一緒に戦ってくれる人が欲しかったの
私はずっと孤独だった。
家族も友達もいるし、そういった意味では孤独ではないんだけど、ずっとずっと1人で戦っているみたいだった。
フリーランスコーチになる。
そう決めたのに、「私に連絡をしてください」と言うのが怖い。
売るのが怖い。
長い間その沼にはまって抜け出せない。
「怖いからやりたくない」という訳ではないし、やってみないと怖さがなくならないこともわかってるのに、どうしても動けない。
「あなたならできるよ!」「あなたなら大丈夫だよ!」と応援してくれる人もいる。
その言葉はありがたいし、言ってもらえると「やってみよう!」と思えるんだけど、それも一瞬でしぼんでしまって、応援してもらったことを申し訳なく思っちゃうの。
逆に「覚悟がない」「本気じゃない」と突き放されたこともある。
それで奮起する人もいるんだろうけど、私は余計に落ち込んだ。
とっくに覚悟してるんだもん。ずっと本気なんだもん。それでも動けないから苦しいの。
どうして動けないのか、動かないことで何を守ろうとしているのか、何度も何度も考えてきた。
1人で。
そう。私はずっと1人で考えてきた。
考えるための問いかけを他の人からしてもらったこともあるけど、考えるのはいつも私1人。
だから孤独だった。
応援してもらうのも突き放されるのも問いかけをしてもらうのも、方法は違っても私1人荒野に投げ出されている気分だった。
本当は一緒に考えてもらいたかった。
相手に結論を委ねようとしてる訳ではなくて、私1人ではお手上げだから、荒野をそのまま突き進むのか、開拓するのか、はたまた逃げ出すのか、色んな方法を一緒に考えてもらいたかった。
後ろから私を見守ってくれる人の存在ももちろんありがたいんだけど、本当は隣で一緒に戦ってくれる人が欲しかったの。
「応援してくれる人もいるんだから、私は1人じゃない」「決めるのは自分なんだから、自分で考えなきゃ」って強がって、孤独感に蓋をしてきた。
今日、その蓋が開いた。
今のコーチが「一緒に戦いたい」と言ってくれた。
関わるようになった5ヶ月前からずっと言い続けてくれたんだけど、私は私のことに必死すぎて受け取れていなかった。聞き流してた。
私はきっと「可愛げのないクライアント」だ。
素直じゃないし、自分が納得しないと動かないし、報告すると言ったことも報告しないし。
コーチがそう思ってるかどうかはわからない(たぶん思ってない)けど、こんな私と向き合うことを諦めたくないと言ってくれた。
どうすればいいかずっと考えている、と。
このメッセージを読んだ時、ぼろぼろと涙がこぼれた。
ダムが決壊したかのように涙が止まらなくて、声を上げて泣いた。
「私は孤独だった」と認められたことや、ずっと欲しかったものがすでにあったということ、もう強がらなくていいということ、その全てに安心した。
1人じゃないってわかったから、私が何度立ち止まっても何度挫けても一緒に考えてくれる人がいるとわかったから、怖くても動いてみようと思う。
「コーチは伴走者」っていう表現があるけど、私は過去に受けたコーチングでそう思えたことがなかった。
常に一歩離れたところから見られている気がしていた。
俯瞰で見ることもコーチに必要なことだけど、常にそうされているのが辛かったから、私は伴走者になりたい、一緒に考えることも俯瞰することもできるコーチになりたいとずっと思っていた。
一方で、それが「正しいコーチ」なのかわからなくて自信が持てなかった。そんなコーチは求められないんじゃないかって不安だった。
だから売るのに抵抗があった。
その他にも売るのが怖い理由は色々あるけど、「とにかく私は私がなりたいコーチになるために動こう」という気持ちが出てきた。
一緒に戦ってくれる人がいる。
一緒に戦うって応援するよりも難しいことだと思う。
そんな難しいことを相手がしてくれているのに、私が挑戦しないなんて恥ずかしい。
まだめちゃくちゃ怖いし、すぐ立ち止まって弱音を吐くかもしれない。
それでも私は挑み続けて、いつかそんなに遠くない未来にコーチと喜び合いたいし、ありがとうを言いたい。
無理矢理ポジティブになる必要はない。
じっくり自分と向き合って、昨日より今日の自分を好きになる。
自分自身も挑戦しているライフコーチです。
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