノキオ』と、このところ連続して新作が登場しているわけですが、原作にほぼ忠実な『ほんとうのピノッキオ』に対し、今作は予想を大きく上回る規模で内容の翻案が行われています。
『パンズ・ラビリンス』『シェイプ・オブ・ウォーター』など、ダークなファンタジーを本領とするギレルモ・デル・トロ監督がピノッキオの物語に親和性が高そうなのは容易に想像のつくところですが、児童文学としてはかなりダークな面が強い原作に忠実な形での映像化でも本領を発揮できそうなところを、敢えてなのか、だからこそなのか、原作を大きく改変してこの世界を再構築して見せるのです。
結論から先に言えば、この翻案は大変に素晴らしかった。

冒頭からしてこれまでのピノッキオの物語とは違い、ゼペットが息子の墓の前で息子と幸せに暮らしていたときの回想から始まる。
悲嘆に暮れるゼペットは息子を取り戻したいという自己の願いが叶えられないことにある種の怒りが爆発し、発作的に松を切り倒し、息子に似せた人形を作り始める。
さながら人造人間を作りあげるフランケンシュタインのよう。
人ではない人造人間が伴侶を求め、叶わぬと分かると復讐に燃える、というある意味で“人間的”といえる物語と、木製の人形が親子の愛を求めるピノッキオの物語は確かに相通じる部分があります。

また、墓碑には“1916”と刻まれ、息子が第一次大戦中に亡くなったことが分かります。
物語の時制を第一次大戦からその後のファシストの時代に設定していることが中盤以降で大きな意味を持っているのですが、この物語の驚くべき翻案の中身はやはり本編を観て体感すべきところでしょう。
ウソをつくと鼻が長くなるところ、はじめは良い子とはいえないピノッキオが徐々に良い子に近づいていくという肝心なところは維持しながらも、原作の『ピノッキオの冒険』や『ほんとうのピノッキオ』を知っている人にはその違いの大きさに驚くのは間違いありません。
ただ、一見原作と大きく異なるところでも、その教訓とすべき物語のエッセンスが巧みに取り入れられているところが窺えるのがニクいところ。
原作にないあれやこれやもこの部分は原作のアレやこのキャラクターに相当するのか、ということが次第に明らかになっていくのです。

良き父親、よき市民として暮らしていたゼペットが息子の死に直面して模範的社会生活から逸脱してしまう描写は、誰しも心の弱い面があること、木製の息子を作り上げ、それぞれに至らないところがありながら、次第に共依存の関係が構築されていく様子を描いていきます。
ピノッキオの方も突然仮の魂を与えられ、見るもの聞くもの全てが新しく、社会性をわきまえない勝手な振る舞いから次第に人との付き合い方を覚え、大切なものとは何かを学んでいきます。
監督はピノッキオの成長というか、その目指すものが単なる本当の人間になりたい、という表層的な目標を想定していません。
ピノッキオはその冒険の中で死のもつ意味を見つめ、本当に生きること、死ぬこととはどういうことかを次第に理解していきます。

さまざまな冒険の後に、観る者の予想を超えたところにあるエンディングを迎え、ピノッキオが本当の意味で成長したと確信できる物語の閉じ方は、紛れもなくこの物語が人形から心のこもった人としての成長譚としてのピノッキオの物語であることを実感するのでした。

『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』上映情報

2022/12/2(金)~12/15(木)まで上映
12/2(金)~12/8(木)まで
①12:25~14:25
②19:20~21:20
12/9(金)~12/15(木)まで
時間未定
決まり次第公式HP(http://www.cine-gallery.jp/)にて掲載


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